理由を与えなかった聖女は、名を呼ぶことを選んだ

鷹 綾

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第一話何もしていない聖女は、切り捨てられる

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第一話何もしていない聖女は、切り捨てられる

 

 王宮大聖堂の天井は、今日に限ってやけに高く見えた。
 色鮮やかなステンドグラスから差し込む光が、白い石床に模様を描き、その中心に立つ私――セラフィーナ・アッシュクロフトを、まるで見世物のように照らしている。

 ここは、私が王太子の婚約者として、聖女として、何年も立ち続けてきた場所だ。
 祈りを捧げ、儀式に臨み、何も起こらない日々を守り続けた――はずの場所。

「本日、この場をもって宣言する」

 玉座の前に立つ王太子ルーファス・ヴァルディオスが、よく通る声で言い放った。
 その声には、ためらいも、迷いもない。

「セラフィーナ・アッシュクロフトとの婚約を、正式に破棄する」

 大聖堂に、どよめきが走る。
 驚き、興奮、そして――期待。
 人々はこの瞬間を、どこかで待ち望んでいたのだろう。

 私は、何も言わなかった。
 言う必要があるとも、思えなかった。

「理由は明白だ」

 ルーファスは、私を一瞥する。
 その視線に、かつて向けられていたはずの情や敬意は、もう欠片も残っていない。

「彼女は、聖女として何の奇跡も起こしていない」

 その言葉に、数人の貴族が小さく頷く。
 まるで確認作業のように。

「癒しの光も、神託も、災厄を退けた実績もない。
 それに比べ――」

 彼は一歩横へと身を引いた。

 そこに立つ少女が、にこやかに微笑む。
 新聖女、ミレイア・ルミナス。

 淡い金の髪、澄んだ瞳。
 聖堂に集まる人々の視線を、一身に集めるその姿は、まさに“聖女”の理想像だった。

「ミレイアは違う」

 ルーファスの声が、わずかに熱を帯びる。

「彼女は、光を降ろし、病を癒し、神の意思を示した。
 誰の目にも明らかな奇跡を起こしている」

 ミレイアは、はにかむように胸の前で手を組む。

「恐れ多いです……私は、ただ神に祈っているだけで……」

 その姿に、歓声にも似た溜め息が広がった。
 ――ああ、そう。
 皆が見たいのは、こういう光景なのだ。

「ゆえに、我が国の聖女はミレイア・ルミナスとする」

 断言。
 裁定。
 すべてが、最初から決まっていたかのように、淀みなく進んでいく。

 私は、静かに息を吐いた。

 奇妙なことに、胸は少しも痛まなかった。
 涙も、怒りも、湧いてこない。

 ただ――納得だけが、そこにあった。

「セラフィーナ」

 名を呼ばれ、私は顔を上げる。

「君は……何もしていない」

 その一言が、最後の宣告だった。

 大聖堂の空気が、一瞬張りつめる。
 誰もが、私の反応を待っている。

 泣くのか。
 縋るのか。
 弁明するのか。

 けれど私は、ほんの少し首を傾けてから、穏やかに答えた。

「……そうですね」

 ざわり、と人々が息を呑む。

「私が、何もしていないように見えたのでしたら――」

 私は両手を胸の前で重ね、静かに頭を下げた。

「では、私の役目は、ここまでなのでしょう」

 沈黙。
 それは、誰の予想にもなかった反応だったらしい。

「異議は、ありません」

 私は顔を上げ、ルーファスを見つめる。
 もう、婚約者としてではない。
 ただの他人として。

「聖女の任を解かれ、婚約も破棄されること、承知しました」

 その瞬間、王太子の眉がわずかに動いた。
 何か――思っていた反応と違ったのだろう。

 けれど、彼はそれ以上何も言わなかった。

「……では、退下せよ」

「はい」

 私は踵を返す。
 背中に突き刺さる無数の視線を、気に留めることなく。

 ――ああ、これで終わりだ。

 長い間、ここに立ち続けてきた。
 何も起こらないように、何も壊れないように。

 それを「何もしていない」と言うのなら。
 もう、ここで続ける理由はない。

 大聖堂の扉が、重々しく閉じられる。
 その音を合図に、私は“前聖女”になった。

 この時、誰も知らなかった。
 私が去ったことで、この国から――
 何が失われたのかを。

 ただひとつ確かなのは。
 私は、何もしていない。

 そして、これからも――
 何もしないつもりだった。
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