1 / 40
第一話何もしていない聖女は、切り捨てられる
しおりを挟む
第一話何もしていない聖女は、切り捨てられる
王宮大聖堂の天井は、今日に限ってやけに高く見えた。
色鮮やかなステンドグラスから差し込む光が、白い石床に模様を描き、その中心に立つ私――セラフィーナ・アッシュクロフトを、まるで見世物のように照らしている。
ここは、私が王太子の婚約者として、聖女として、何年も立ち続けてきた場所だ。
祈りを捧げ、儀式に臨み、何も起こらない日々を守り続けた――はずの場所。
「本日、この場をもって宣言する」
玉座の前に立つ王太子ルーファス・ヴァルディオスが、よく通る声で言い放った。
その声には、ためらいも、迷いもない。
「セラフィーナ・アッシュクロフトとの婚約を、正式に破棄する」
大聖堂に、どよめきが走る。
驚き、興奮、そして――期待。
人々はこの瞬間を、どこかで待ち望んでいたのだろう。
私は、何も言わなかった。
言う必要があるとも、思えなかった。
「理由は明白だ」
ルーファスは、私を一瞥する。
その視線に、かつて向けられていたはずの情や敬意は、もう欠片も残っていない。
「彼女は、聖女として何の奇跡も起こしていない」
その言葉に、数人の貴族が小さく頷く。
まるで確認作業のように。
「癒しの光も、神託も、災厄を退けた実績もない。
それに比べ――」
彼は一歩横へと身を引いた。
そこに立つ少女が、にこやかに微笑む。
新聖女、ミレイア・ルミナス。
淡い金の髪、澄んだ瞳。
聖堂に集まる人々の視線を、一身に集めるその姿は、まさに“聖女”の理想像だった。
「ミレイアは違う」
ルーファスの声が、わずかに熱を帯びる。
「彼女は、光を降ろし、病を癒し、神の意思を示した。
誰の目にも明らかな奇跡を起こしている」
ミレイアは、はにかむように胸の前で手を組む。
「恐れ多いです……私は、ただ神に祈っているだけで……」
その姿に、歓声にも似た溜め息が広がった。
――ああ、そう。
皆が見たいのは、こういう光景なのだ。
「ゆえに、我が国の聖女はミレイア・ルミナスとする」
断言。
裁定。
すべてが、最初から決まっていたかのように、淀みなく進んでいく。
私は、静かに息を吐いた。
奇妙なことに、胸は少しも痛まなかった。
涙も、怒りも、湧いてこない。
ただ――納得だけが、そこにあった。
「セラフィーナ」
名を呼ばれ、私は顔を上げる。
「君は……何もしていない」
その一言が、最後の宣告だった。
大聖堂の空気が、一瞬張りつめる。
誰もが、私の反応を待っている。
泣くのか。
縋るのか。
弁明するのか。
けれど私は、ほんの少し首を傾けてから、穏やかに答えた。
「……そうですね」
ざわり、と人々が息を呑む。
「私が、何もしていないように見えたのでしたら――」
私は両手を胸の前で重ね、静かに頭を下げた。
「では、私の役目は、ここまでなのでしょう」
沈黙。
それは、誰の予想にもなかった反応だったらしい。
「異議は、ありません」
私は顔を上げ、ルーファスを見つめる。
もう、婚約者としてではない。
ただの他人として。
「聖女の任を解かれ、婚約も破棄されること、承知しました」
その瞬間、王太子の眉がわずかに動いた。
何か――思っていた反応と違ったのだろう。
けれど、彼はそれ以上何も言わなかった。
「……では、退下せよ」
「はい」
私は踵を返す。
背中に突き刺さる無数の視線を、気に留めることなく。
――ああ、これで終わりだ。
長い間、ここに立ち続けてきた。
何も起こらないように、何も壊れないように。
それを「何もしていない」と言うのなら。
もう、ここで続ける理由はない。
大聖堂の扉が、重々しく閉じられる。
その音を合図に、私は“前聖女”になった。
この時、誰も知らなかった。
私が去ったことで、この国から――
何が失われたのかを。
ただひとつ確かなのは。
私は、何もしていない。
そして、これからも――
何もしないつもりだった。
王宮大聖堂の天井は、今日に限ってやけに高く見えた。
色鮮やかなステンドグラスから差し込む光が、白い石床に模様を描き、その中心に立つ私――セラフィーナ・アッシュクロフトを、まるで見世物のように照らしている。
ここは、私が王太子の婚約者として、聖女として、何年も立ち続けてきた場所だ。
祈りを捧げ、儀式に臨み、何も起こらない日々を守り続けた――はずの場所。
「本日、この場をもって宣言する」
玉座の前に立つ王太子ルーファス・ヴァルディオスが、よく通る声で言い放った。
その声には、ためらいも、迷いもない。
「セラフィーナ・アッシュクロフトとの婚約を、正式に破棄する」
大聖堂に、どよめきが走る。
驚き、興奮、そして――期待。
人々はこの瞬間を、どこかで待ち望んでいたのだろう。
私は、何も言わなかった。
言う必要があるとも、思えなかった。
「理由は明白だ」
ルーファスは、私を一瞥する。
その視線に、かつて向けられていたはずの情や敬意は、もう欠片も残っていない。
「彼女は、聖女として何の奇跡も起こしていない」
その言葉に、数人の貴族が小さく頷く。
まるで確認作業のように。
「癒しの光も、神託も、災厄を退けた実績もない。
それに比べ――」
彼は一歩横へと身を引いた。
そこに立つ少女が、にこやかに微笑む。
新聖女、ミレイア・ルミナス。
淡い金の髪、澄んだ瞳。
聖堂に集まる人々の視線を、一身に集めるその姿は、まさに“聖女”の理想像だった。
「ミレイアは違う」
ルーファスの声が、わずかに熱を帯びる。
「彼女は、光を降ろし、病を癒し、神の意思を示した。
誰の目にも明らかな奇跡を起こしている」
ミレイアは、はにかむように胸の前で手を組む。
「恐れ多いです……私は、ただ神に祈っているだけで……」
その姿に、歓声にも似た溜め息が広がった。
――ああ、そう。
皆が見たいのは、こういう光景なのだ。
「ゆえに、我が国の聖女はミレイア・ルミナスとする」
断言。
裁定。
すべてが、最初から決まっていたかのように、淀みなく進んでいく。
私は、静かに息を吐いた。
奇妙なことに、胸は少しも痛まなかった。
涙も、怒りも、湧いてこない。
ただ――納得だけが、そこにあった。
「セラフィーナ」
名を呼ばれ、私は顔を上げる。
「君は……何もしていない」
その一言が、最後の宣告だった。
大聖堂の空気が、一瞬張りつめる。
誰もが、私の反応を待っている。
泣くのか。
縋るのか。
弁明するのか。
けれど私は、ほんの少し首を傾けてから、穏やかに答えた。
「……そうですね」
ざわり、と人々が息を呑む。
「私が、何もしていないように見えたのでしたら――」
私は両手を胸の前で重ね、静かに頭を下げた。
「では、私の役目は、ここまでなのでしょう」
沈黙。
それは、誰の予想にもなかった反応だったらしい。
「異議は、ありません」
私は顔を上げ、ルーファスを見つめる。
もう、婚約者としてではない。
ただの他人として。
「聖女の任を解かれ、婚約も破棄されること、承知しました」
その瞬間、王太子の眉がわずかに動いた。
何か――思っていた反応と違ったのだろう。
けれど、彼はそれ以上何も言わなかった。
「……では、退下せよ」
「はい」
私は踵を返す。
背中に突き刺さる無数の視線を、気に留めることなく。
――ああ、これで終わりだ。
長い間、ここに立ち続けてきた。
何も起こらないように、何も壊れないように。
それを「何もしていない」と言うのなら。
もう、ここで続ける理由はない。
大聖堂の扉が、重々しく閉じられる。
その音を合図に、私は“前聖女”になった。
この時、誰も知らなかった。
私が去ったことで、この国から――
何が失われたのかを。
ただひとつ確かなのは。
私は、何もしていない。
そして、これからも――
何もしないつもりだった。
0
あなたにおすすめの小説
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
婚約者が妹と結婚したいと言ってきたので、私は身を引こうと決めました
日下奈緒
恋愛
アーリンは皇太子・クリフと婚約をし幸せな生活をしていた。
だがある日、クリフが妹のセシリーと結婚したいと言ってきた。
もしかして、婚約破棄⁉
遊び人の令嬢が目を付けたのは、私の真面目な婚約者でした
おいどん
恋愛
子爵家の令嬢エリーネと伯爵家の次男のノルトが婚約を結んだのは、半年前だった。
真面目で優秀なノルトに相応しい婚約者であろうとするものの、エリーネには自信がなかった。
ある日、遊び人と噂の令嬢べルティーナとノルトが共にいるところを見てしまう。
「真面目クンは壁さえ破っちゃえばこっちのもんだからね〜」
「きっと、彼女の美しさに嫉妬しているのだわ…」
「…今度は、ちゃんと言葉にするから」
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる