理由を与えなかった聖女は、名を呼ぶことを選んだ

鷹 綾

文字の大きさ
2 / 40

第二話 何も起こらない日々の終わり 何も起こらない日々の終わり  

しおりを挟む
第二話

何も起こらない日々の終わり

 

 王宮を出た瞬間、外の空気がひどく冷たく感じられた。

 それは季節のせいではない。
 私――セラフィーナ・アッシュクロフトが、もう“ここに属する存在ではない”と、空気そのものに告げられた気がしたからだ。

 王宮の正門前には、わずかな荷物が用意されていた。
 衣服が数着、古びた祈祷書、そして身の回りの小物。
 聖女として与えられていた品々は、すでにすべて回収されている。

「……随分と、あっさりしていますね」

 思わず口をついて出た言葉は、誰に向けたものでもなかった。
 長年仕えてきた聖女に対して、この扱い。
 恨むべきなのだろうか。
 それとも、これが当然なのだろうか。

 ――いいえ。
 たぶん、どちらでもない。

 私はただ、「役目を終えた存在」になっただけだ。

 馬車が一台、控えていた。
 御者は視線を合わせようとせず、淡々と告げる。

「国境までお送りします。そこから先は……ご自身で」

「わかりました」

 それ以上の言葉は交わされなかった。
 王宮から追い出されるというより、
 最初から“いなかったもの”として扱われているような、不思議な感覚。

 馬車が動き出す。

 窓から見える王都の街並みは、いつもと変わらない。
 人々は行き交い、商人は声を張り上げ、子どもたちは走り回っている。

「……平和ですね」

 そう呟いた瞬間、胸の奥に小さな違和感が生まれた。

 これまで、私は毎朝、祈っていた。
 儀式としてではなく、習慣として。

 “今日も何も起こりませんように”と。

 嵐が来ないように。
 疫病が広がらないように。
 事故が重ならないように。

 誰にも気づかれない祈り。
 成果が見えない祈り。

 それを――今日から、私はしない。

 ふと、馬車が大きく揺れた。

「……?」

 御者が舌打ちする。

「前の馬車が立ち往生しているようです。
 道が……崩れていますね」

 窓から覗くと、確かに街道の一部が沈み、車輪がはまっていた。
 大事故というほどではない。
 けれど、明らかに“いつも通り”ではない光景。

「珍しいですね」

 御者は肩をすくめる。

「最近、こういうのが増えた気がします。
 井戸が枯れたり、壁が崩れたり……
 まあ、偶然でしょうが」

 ――偶然。

 その言葉が、胸の奥で静かに反響した。

 私は何も言わなかった。
 言えることは、何もない。

 馬車は迂回し、再び走り出す。

 王都の門が遠ざかるにつれ、胸が少しだけ軽くなるのを感じた。
 不安ではない。
 解放感とも、少し違う。

 ただ――静かだった。

 国境に近づく頃、空の色が変わり始めた。
 晴れていたはずの空に、薄い雲が広がる。

「雨、ですか?」

「この時期に? 珍しいですね」

 御者は首をかしげる。
 やがて、ぽつり、と窓を叩く音。

 小雨。
 作物を潤すには足りず、視界を悪くするだけの、嫌な雨。

 ――ああ。

 私は、ようやく理解した。

 “何も起こらない”という状態が、
 どれほど不自然で、どれほど脆いものだったのか。

 それは、放っておけば簡単に崩れる、
 奇跡の上に成り立つ日常だったのだ。

 国境の検問所で、馬車は止まった。

「ここまでです」

 御者は淡々と告げ、手綱を放す。

 私は馬車を降り、最後に一度だけ振り返った。
 遠くに見えるエルディア王国。
 あの国を守っていたのが、自分だったとは――
 まだ、この時の私は、思っていない。

「……さようなら」

 小さく呟き、背を向ける。

 その瞬間、背後で雷鳴が轟いた。

 振り返ることはしなかった。
 ただ、胸の奥で、確信に近い予感が芽生える。

 ――私は、何もしていない。

 ――けれど、“何もしなくなった”ことで、
 この国は、これから“何か”を失い続ける。

 それが何なのか。
 誰が、いつ、気づくのか。

 それはまだ、誰にもわからない。

 ただひとつ言えるのは。
 私の平穏は、ようやく始まったばかりだということだけだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

処理中です...