理由を与えなかった聖女は、名を呼ぶことを選んだ

鷹 綾

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3話 小さな異変は、偶然と呼ばれる

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第三話

小さな異変は、偶然と呼ばれる

 

 セラフィーナが国境を越えた、その日の夜。
 エルディア王国の王都では、誰もが「いつも通りの一日」を終えようとしていた。

 王宮では新聖女ミレイア・ルミナスを称える小規模な祝宴が開かれ、
 貴族たちは笑顔で杯を交わしている。

「いやあ、これで我が国も安泰ですな」

「ええ。これからは本物の聖女が導いてくださる」

 そんな言葉が、当然のように飛び交っていた。

 その最中だった。

「殿下!」

 慌てた声と共に、近衛騎士が宴の場へ駆け込んでくる。

「どうした、騒々しい」

 王太子ルーファス・ヴァルディオスが眉をひそめる。

「城下で……馬車の事故が続いております。
 大きな被害ではありませんが、同じ通りで三件立て続けに……」

「事故?」

 貴族たちは顔を見合わせ、やがて失笑した。

「そんなもの、珍しい話ではないだろう」

「王都は人も多い。偶然が重なっただけだ」

 ルーファスも頷く。

「大事にするほどのことではない。下がれ」

「……はっ」

 騎士は困惑しつつも引き下がる。

 そのやり取りを、ミレイアは不安げな表情で見つめていた。

「殿下……何か、胸騒ぎがします」

「気にするな、ミレイア」

 ルーファスは優しく微笑む。

「君がいる。
 それだけで、我が国に不安はない」

 その言葉に、ミレイアは安堵したように頷いた。

 ――その夜。
 王都の別の地区で、井戸が一つ、使えなくなった。

 石組みが崩れ、汚水が混じったのだ。
 原因は不明。
 老朽化とも、地盤の緩みとも言われた。

 翌朝。

「またですか……?」

 城下町の役人が、報告書を前に頭を抱える。

 倒壊寸前の民家が二軒。
 市場での転倒事故が五件。
 軽傷者は多いが、死者はいない。

 どれも単体で見れば、取るに足らない出来事だ。

「……偶然、ですよね」

 誰かがそう呟く。

 誰も否定しなかった。
 否定する理由が、なかったからだ。

 一方、王宮では。

「ミレイア、今朝の祈りはどうだった?」

「はい……神の光は、確かに感じました」

 彼女はそう答えながらも、どこか歯切れが悪い。

 祈れば光は降りる。
 奇跡の兆しも、確かにある。

 それなのに――
 心の奥に、薄い不安が張りついて離れない。

「……以前は、こんなことはありませんでしたか?」

 ぽつりとこぼした言葉に、ルーファスは眉をひそめた。

「何を言う。
 前任の聖女がいた頃も、事故や不作はあった」

 ――嘘だ。

 ミレイアは心の中でそう思った。

 記録を読んでいる。
 統計も、報告書も。

 “何も起きていない”期間が、異常なほど長かったことを。

 だが、その違和感を口に出すことはできなかった。

 その頃、王都から少し離れた街道では。

「おい、馬が動かんぞ!」

「車輪が……外れてる!?」

 整備不良とは思えない壊れ方。
 しかし、調べても原因はわからない。

 人々は首をかしげ、こう結論づける。

「ついてなかったな」

「最近、変なことが多いが……まあ、気のせいだろう」

 気のせい。
 偶然。
 よくあること。

 その言葉たちが、王国全体を覆い始めていた。

 王宮の高い塔から、ルーファスは街を見下ろす。

「……静かだな」

 確かに、大きな災厄は起きていない。
 反乱も、疫病も、戦争も。

 それなのに、なぜか胸がざわつく。

 ふと、脳裏をよぎるのは、
 あの場で何も言わずに頭を下げた女の姿。

「……馬鹿馬鹿しい」

 彼は小さく首を振った。

「役立たずの聖女など、いなくても国は回る」

 その言葉は、自分に言い聞かせるようだった。

 この時点では、まだ誰も知らない。

 これは“始まり”にすぎないことを。
 小さな異変が、積み重なっていくことを。

 そして――
 それらが、もう二度と「元に戻らない」ことを。

 エルディア王国は、この日も変わらぬ夜を迎えた。

 何も起きないはずの日々が、
 静かに、確実に、終わりへ向かっているとも知らずに。
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