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第十五話 崩れ始めたのは、国ではなく“誇り”だった
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第十五話 崩れ始めたのは、国ではなく“誇り”だった
拒絶の返書が突き返されてから、エルディア王国は奇妙な沈黙に包まれていた。
怒号も、号令もない。
兵は動かず、使者も出ない。
だが、それは嵐の前の静けさではない。
動けなくなった沈黙だった。
王宮の評議室。
長い卓を囲む者たちは、皆、言葉を失っていた。
「……次は、どうする」
誰かが、絞り出すように言う。
だが、その問いに答えられる者はいない。
武力行使は、現実的ではない。
シュヴァルツガルト公国は小国だが、守りは堅い。
何より、戦えば“聖女を力で奪おうとした国”として、
周辺諸国からの信用を完全に失う。
「……詰んでいる、ということか」
誰かが呟いた。
その言葉に、反論は出なかった。
ルーファス・ヴァルディオスは、
卓の中央に座ったまま、指先を組んでいた。
怒りは、もうない。
焦りも、薄れている。
残っているのは――
取り返しのつかない選択をしたという、鈍い実感だけだった。
「……我々は、何を間違えた?」
ぽつりと漏れた言葉。
それは、誰かを責めるためではない。
初めて、自分に向けられた問いだった。
一方、王都の外。
市場では、はっきりと変化が現れ始めていた。
「値上げだ。悪いが、これ以上は無理だ」
「またか……」
物価は、じわじわと上がっている。
急騰ではない。
だが、“戻らない上昇”だった。
「前は、こんなことなかったよな」
「……ああ」
誰もが、同じことを思っている。
だが、声には出さない。
あの名を口にすること自体が、
王国の過ちを思い出させるからだ。
城内の一角では、
修繕担当の役人が、頭を抱えていた。
「予算が……足りません」
「去年と比べて、どうなっている?」
「……去年は、
“想定外の修繕”が、
ほとんどありませんでした」
沈黙。
“想定外”が、
当たり前になった国。
それは、
すでに安定を失っている証だった。
同じ頃、シュヴァルツガルト公国。
セラフィーナは、
城の図書室で、静かに本を読んでいた。
窓から差し込む光。
紙の匂い。
遠くで聞こえる、穏やかな話し声。
「……ここでは、
何も壊れませんね」
ぽつりと呟く。
そばにいたアーヴィンは、
本から目を離さずに答えた。
「壊れないのではない。
無理をしていないだけだ」
「……無理をしない、というのは」
言葉を探す。
「誰かに、
無理をさせないこと、ですか?」
「そうだ」
短い肯定。
「君は、
ずっと一人で無理を背負わされていた」
セラフィーナは、
本を閉じ、しばらく黙った。
「……向こうは、
どうなるのでしょう」
「すぐに滅びはしない」
アーヴィンは、現実的だった。
「だが、
“誇り”が先に壊れる」
「誇り……」
「自分たちは正しい、
選ばれている、
間違っていない――」
静かな声。
「それが否定された時、
国は、内部から崩れる」
その予言は、
すでに始まっていた。
夜。
ルーファスは、
かつて婚約破棄を宣言した広間に立っていた。
あの日、
彼は“正義”のつもりで言葉を放った。
役立たず。
不要な存在。
新たな聖女こそが希望だと。
「……あれは、
国のためだったのか」
誰もいない広間に、
問いかける。
返事はない。
ただ、
自分の声だけが、
虚しく反響する。
この夜、
エルディア王国では、
誰も処刑されず、
誰も追放されず、
誰も反乱を起こさなかった。
それでも。
確実に、
何かが終わっていた。
崩れ始めたのは、国ではない。
「自分たちは正しい」という、
取り返しのつかない誇りだった。
そして、
誇りを失った国は、
やがて必ず、
“代償”を支払うことになる。
それが、
どれほど静かで、
逃げ場のないものか――
彼らは、まだ知らない。
拒絶の返書が突き返されてから、エルディア王国は奇妙な沈黙に包まれていた。
怒号も、号令もない。
兵は動かず、使者も出ない。
だが、それは嵐の前の静けさではない。
動けなくなった沈黙だった。
王宮の評議室。
長い卓を囲む者たちは、皆、言葉を失っていた。
「……次は、どうする」
誰かが、絞り出すように言う。
だが、その問いに答えられる者はいない。
武力行使は、現実的ではない。
シュヴァルツガルト公国は小国だが、守りは堅い。
何より、戦えば“聖女を力で奪おうとした国”として、
周辺諸国からの信用を完全に失う。
「……詰んでいる、ということか」
誰かが呟いた。
その言葉に、反論は出なかった。
ルーファス・ヴァルディオスは、
卓の中央に座ったまま、指先を組んでいた。
怒りは、もうない。
焦りも、薄れている。
残っているのは――
取り返しのつかない選択をしたという、鈍い実感だけだった。
「……我々は、何を間違えた?」
ぽつりと漏れた言葉。
それは、誰かを責めるためではない。
初めて、自分に向けられた問いだった。
一方、王都の外。
市場では、はっきりと変化が現れ始めていた。
「値上げだ。悪いが、これ以上は無理だ」
「またか……」
物価は、じわじわと上がっている。
急騰ではない。
だが、“戻らない上昇”だった。
「前は、こんなことなかったよな」
「……ああ」
誰もが、同じことを思っている。
だが、声には出さない。
あの名を口にすること自体が、
王国の過ちを思い出させるからだ。
城内の一角では、
修繕担当の役人が、頭を抱えていた。
「予算が……足りません」
「去年と比べて、どうなっている?」
「……去年は、
“想定外の修繕”が、
ほとんどありませんでした」
沈黙。
“想定外”が、
当たり前になった国。
それは、
すでに安定を失っている証だった。
同じ頃、シュヴァルツガルト公国。
セラフィーナは、
城の図書室で、静かに本を読んでいた。
窓から差し込む光。
紙の匂い。
遠くで聞こえる、穏やかな話し声。
「……ここでは、
何も壊れませんね」
ぽつりと呟く。
そばにいたアーヴィンは、
本から目を離さずに答えた。
「壊れないのではない。
無理をしていないだけだ」
「……無理をしない、というのは」
言葉を探す。
「誰かに、
無理をさせないこと、ですか?」
「そうだ」
短い肯定。
「君は、
ずっと一人で無理を背負わされていた」
セラフィーナは、
本を閉じ、しばらく黙った。
「……向こうは、
どうなるのでしょう」
「すぐに滅びはしない」
アーヴィンは、現実的だった。
「だが、
“誇り”が先に壊れる」
「誇り……」
「自分たちは正しい、
選ばれている、
間違っていない――」
静かな声。
「それが否定された時、
国は、内部から崩れる」
その予言は、
すでに始まっていた。
夜。
ルーファスは、
かつて婚約破棄を宣言した広間に立っていた。
あの日、
彼は“正義”のつもりで言葉を放った。
役立たず。
不要な存在。
新たな聖女こそが希望だと。
「……あれは、
国のためだったのか」
誰もいない広間に、
問いかける。
返事はない。
ただ、
自分の声だけが、
虚しく反響する。
この夜、
エルディア王国では、
誰も処刑されず、
誰も追放されず、
誰も反乱を起こさなかった。
それでも。
確実に、
何かが終わっていた。
崩れ始めたのは、国ではない。
「自分たちは正しい」という、
取り返しのつかない誇りだった。
そして、
誇りを失った国は、
やがて必ず、
“代償”を支払うことになる。
それが、
どれほど静かで、
逃げ場のないものか――
彼らは、まだ知らない。
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