理由を与えなかった聖女は、名を呼ぶことを選んだ

鷹 綾

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第十九話 問いに答えた者から、去っていく

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第十九話 問いに答えた者から、去っていく

 

 エルディア王国に広がった問い――
 「私たちは、何を失ったのか?」

 それは、王命でも、教義でもない。
 誰かが強制した問いではなかった。

 だからこそ、
 答えは、人によって違った。

 

 城下町の小さな工房。

 年老いた職人が、道具を拭きながら言った。

「……失ったのは、
 奇跡じゃない」

 弟子が、首を傾げる。

「じゃあ、何です?」

「考えなくてよかった時間だ」

 手が止まる。

「前はな、
 今日が無事に終わるかどうかなんて、
 考えなくてよかった」

 失われたのは、
 安全でも、加護でもない。

 **“疑わなくてよかった日常”**だった。

 

 別の場所。

 農村から王都へ出てきた女が、
 荷物を抱えて馬車に乗り込む。

「どこへ行くんです?」

「……北です」

 行き先を告げる声は、
 妙に穏やかだった。

「この国に、
 未練は?」

 一瞬、迷ってから、
 彼女は首を振る。

「未練はあります。
 でも……
 期待は、もうありません」

 それは、
 最も静かな別れの言葉だった。

 

 王宮では、
 報告書の内容が、
 少しずつ変わり始めていた。

 ・国外への移住申請、増加
 ・若年層の流出
 ・商人の拠点移転

「……反乱ではありません」

 側近が言う。

「ただ、
 人が、
 減っています」

 ルーファス・ヴァルディオスは、
 その報告を聞き、
 目を閉じた。

 怒りも、恐怖も、
 もうない。

 あるのは、
 理解だ。

「……彼らは、
 答えを出したのだな」

 誰も、
 それを否定しなかった。

 

 一方、教会。

 若い司祭が、
 静かに職を辞した。

「……信仰を、
 捨てるわけではありません」

 教会長の前で、
 頭を下げる。

「ですが、
 ここにいても、
 人を救えないと
 気づきました」

 彼は、
 去っていった。

 誰にも止められず、
 誰にも罵られずに。

 

 ミレイア・ルミナスは、
 その話を聞き、
 一人、祈祷室に座り込んだ。

「……私は」

 問いが、
 胸を刺す。

 自分は、
 何を失ったのか。

 答えは、
 わかっている。

 彼女は、
 “勝った”はずだった。

 聖女の座を得て、
 光を降ろし、
 称賛を受けた。

 それでも――
 人は、
 離れていく。

「……私も、
 答えを出さなければ……」

 だが、
 その答えを
 出す勇気は、
 まだなかった。

 

 シュヴァルツガルト公国。

 セラフィーナは、
 市場の一角で、
 移住者の手続きを
 手伝っていた。

「……こちらに来る方、
 増えましたね」

「増えた」

 アーヴィンは、
 淡々と答える。

「だが、
 全員を受け入れるわけではない」

「……え?」

「逃げ場に、
 国をするつもりはない」

 その言葉に、
 セラフィーナは、
 少し考え、
 頷いた。

「……答えを出した人だけ、
 ということですね」

「そうだ」

 逃げるためではなく、
 生き直すために来る者だけ。

 

 その夜、
 セラフィーナは、
 一通の手紙を受け取った。

 差出人不明。
 ただ、
 丁寧な文字で
 こう書かれていた。

 ――
 「あなたが去ってから、
 私は初めて、
 自分の頭で考えました。
 それが、
 一番の奇跡でした」

 セラフィーナは、
 しばらく、
 その文面を見つめていた。

 涙は、
 出なかった。

 代わりに、
 静かな確信が
 胸に広がる。

「……私は、
 もう十分です」

 

 エルディア王国では、
 人が去り、
 声が減り、
 街が静かになっていく。

 だがそれは、
 滅びではない。

 問いに答えた者から、
 去っていっただけだ。

 

 残る者たちは、
 これから
 さらに苦しむだろう。

 問いから、
 目を逸らし続ける限り。

 そして、
 次に訪れるのは――
 “去る自由すら
 失う段階”。

 国が、
 人を
 手放さなくなる時。

 それが、
 本当の崩壊の
 始まりだった。
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