理由を与えなかった聖女は、名を呼ぶことを選んだ

鷹 綾

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第十八話 思い出された奇跡は、誰も救わない

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第十八話 思い出された奇跡は、誰も救わない

 

 エルディア王国では、「前聖女」という言葉が、もはや噂ではなく――空気になっていた。

 誰かが口に出さなくても、
 皆が同じことを考えている。

 あの人がいた頃は、
 確かに、
 楽だった。

 

 王都の外れ、農村部。

 畑に立つ老人が、空を見上げて溜息をつく。

「……今年も、実りは少なそうだ」

「祈祷は、ちゃんとやってるんでしょう?」

 若い農夫が言う。

「ええ。
 新しい聖女様が来て、
 光も見た」

 それでも、
 作物は育たない。

「……前はさ」

 老人は、声を落とす。

「祈らなくても、
 ちゃんと育ったんだ」

 それは、
 “奇跡を否定する言葉”ではない。

 ただの、
 事実だった。

 

 王都では、
 奇妙な現象が起き始めていた。

 新聖女ミレイア・ルミナスの
 公開祈祷には、
 以前ほど人が集まらない。

 光が降りる瞬間には、
 歓声が上がる。

 だが――
 すぐに、人々は散っていく。

「……見た?」

「見たけど……
 それで、
 明日が楽になるわけじゃないし」

 奇跡は、
 記念写真のように
 消費されていた。

 

 教会内でも、
 亀裂は広がっていた。

「奇跡の回数を、
 増やすべきです」

「無意味だ。
 今、人々が欲しているのは――」

「黙れ!」

 教会長の怒声が、
 議論を打ち切る。

「信仰とは、
 “信じさせるもの”だ」

 だが、その言葉は、
 自分自身を
 説得するための
 ものだった。

 

 ミレイアは、
 その夜、
 一人で祈祷室にいた。

「……光は、
 降りているのに」

 手を合わせても、
 胸の奥は
 冷えたままだ。

「……私は、
 奇跡を起こしている」

 それは、
 間違いない。

 だが――
 “何も起きない日常”は、
 戻ってこない。

 セラフィーナがいた頃、
 人々は、
 奇跡を求めていなかった。

 必要なかったからだ。

「……私は、
 勝てない」

 その呟きは、
 誰にも届かない。

 

 王宮では、
 ルーファス・ヴァルディオスが、
 一枚の報告書を握り潰していた。

「……前聖女に関する、
 落書きが増えています」

 側近の声は、
 疲れ切っている。

「消せ」

「消しています。
 ですが……」

「ですが?」

「……消すほど、
 増えます」

 沈黙。

 力で押さえつければ、
 反発は強まる。

 それは、
 ルーファス自身が
 一番よく知っているはずだった。

 

 その夜、
 城下町の広場で、
 一人の女性が
 小さく声を上げた。

「……奇跡はいらない」

 周囲が、
 息を呑む。

「前の聖女様が、
 何をしてたか、
 私は知らない」

 一拍、置いて。

「でも――
 あの頃は、
 祈らなくても、
 眠れた」

 誰も、
 否定しなかった。

 

 一方、
 シュヴァルツガルト公国。

 セラフィーナは、
 いつものように
 静かな夜を迎えていた。

 ランプの灯り。
 本のページ。

「……向こうでは、
 私の話が、
 止まらないそうです」

 アーヴィンは、
 短く答える。

「止まらないだろう」

「……それは、
 良いことですか?」

「どちらでもない」

 静かな声。

「思い出は、
 人を前に進ませない」

 

 セラフィーナは、
 本を閉じた。

「……思い出された奇跡は、
 誰も救わない、
 ということですね」

「そうだ」

 アーヴィンは、
 はっきりと頷く。

「救うのは、
 “今、何が足りないか”に
 気づいた者だけだ」

 

 エルディア王国では、
 人々が
 ようやく理解し始めていた。

 奇跡を
 何度見ても、
 生活は戻らない。

 思い出を
 何度語っても、
 日常は帰らない。

 

 そして、
 その理解は――
 次の問いを
 生み出す。

 「では、
 私たちは、
 何を失ったのか?」

 この問いに
 答えを出した者から、
 王国は
 静かに、
 分かれていくことになる。

 救われる側と、
 壊れたままの側へ。
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