理由を与えなかった聖女は、名を呼ぶことを選んだ

鷹 綾

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第十七話 悪者にされた名前が、救いだった

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第十七話 悪者にされた名前が、救いだった

 

 エルディア王国で、「前聖女」という言葉は、いつの間にか別の意味を帯び始めていた。

 それは称号ではない。
 敬意でもない。

 ――責任の置き場所だ。

 

 王都の酒場では、夜ごと同じ話題が繰り返される。

「全部、あの女のせいだ」

「前の聖女が、国を見捨てたからだ」

「裏切られたんだよ、俺たちは」

 怒りに満ちた声。
 だが、その口調には、どこか焦りが混じっている。

「……だったらさ」

 酒を飲み干した男が、ぽつりと続ける。

「なんで、
 あの人がいた頃は、
 こんな話、
 一つもなかったんだ?」

 一瞬、沈黙が落ちる。

「……運が良かっただけだろ」

「偶然だ」

 そう言い張る声は、
 さっきまでより、
 少しだけ弱々しい。

 

 市場でも、同じだった。

「前聖女は裏切り者」

 そう言いながら、
 誰かが別の誰かに囁く。

「……でも、
 あの頃は、
 値段、安定してたよな」

「……言うな」

 否定と同時に、
 “思い出させるな”という
 懇願が混ざる。

 

 王宮でも、状況は変わらない。

 ルーファス・ヴァルディオスは、
 新たにまとめられた報告書を、
 無言で読み進めていた。

 ・教会への寄付金、減少
 ・聖女の公開祈祷、観衆減
・「前聖女」への言及、民間で急増

「……悪者にしている、はずなのに」

 誰にも聞こえない声で呟く。

「なぜ、
 忘れられない……」

 人は、本当に憎い相手を、
 話題にし続けたりはしない。

 憎悪とは、
 思考を止めるための道具だ。

 だが今、
 彼女の名前は、
 人々の思考を
 止めていない。

 ――むしろ、動かしている。

 

 一方、教会。

 司祭の一人が、
 耐えきれずに口を開いた。

「……前聖女の時代、
 奇跡は少なかったが……」

「だが、
 祈らなくても、
 人が救われていた」

 その言葉に、
 数人が息を呑む。

「……それは、
 聖女の役割ではない」

 教会長が、
 強い口調で否定する。

「聖女は、
 神の奇跡を示す存在だ」

「……では」

 若い司祭が、
 震える声で問う。

「奇跡があっても、
 人が苦しむなら、
 それは、
 本当に“正しい”のですか?」

 返事は、なかった。

 

 ミレイア・ルミナスは、
 その場にいなかった。

 彼女は、
 一人、祈祷室で膝を抱えていた。

「……私が、
 悪者にされなくて、
 よかった……」

 その安堵に、
 自分自身が、
 嫌になる。

 セラフィーナが
 矢面に立っているから、
 自分は立っていられる。

「……卑怯だ」

 小さく呟く。

 だが、
 それ以上、
 考える勇気はなかった。

 

 シュヴァルツガルト公国。

 セラフィーナは、
 城の外れで、
 子どもたちと
 簡単な読み書きを教えていた。

「ここは、
 こう書くのです」

「せらふぃーな様、
 できた!」

「……様、は
 つけなくていいですよ」

 小さな笑い声。

 そこには、
 聖女も、
 政治も、
 罪もない。

「……向こうでは、
 私が悪者だそうです」

 休憩の合間、
 アーヴィンにそう告げる。

「知っている」

「……不思議ですね」

 セラフィーナは、
 空を見上げた。

「悪者にされているのに、
 私は、
 前よりずっと、
 楽です」

 アーヴィンは、
 静かに頷く。

「悪者にされたということは、
 もう“利用できない”
 ということだ」

「利用……」

「期待も、
 依存も、
 押し付けもない」

 一拍、置いて。

「君は、
 完全に自由だ」

 

 その夜、
 エルディア王国で、
 一つの落書きが見つかった。

 城下町の壁に、
 乱暴な文字で
 こう書かれていた。

 ――
 「裏切り者でもいい。
 あの人がいた日々は、
 平和だった」

 翌朝には、
 消されていた。

 だが、
 消された文字ほど、
 人の心に残るものはない。

 

 こうして。

 セラフィーナ・アッシュクロフトは、
 “悪者”という仮面を被せられながら、
 皮肉にも、
 最も多くの人間を
 救い始めていた。

 なぜなら。

 悪者にされた名前こそが、
 人々に
 「失った日常」を
 思い出させてしまったからだ。

 そしてそれは、
 もはや誰にも
 止められない流れとなって、
 王国の内部を
 静かに侵食し始めていた。
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