無実の罪で永遠に謹慎する女 ――謹慎していたい令嬢は、何もしないことを選びました**

鷹 綾

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第36話 法は沈黙する

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第36話 法は沈黙する

 

王城に、
奇妙な静けさが定着し始めていた。

 

騒ぎが収まったわけではない。
問題が解決したわけでもない。

 

ただ――
誰も、触れなくなった。

 

エレシアという存在に。

 

それは、
忘却とは少し違う。

 

忘れようとしているのではなく、
触れると不利益が発生する
と理解した結果の、
距離だった。

 

 

その日、
元老院では、
一つの議題が持ち上がっていた。

 

――謹慎禁止命令に関する法整備。

 

議場に集まったのは、
慎重派ばかりだ。

 

誰も、
積極的に口火を切ろうとしない。

 

「……本当に、
 この法案は、
 必要なのかね」

 

白髪の議員が、
ゆっくりと口を開いた。

 

「謹慎とは、
 本来、
 罰だ」

 

「自ら望むものでは、
 ない」

 

それは、
もっともな意見だった。

 

「……しかし、
 現実として、
 “望んで謹慎を続ける者”
 が、
 存在している」

 

別の議員が、
苦々しげに言う。

 

「それを、
 どう扱うか――
 法が、
 想定していなかった」

 

ざわり、と
空気が動く。

 

想定外。

 

それは、
法律にとって、
最も厄介な言葉だ。

 

「……だが」

 

中央席の議員が、
低く言う。

 

「だからといって、
 “謹慎してはならない”
 という法を作るのは、
 あまりにも、
 不自然だ」

 

「謹慎は、
 罰であって、
 行動ではない」

 

「禁止するものでは、
 ない」

 

その言葉に、
多くが、
頷いた。

 

法は、
“やってはいけないこと”
を定める。

 

だが、
“何もしないこと”
を、
禁じることはできない。

 

「……では、
 どうする?」

 

問いが、
宙に浮く。

 

誰も、
答えない。

 

答えが、
ないからだ。

 

「……結論として」

 

議長が、
ゆっくりと、
宣言する。

 

「本法案は、
 差し戻す」

 

「理由は――
 必要性が、
 確認できないため」

 

その一言で、
すべてが、
決まった。

 

謹慎禁止法案は、
正式に、
却下された。

 

つまり――
法は、沈黙を選んだ。

 

 

その知らせは、
すぐに、
王城へ届く。

 

王太子は、
報告書を読み、
深く、
息を吐いた。

 

「……やはり、
 か」

 

驚きは、
なかった。

 

むしろ、
納得だった。

 

法は、
感情を救わない。

 

後悔も、
修正しない。

 

ただ、
整合性だけを、
守る。

 

(……これで、
 完全に、
 手は、
 なくなった)

 

彼女を、
動かす法も。

 

彼女を、
止める法も。

 

どちらも、
存在しない。

 

彼女は、
制度の中に、
完全に、
溶け込んでしまった。

 

王太子は、
椅子に、
深く腰を下ろす。

 

(……私は、
 歴史に、
 残るだろうな)

 

“無実の女を、
 永遠に謹慎させた王太子”。

 

それは、
誇りではない。

 

だが、
消せない。

 

なぜなら――
誰も、
間違っていないからだ。

 

彼女は、
命令を守った。

 

法は、
それを許した。

 

自分は、
それを作った。

 

すべてが、
正しかった。

 

それが、
最悪だった。

 

 

一方――
エレシアは、
その日も、
穏やかな午後を、
迎えていた。

 

窓から差し込む光が、
床に、
柔らかな模様を描く。

 

「……今日は、
 風が、
 気持ちいいですね」

 

彼女が、
そう言うと、
メイドは、
小さく頷いた。

 

「……はい」

 

それだけ。

 

エレシアは、
もう、
何も、
聞かない。

 

王城が、
何を決めたのか。

 

法が、
どうなったのか。

 

知る必要が、
ない。

 

(……静か)

 

それが、
すべてだった。

 

前世で、
彼女は、
常に、
法や制度の外側で、
苦しんでいた。

 

曖昧な期待。
空気。
暗黙の了解。

 

だが、
今は違う。

 

法の内側。

 

条文の、
隙間。

 

そこに、
 静かに、
 座っている。

 

それだけで、
誰も、
触れない。

 

触れられない。

 

夕方。

 

メイドが、
掃除を終え、
扉の前で、
一礼する。

 

「……失礼いたします」

 

エレシアは、
小さく、
微笑む。

 

「……ありがとう」

 

それ以上、
何も、
言わない。

 

夜。

 

王城では、
この件に関する、
正式な文書が、
最終保管庫に、
収められた。

 

追記なし。
注釈なし。
今後の対応、
未定。

 

それが、
公式記録だった。

 

つまり――
この件は、
 終わった。

 

終わったが、
解決していない。

 

だが、
それで、
よいのだ。

 

エレシアは、
ベッドに横たわり、
目を閉じる。

 

(……今日も、
 何も、
 起きなかった)

 

その事実が、
彼女の心を、
静かに、
満たす。

 

法は、
彼女を、
縛らない。

 

 

ただ――
沈黙しているだけだ。

 

それは、
彼女にとって、
最高の、
味方だった。

 

こうして第36話は終わる。

 

誰も、
 彼女を、
 動かせない。

 

なぜなら――
法そのものが、
彼女の前で、
沈黙してしまったのだから。
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