『身代わりに差し出された令嬢ですが、呪われた公爵に溺愛されて本当の幸せを掴みました』

鷹 綾

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第8話 触れないやさしさ

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第8話 触れないやさしさ

 その夜、ノインはなかなか眠れずにいた。

(……私の隣に立つ以上、視線は避けられない)

 フェルディナンドの言葉が、胸の奥で何度も反芻される。
 守る、と言われたことが嬉しくて、同時に少しだけ怖かった。

 ――守られるだけの存在で、いいのだろうか。

 そんな考えが、ぐるぐると巡る。

 * * *

 翌朝、ノインは庭園の奥へ足を向けた。
 人目につかない、小さな花壇。
 母君が好んだという、あの場所だ。

 しゃがみ込み、枯れかけた葉を摘む。
 手袋越しでも、土の冷たさが伝わってくる。

(……ここにいると、落ち着く)

 誰かのために整えること。
 役に立っている実感が、心を静めてくれる。

 背後で、足音が止まった。

「……手袋をしているな」

 フェルディナンドの声だった。

「はい。土で手が荒れてしまうので」

 振り返ると、彼は少し離れた位置に立っている。
 近づきすぎない距離。
 それは、彼なりの配慮だと、今ならわかる。

「……無理はするな」

「大丈夫です。好きでやっているので」

 そう言って微笑むと、彼はわずかに目を伏せた。

「……君は、触れることを厭わない」

「……はい?」

「人にも、庭にも。だが……強要しない」

 ノインは、手を止めた。

「触れることって……相手の心に、踏み込むことでもありますから」

 ゆっくりと言葉を選ぶ。

「だから……許可がないと、触れません」

 フェルディナンドは、驚いたようにノインを見た。

「……それが、君のやさしさか」

 ノインは、首を振る。

「やさしさ、というより……怖いだけです。拒まれるのが」

 正直な言葉だった。

 沈黙が落ちる。
 けれど、その沈黙は、重くない。

「……なら」

 フェルディナンドが、静かに言った。

「拒まない、と伝えておこう」

 彼は、一歩だけ近づく。
 それでも、触れない。

「君が必要だと感じたときは……触れていい」

 その言葉に、ノインの胸が、きゅっと鳴った。

「……ありがとうございます」

 声が、少し震える。

「礼は不要だ」

 彼は、庭を見渡した。

「触れないやさしさもある。だが……触れて伝わるものも、確かにある」

 それは、呪いを抱え続けてきた人の、実感のこもった言葉だった。

 ノインは、ゆっくりと立ち上がる。

「……そのときは、ちゃんと聞きます」

「何を?」

「触れていいか、どうか」

 彼は、ほんのわずかに笑った。

「……面倒な人だな、君は」

「よく、言われます」

 ふたりの間に、穏やかな空気が流れる。

 触れない。
 けれど、拒まない。

 それは、これまでノインが知らなかった関係の形だった。

(……この距離なら)

 近づくことも、離れることも、選べる。

 ノインは、心の中でそっと思う。

 この人となら、
 “必要とされる”だけではなく――
 “選び合う”関係になれるかもしれない、と。

 風が、花壇の花を揺らす。

 触れないまま交わされたやさしさが、
 確かに、ふたりを結んでいた。
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