『身代わりに差し出された令嬢ですが、呪われた公爵に溺愛されて本当の幸せを掴みました』

鷹 綾

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第9話 忍び寄る違和感

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第9話 忍び寄る違和感

 その日から、フェルディナンドの体調は目に見えて安定していた。

 頭痛で眉をひそめることは減り、夜も以前より眠れているという。
 老執事や侍女たちも、安堵した表情を隠さなかった。

 だが――ノインだけは、気づいていた。

(……少し、変)

 悪い意味ではない。
 むしろ逆だ。

 良くなりすぎている。

 * * *

 午後の執務室。
 ノインは、フェルディナンドの向かいに座り、静かに紅茶を飲んでいた。

「……どうした?」

 彼が、ふと顔を上げる。

「いえ……」

 一瞬、言葉に詰まる。

 ――言っていいのだろうか。
 これは、ただの気のせいかもしれない。

 けれど、胸の奥で、小さな違和感が膨らんでいた。

「……最近、痛みはありませんか?」

 慎重に、尋ねる。

「ほとんど、ない」

 即答だった。

「夜も、夢を見なくなった」

 それは、本来なら喜ぶべきことだ。

 なのに。

「……それなのに?」

 ノインの言葉に、フェルディナンドが目を細める。

「何を、感じている?」

 誤魔化さず、聞いてくる。

 ノインは、ゆっくりと息を吸った。

「……痛みが減っているのに、呪いが“消えている”感じがしないんです」

 フェルディナンドの指が、わずかに止まった。

「……続けて」

「……例えるなら」

 言葉を探す。

「氷が溶けているのに、その下に、まだ大きな塊があるような……」

 自分でも、抽象的だと思う。
 けれど、正直な感覚だった。

「……抑えられているだけ、ということか」

 フェルディナンドが、静かに呟く。

「はい……」

 沈黙が落ちる。

 やがて、彼は深く息を吐いた。

「……私も、似た感覚はある」

 ノインは、顔を上げる。

「痛みが引く代わりに……胸の奥が、妙に静かすぎる」

 それは、安らぎとは違う。

「まるで……嵐の前のようだ」

 ノインの背筋が、ひやりとした。

(……やっぱり)

 彼女は、無意識のうちに手を伸ばしかけ――止めた。

 触れるには、理由がいる。

「……フェルディナンド様」

 名を呼ぶ。

「次に、触れるときは……もう少し、深く感じてみたいです」

 彼が、ゆっくりとノインを見る。

「危険だと?」

「……はい。たぶん」

 はっきり言う。

「今までのは、“表面”だけでした」

 フェルディナンドは、しばらく考え込んだあと、静かに頷いた。

「……なら、準備が必要だな」

「準備?」

「ああ」

 低い声。

「呪いの中心に触れるなら……覚悟がいる」

 ノインの胸が、どくんと鳴る。

「それは……危険ですか?」

 彼は、目を逸らさなかった。

「私にとっても……君にとっても」

 それでも。

「……逃げる、という選択肢は?」

 ノインは、あえて聞いた。

 フェルディナンドは、少しだけ口元を緩める。

「君は、もう答えを知っているだろう」

 ノインは、苦笑した。

「……はい」

 逃げない。
 ここまで来て、見過ごすことはできない。

 ノインは、胸の前で手を組む。

「……でも、一人ではやりません」

「当然だ」

「ちゃんと……一緒に、向き合いましょう」

 フェルディナンドは、ゆっくりと立ち上がり、ノインの前に立つ。

 そして――一歩、近づいた。

「……頼りにしている」

 その言葉は、以前の“許可”とは違った。

 それは、
 弱さを預ける、という意味だった。

 ノインは、静かに頷く。

(……これが、境目)

 やさしさだけでは、越えられない場所。
 触れないままでは、届かない核心。

 まだ名前のない“呪いの核”が、
 確かに、ふたりの前に姿を現し始めていた。
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