『身代わりに差し出された令嬢ですが、呪われた公爵に溺愛されて本当の幸せを掴みました』

鷹 綾

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第29話 「噂は、牙を持って戻ってくる」

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第29話 「噂は、牙を持って戻ってくる」

 王都からの使者が、公爵邸を訪れたのは、その三日後だった。

 「……噂、ですか?」

 応接室で報告を受けながら、ノインは思わず聞き返した。  ラドクリフ執事は、いつになく渋い表情で頷く。

 「はい。フェルディナンド様の“呪いが弱まっている”、あるいは“解けかけている”という噂が、すでに社交界に出回り始めています」  「そんなに早く……」

 侵入者の件は、極力伏せられたはずだった。  それでも、完全に秘密を守ることはできない。貴族社会とは、そういう場所だ。

 「さらに厄介なのは……」  ラドクリフは一拍置いてから続けた。  「“ノイン様が呪いを解いている”という話まで、尾ひれをつけて広がっております」

 ノインの胸が、ひくりと震えた。

 「……私が?」  「ええ。“聖女まがいの力を持つ孤児”“化け物公爵を手なずけた娘”など、ずいぶん好き勝手に」

 言葉の一つ一つが、棘のように刺さる。  かつて孤児院や伯爵家で浴びてきた視線と、よく似ていた。

 (また……噂で、価値を決められる……?)

 そのとき、フェルディナンドが静かに口を開いた。

 「放っておけ」  「フェルディナンド……?」  「噂は噂だ。事実かどうかは、いずれわかる」

 だが、ラドクリフは首を振った。

 「閣下、今回は少々事情が違います」  「……どういう意味だ」  「“呪いが解ける”という事実は、政治的な価値を持ちます。――それを、欲しがる者が出るでしょう」

 ノインは、はっと息を呑んだ。

 「……利用、される……?」  「その可能性は否定できません」

 部屋の空気が、わずかに張り詰める。  フェルディナンドは、しばし沈黙したあと、ノインの方を見た。

 「……怖いか」  「……少し」

 正直な答えだった。  噂は刃になる。ノインは、それを知っている。

 「でも……」  ノインは、ぎゅっと拳を握った。  「前みたいに、何も言えずに耐えるつもりはありません」

 フェルディナンドの眉が、わずかに動く。

 「……変わったな」  「変わらせたのは……あなたです」

 ノインは、まっすぐに彼を見る。

 「私が“特別な力を持つ道具”として扱われるなら……それは、嫌です」  「……」  「でも……誰かを救うために、この力が必要だと言われるなら……私は、考えたい」

 逃げでも、拒絶でもない。  自分で選ぶ、という意志。

 フェルディナンドは、ゆっくりと頷いた。

 「……ならば、守る」  「……え?」  「噂からも、政治からも。お前を“道具”として見る者すべてから」

 その声は、冷静で、王侯らしい決断だった。

 「だが同時に――」  彼は、ノインに一歩近づく。  「お前が選ぶ道を、わたしは否定しない」

 ノインの胸が、熱くなる。

 「……ありがとうございます」  「礼を言われることではない」

 そのやり取りを、ラドクリフは静かに見守っていた。  そして、ひとつ咳払いをして告げる。

 「……実はもうひとつ。王都から、“正式な調査”の打診が来ております」  「調査……?」  「はい。呪いの件と、ノイン様の力についてです」

 ノインの心臓が、どくんと鳴った。

 逃げ場は、もうない。  だが――

 フェルディナンドは、迷わず答えた。

 「受けよう」  「閣下……?」  「隠せば疑われる。ならば、こちらの土俵で話をさせる」

 そして、ノインを見る。

 「……怖ければ、断ってもいい」  「……いいえ」

 ノインは、静かに首を振った。

 「逃げません。……あなたの隣に立つと、決めましたから」

 フェルディナンドの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。

 「……そうか」

 噂は、牙を持って戻ってきた。  だが今度は、ノインは一人ではない。

 守られるだけの少女ではなく、  選び、立つ覚悟を持った“婚約者”として――  彼女は、次の波に向き合おうとしていた。
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