『身代わりに差し出された令嬢ですが、呪われた公爵に溺愛されて本当の幸せを掴みました』

鷹 綾

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第38話 「残された余波」

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第38話 「残された余波」

 エドラー伯爵家が去ったあと、公爵邸には、深い静けさが戻ってきた。
 だがそれは、何も起きなかった静けさではない。言葉にされなかった感情や、積み残された視線が、まだ空気に残っている。

 ノインは応接室の窓辺に立ち、庭を眺めていた。
 葉を揺らす風は穏やかで、鳥の声も変わらない。けれど胸の奥では、小さな波がまだ行き来している。

 「……終わった、はずなのに」

 独り言のように呟くと、背後から足音がした。

 「終わったことと、消えたことは違う」

 フェルディナンドだった。彼はノインの隣に並び、同じ景色を見る。

 「向き合った以上、余波は残る。だが――悪いものばかりじゃない」
 「余波、ですか」
 「ああ。歪みが正された結果、別の場所に力が流れる」

 ノインは、少し考えてから頷いた。

 「……確かに。胸は、少し軽いです」
 「それなら十分だ」

 その日の午後、王都から非公式の報せが届いた。
 内容は簡潔だったが、意味は重い。

 ――エドラー伯爵家、社交界での立場に変化。
 ――養女に関する扱いについて、内々に疑問視する声。

 「……広がって、いるんですね」
 「噂は、事実よりも速い」

 フェルディナンドは淡々と言った。

 「だが、こちらから何かする必要はない。すでに“答え”は示した」
 「はい……」

 ノインは、胸に手を当てた。
 誰かを貶めたいわけではない。
 ただ、自分の過去が、嘘として塗り替えられないでほしかった。

 夕暮れ時、庭園でノインは一人、歩いていた。
 ふと、掌に温もりを感じる。

 (……あ)

 それは、癒しの力が人に触れたときの感覚と、よく似ていた。
 けれど今は、誰もそばにいない。

 「……私、自分を癒してるのかも」

 そう思った瞬間、胸の奥で何かが、すっと整った。

 これまでは、誰かのために力を使ってきた。
 痛みを和らげ、寄り添い、守るために。

 けれど今は――
 自分自身のために、立っている。

 「ノイン」

 フェルディナンドの声がして、振り返る。
 彼は歩み寄り、自然な仕草で彼女の手を取った。

 「今夜は、何も考えずに休め」
 「……はい」
 「十分、よくやった」

 その一言に、ノインの喉がきゅっと詰まる。

 評価ではない。
 慰めでもない。

 ただ、“見ていた”という事実。

 夜、部屋に戻ったノインは、鏡の前に立った。
 そこに映るのは、怯えて俯く少女ではない。

 過去を否定せず、
 未来を急がず、
 今の自分を選び続ける――そんな顔だった。

 「……これで、いい」

 残された余波は、まだあるだろう。
 けれどそれは、崩れの前触れではない。

 歩き出した証だ。

 ノインは灯りを落とし、静かにベッドに身を沈めた。
 明日は、きっと、今日より少しだけ軽い。
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