婚約破棄されたので、王太子はもう何も決めません

鷹 綾

文字の大きさ
11 / 40

第十一話 決断を装うという選択

しおりを挟む
第十一話 決断を装うという選択

 王太子コンラートは、その夜、ほとんど眠れなかった。

 寝台に横たわっても、まぶたの裏に浮かぶのは、あの言葉だ。
 ――象徴。
 ――いなくても困らない。

 胸の奥が、じくじくと痛む。
 それは怒りでも、悲しみでもない。
 もっと生々しい、焦燥だった。

「……違う」

 誰に聞かせるでもなく、呟く。

「私は、不要などではない」

 そう言い聞かせるほど、現実が逆の形で迫ってくる。
 宰相府が回している国政。
 王太子の判断を待たずに進む実務。
 そして、自分の名を出さなくなった重臣たち。

 ――決断しなければ。

 だが、どうやって?

 書類の山を前にしても、具体的な策は浮かばない。
 財政は厳しい。
 支援は続けられない。
 それを正直に言えば、支持は失われる。

 だが、何も言わなければ、象徴のままだ。

「……そうだ」

 ふと、彼の脳裏に一つの考えが浮かんだ。

 “決断したように見せればいい”。

 結果ではなく、姿勢。
 中身ではなく、形。

 それは、彼がこれまで得意としてきたやり方だった。

 翌朝、王宮に動きが走った。

「王太子殿下が、本日中に声明を発表なさるそうだ」

 その噂は、瞬く間に広がる。
 貴族サロンでも、商人組合でも、同じ話題が上った。

「ついに、ですか」 「どんな方針を出されるのかしら」

 期待と不安が入り混じる中、宰相府にも正式な通達が届いた。

「……声明、か」

 ヴォルフガング・ハルトマンは、短くそう呟いた。

「内容は?」

「“王太子としての今後の決意表明”とのことです」

 それを聞き、ヴォルフガングは僅かに目を細めた。

「決意、ね」

 評価するには、あまりに抽象的な言葉だ。

 ノクティア侯爵邸では、エヴァレット・ノクティアも同じ報告を受けていた。

「声明……」

 その一言で、彼女は察した。

「“答え”ではなく、“姿勢”を見せるおつもりですわね」

 決断とは、具体性だ。
 数値、期限、責任の所在。

 それを欠いた言葉は、ただの演説になる。

「……遅すぎましたわ」

 午後、王宮の大広間には、多くの貴族と記録官が集められた。
 民への公開を意識し、扉は開かれ、回廊にも人が溢れている。

 壇上に立ったコンラートは、深く息を吸った。

「諸君。本日は、私の言葉を聞いてほしい」

 声は、意外にもはっきりしていた。

「近頃、王国の状況について、不安が広がっていると聞く。私は、その責任を重く受け止めている」

 その言葉に、ざわめきが走る。

 ――責任、という言葉を、初めて口にした。

「私は王太子として、民の声に耳を傾け、希望を示す存在でありたい」

 希望。
 その言葉は、耳触りがいい。

「よって、本日をもって、王国の再建に全力を尽くすことを、ここに誓う」

 拍手が、まばらに起こった。
 だが、それは勢いを持たない。

 誰かが、勇気を出して質問した。

「殿下。具体的には、どのような方針を?」

 一瞬、空気が張り詰める。

「それは……現在、検討中だ」

 その一言で、期待は音を立てて崩れた。

 別の声が続く。

「支援は、継続されるのですか?」

「財源についての見通しは?」

 問いは、次々と投げられる。
 だが、コンラートは答えられない。

「……善処する」 「最善を尽くす」 「信じてほしい」

 言葉は並ぶ。
 だが、内容は伴わない。

 その場にいた多くの者が、同じことを思った。

 ――これは、決断ではない。

 宰相府の補佐官は、その様子を冷静に観察していた。

「……装いましたね」

「そうだな」

 ヴォルフガングは、淡々と答える。

「決断を“したように見せる”ことと、決断することは、別物だ」

 声明が終わり、人々が散っていく中、
 コンラートは壇上に一人残された。

 拍手は止み、視線も消えた。

 残ったのは、空虚な静けさだけだ。

 同じ頃、ノクティア侯爵邸で、エヴァレットは報告書を閉じた。

「……これで、はっきりしましたわね」

 決断を装うという選択。
 それは、一時的に“象徴”から逃れる手段だ。

 だが、代償は大きい。

「次に問われるのは、“言葉の責任”」

 具体性のない誓いは、
 やがて、必ず検証される。

 そして検証とは、
 数字と結果によって行われるものだ。

 王太子コンラートは、自らの意思で動いたつもりでいる。
 だが、その一歩は、
 さらに深い場所へと、彼を追い込む一歩でもあった。

 決断を装うことはできても、
 現実を装うことはできない。

 その事実を、
 彼は、まだ本当には理解していなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!

秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。 民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。 「おまえたちは許さない」 二度目の人生。 エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。 彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。 1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。 「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」 憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。 二人の偽りの婚約の行く末は……

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

『魔力ゼロの欠陥品』と蔑まれた伯爵令嬢、卒業パーティーで婚約破棄された瞬間に古代魔法が覚醒する ~虐げられ続けた三年間、倍返しでは足りない~

スカッと文庫
恋愛
「貴様のような無能、我が国の王妃には相応しくない。婚約を破棄し、学園から追放する!」 王立魔道学園の卒業パーティー。きらびやかなシャンデリアの下、王太子エドワードの声が冷酷に響いた。彼の隣には、愛くるしい表情で私を嵌めた男爵令嬢、ミナが勝ち誇ったように寄り添っている。 伯爵令嬢のリリアーヌは、入学以来三年間、「魔力ゼロの欠陥品」として学園中の嘲笑を浴び続けてきた。 婚約者であるエドワードからは一度も顧みられず、同級生からはゴミのように扱われ、ミナの自作自演による「いじめ」の濡れ衣まで着せられ……。 それでも、父との「力を隠せ」という約束を守るため、泥を啜るような屈辱に耐え抜いてきた。 ――だが、国からも学園からも捨てられた今、もうその約束を守る必要はない。 「さようなら、皆様。……私が消えた後、この国がどうなろうと知ったことではありませんわ」 リリアーヌが身につけていた「魔力封印の首飾り」を自ら引き千切った瞬間、会場は漆黒の魔力に包まれた。 彼女は無能などではない。失われた「古代魔法」をその身に宿す、真の魔道の主だったのだ。 絶望する王太子たちを余目に、隣国の伝説の魔術師アルベルトに拾われたリリアーヌ。 彼女の、残酷で、甘美な復讐劇が今、幕を開ける――。

もう私、好きなようにさせていただきますね? 〜とりあえず、元婚約者はコテンパン〜

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「婚約破棄ですね、はいどうぞ」 婚約者から、婚約破棄を言い渡されたので、そういう対応を致しました。 もう面倒だし、食い下がる事も辞めたのですが、まぁ家族が許してくれたから全ては大団円ですね。 ……え? いまさら何ですか? 殿下。 そんな虫のいいお話に、まさか私が「はい分かりました」と頷くとは思っていませんよね? もう私の、使い潰されるだけの生活からは解放されたのです。 だって私はもう貴方の婚約者ではありませんから。 これはそうやって、自らが得た自由の為に戦う令嬢の物語。 ※本作はそれぞれ違うタイプのざまぁをお届けする、『野菜の夏休みざまぁ』作品、4作の内の1作です。    他作品は検索画面で『野菜の夏休みざまぁ』と打つとヒット致します。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

婚約破棄の翌日に謝罪されるも、再び婚約する気はありません

黒木 楓
恋愛
 子爵令嬢パトリシアは、カルスに婚約破棄を言い渡されていた。  激務だった私は婚約破棄になったことに内心喜びながら、家に帰っていた。  婚約破棄はカルスとカルスの家族だけで決めたらしく、他の人は何も知らない。  婚約破棄したことを報告すると大騒ぎになり、私の協力によって領地が繁栄していたことをカルスは知る。  翌日――カルスは謝罪して再び婚約して欲しいと頼み込んでくるけど、婚約する気はありません。

「証拠なら全て記録してあります」——記録魔法しか取り柄がないと捨てられた令嬢、婚約破棄の場で三年分の不正を読み上げる

歩人
ファンタジー
伯爵令嬢アネットの唯一の魔法は『記録《レコード》』——見たもの聞いたものを 一字一句記憶する地味な能力。婚約者の侯爵子息ヴィクトルは「戦えない魔法など 無価値だ」と婚約破棄を宣言する。だがアネットは微笑んだ。「承知いたしました。 では最後に一つだけ——」。彼女が読み上げ始めたのは、ヴィクトルが三年間で横領した 軍事費の明細。日付、金額、共犯者の名前、密会の会話。全て『記録』済み。 満座の貴族が凍りつく中、王宮監察官が静かに立ち上がった。 「……続けてください、アネット嬢」。 婚約破棄の舞台は、そのまま公開裁判になった。

処理中です...