32 / 40
第三十二話 「助けてほしい」と言える場所
しおりを挟む
第三十二話 「助けてほしい」と言える場所
第十五週目の週次報告は、これまでと同じ数字を並べていた。
税収、微増。
流通量、横ばい。
価格指数、安定。
誰もが、もう見慣れた数値だ。
危機でもなく、好況でもない。
淡々と続く“現状”。
だが、その朝、王太子コンラートの執務室に届けられた一通の文書は、これまでとは明らかに性質が違っていた。
『支援の要請』
短い文言。
送り主は、地方都市の職人組合。
側近が、緊張した面持ちで言う。
「殿下……ついに、来ました」
「ああ」
コンラートは、静かに頷いた。
「だが、これは“戻った”わけじゃない」
文書を開き、ゆっくりと読み進める。
内容は、切迫したものではあったが、悲鳴ではなかった。
需要の低下。
人員の確保が難しくなっていること。
このままでは、半年後に技術の継承が途切れる可能性。
そして、最後に添えられた一文。
『全面的な救済ではなく、
選択肢についての相談を希望します』
コンラートは、その一文を何度も読み返した。
「……相談、か」
側近が、恐る恐る尋ねる。
「殿下。
支援を出すのでしょうか」
「いいや」
即答だった。
「だが、無視もしない」
午前の定例会議。
その文書は、すぐに議題に上げられた。
「地方職人組合からの要請です。
内容は、限定的な支援と、制度上の柔軟措置の相談」
ざわめきが起きる。
「ついに、頼ってきたか」 「守らない方針を、崩すのか」
そんな空気の中で、コンラートは静かに口を開いた。
「これは、方針が試されている場面だ」
会議室が、静まる。
「私は、守らないと言った。
だが、“助けてほしいと言うことを禁じる”とは言っていない」
その言葉に、誰かが息を呑んだ。
「支えないというのは、
沈黙を強いることではない」
コンラートは、はっきりと続ける。
「自分で考えた上で、
それでも足りない部分を言葉にする。
その行為自体を、否定しない」
ヴォルフガング・ハルトマンが、深く頷いた。
「……助けを求める自由を、
取り上げてはいなかった、ということですな」
「そうだ」
コンラートは、肯定する。
「むしろ、
ここまで誰も“軽々しく”助けを求めなかったことを、
私は評価している」
決定は、すぐに下された。
全面的な支援はしない。
だが、組合代表を王宮に招き、
状況を聞き、
選択肢を整理する場を設ける。
それだけだ。
だが、それは――
救済よりも、ずっと重い対応だった。
数日後、王宮の小会議室。
地方職人組合の代表が、緊張した面持ちで席に着く。
「殿下……」
言葉に詰まる代表に、コンラートは先に言った。
「今日は、お願いを聞く場ではない」
代表の肩が、わずかに強張る。
「だが、話を聞く場だ」
その一言で、空気が変わった。
代表は、ゆっくりと現状を語り始める。
需要が戻らないこと。
若手が流出していること。
無理に続ければ、全員が潰れること。
「……だから、
何を選ぶべきか、分からなくなりました」
正直な言葉だった。
コンラートは、黙って聞き続ける。
途中で、遮らない。
評価もしない。
話が終わった後、彼は静かに言った。
「続けるか、縮小するか、
それとも、一部を手放すか」
選択肢を、並べる。
「私は、どれを選んでも責めない」
代表が、驚いた顔をする。
「殿下……?」
「支援を出さなくても、
選択を許すことはできる」
それは、金銭よりも重要な支えだった。
「今日は、決めなくていい。
だが、決めるときは、
“誰かに守られているから”ではなく、
“自分たちで選んだ”と言える形で決めてほしい」
代表の目に、涙が滲んだ。
「……ありがとうございます」
それは、感謝ではなく、
安堵の言葉だった。
その夜、王都の酒場では、この話題が静かに広がっていた。
「……助けを求めたらしいな」 「ああ。でも、金は出てない」 「じゃあ、意味ないじゃないか」 「いや」 「?」 「話を聞いたらしい」 「……それだけか?」 「それだけ、だ」
その“それだけ”が、
今の国にとっては、重かった。
ノクティア侯爵邸で、エヴァレット・ノクティアは報告を読み、静かに目を閉じた。
「……ようやく、
“助けてほしい”と言える場所が生まれましたわね」
守らない政策は、
時に、人を黙らせる。
だが、今は違う。
「沈黙ではなく、
言葉が戻ってきた」
それは、信頼の次の段階だ。
深夜、王宮の執務室。
コンラートは、窓の外を見つめていた。
「……助けを求める声が、
怖くなくなった」
以前なら、
それは失敗の証だった。
だが、今は違う。
「自分で考えた末の声なら、
それは、国が生きている証だ」
第十五週目は、
数字の週ではない。
言葉が戻ってきた週だった。
助けを求める自由。
選択に迷う自由。
そして、自分で決める自由。
王太子コンラートは、
ようやく理解していた。
国を強くするのは、
黙らせることではない。
声を上げられる場所を、
壊さずに残すことなのだ。
第十五週目の週次報告は、これまでと同じ数字を並べていた。
税収、微増。
流通量、横ばい。
価格指数、安定。
誰もが、もう見慣れた数値だ。
危機でもなく、好況でもない。
淡々と続く“現状”。
だが、その朝、王太子コンラートの執務室に届けられた一通の文書は、これまでとは明らかに性質が違っていた。
『支援の要請』
短い文言。
送り主は、地方都市の職人組合。
側近が、緊張した面持ちで言う。
「殿下……ついに、来ました」
「ああ」
コンラートは、静かに頷いた。
「だが、これは“戻った”わけじゃない」
文書を開き、ゆっくりと読み進める。
内容は、切迫したものではあったが、悲鳴ではなかった。
需要の低下。
人員の確保が難しくなっていること。
このままでは、半年後に技術の継承が途切れる可能性。
そして、最後に添えられた一文。
『全面的な救済ではなく、
選択肢についての相談を希望します』
コンラートは、その一文を何度も読み返した。
「……相談、か」
側近が、恐る恐る尋ねる。
「殿下。
支援を出すのでしょうか」
「いいや」
即答だった。
「だが、無視もしない」
午前の定例会議。
その文書は、すぐに議題に上げられた。
「地方職人組合からの要請です。
内容は、限定的な支援と、制度上の柔軟措置の相談」
ざわめきが起きる。
「ついに、頼ってきたか」 「守らない方針を、崩すのか」
そんな空気の中で、コンラートは静かに口を開いた。
「これは、方針が試されている場面だ」
会議室が、静まる。
「私は、守らないと言った。
だが、“助けてほしいと言うことを禁じる”とは言っていない」
その言葉に、誰かが息を呑んだ。
「支えないというのは、
沈黙を強いることではない」
コンラートは、はっきりと続ける。
「自分で考えた上で、
それでも足りない部分を言葉にする。
その行為自体を、否定しない」
ヴォルフガング・ハルトマンが、深く頷いた。
「……助けを求める自由を、
取り上げてはいなかった、ということですな」
「そうだ」
コンラートは、肯定する。
「むしろ、
ここまで誰も“軽々しく”助けを求めなかったことを、
私は評価している」
決定は、すぐに下された。
全面的な支援はしない。
だが、組合代表を王宮に招き、
状況を聞き、
選択肢を整理する場を設ける。
それだけだ。
だが、それは――
救済よりも、ずっと重い対応だった。
数日後、王宮の小会議室。
地方職人組合の代表が、緊張した面持ちで席に着く。
「殿下……」
言葉に詰まる代表に、コンラートは先に言った。
「今日は、お願いを聞く場ではない」
代表の肩が、わずかに強張る。
「だが、話を聞く場だ」
その一言で、空気が変わった。
代表は、ゆっくりと現状を語り始める。
需要が戻らないこと。
若手が流出していること。
無理に続ければ、全員が潰れること。
「……だから、
何を選ぶべきか、分からなくなりました」
正直な言葉だった。
コンラートは、黙って聞き続ける。
途中で、遮らない。
評価もしない。
話が終わった後、彼は静かに言った。
「続けるか、縮小するか、
それとも、一部を手放すか」
選択肢を、並べる。
「私は、どれを選んでも責めない」
代表が、驚いた顔をする。
「殿下……?」
「支援を出さなくても、
選択を許すことはできる」
それは、金銭よりも重要な支えだった。
「今日は、決めなくていい。
だが、決めるときは、
“誰かに守られているから”ではなく、
“自分たちで選んだ”と言える形で決めてほしい」
代表の目に、涙が滲んだ。
「……ありがとうございます」
それは、感謝ではなく、
安堵の言葉だった。
その夜、王都の酒場では、この話題が静かに広がっていた。
「……助けを求めたらしいな」 「ああ。でも、金は出てない」 「じゃあ、意味ないじゃないか」 「いや」 「?」 「話を聞いたらしい」 「……それだけか?」 「それだけ、だ」
その“それだけ”が、
今の国にとっては、重かった。
ノクティア侯爵邸で、エヴァレット・ノクティアは報告を読み、静かに目を閉じた。
「……ようやく、
“助けてほしい”と言える場所が生まれましたわね」
守らない政策は、
時に、人を黙らせる。
だが、今は違う。
「沈黙ではなく、
言葉が戻ってきた」
それは、信頼の次の段階だ。
深夜、王宮の執務室。
コンラートは、窓の外を見つめていた。
「……助けを求める声が、
怖くなくなった」
以前なら、
それは失敗の証だった。
だが、今は違う。
「自分で考えた末の声なら、
それは、国が生きている証だ」
第十五週目は、
数字の週ではない。
言葉が戻ってきた週だった。
助けを求める自由。
選択に迷う自由。
そして、自分で決める自由。
王太子コンラートは、
ようやく理解していた。
国を強くするのは、
黙らせることではない。
声を上げられる場所を、
壊さずに残すことなのだ。
0
あなたにおすすめの小説
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
『魔力ゼロの欠陥品』と蔑まれた伯爵令嬢、卒業パーティーで婚約破棄された瞬間に古代魔法が覚醒する ~虐げられ続けた三年間、倍返しでは足りない~
スカッと文庫
恋愛
「貴様のような無能、我が国の王妃には相応しくない。婚約を破棄し、学園から追放する!」
王立魔道学園の卒業パーティー。きらびやかなシャンデリアの下、王太子エドワードの声が冷酷に響いた。彼の隣には、愛くるしい表情で私を嵌めた男爵令嬢、ミナが勝ち誇ったように寄り添っている。
伯爵令嬢のリリアーヌは、入学以来三年間、「魔力ゼロの欠陥品」として学園中の嘲笑を浴び続けてきた。
婚約者であるエドワードからは一度も顧みられず、同級生からはゴミのように扱われ、ミナの自作自演による「いじめ」の濡れ衣まで着せられ……。
それでも、父との「力を隠せ」という約束を守るため、泥を啜るような屈辱に耐え抜いてきた。
――だが、国からも学園からも捨てられた今、もうその約束を守る必要はない。
「さようなら、皆様。……私が消えた後、この国がどうなろうと知ったことではありませんわ」
リリアーヌが身につけていた「魔力封印の首飾り」を自ら引き千切った瞬間、会場は漆黒の魔力に包まれた。
彼女は無能などではない。失われた「古代魔法」をその身に宿す、真の魔道の主だったのだ。
絶望する王太子たちを余目に、隣国の伝説の魔術師アルベルトに拾われたリリアーヌ。
彼女の、残酷で、甘美な復讐劇が今、幕を開ける――。
もう私、好きなようにさせていただきますね? 〜とりあえず、元婚約者はコテンパン〜
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「婚約破棄ですね、はいどうぞ」
婚約者から、婚約破棄を言い渡されたので、そういう対応を致しました。
もう面倒だし、食い下がる事も辞めたのですが、まぁ家族が許してくれたから全ては大団円ですね。
……え? いまさら何ですか? 殿下。
そんな虫のいいお話に、まさか私が「はい分かりました」と頷くとは思っていませんよね?
もう私の、使い潰されるだけの生活からは解放されたのです。
だって私はもう貴方の婚約者ではありませんから。
これはそうやって、自らが得た自由の為に戦う令嬢の物語。
※本作はそれぞれ違うタイプのざまぁをお届けする、『野菜の夏休みざまぁ』作品、4作の内の1作です。
他作品は検索画面で『野菜の夏休みざまぁ』と打つとヒット致します。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
婚約破棄の翌日に謝罪されるも、再び婚約する気はありません
黒木 楓
恋愛
子爵令嬢パトリシアは、カルスに婚約破棄を言い渡されていた。
激務だった私は婚約破棄になったことに内心喜びながら、家に帰っていた。
婚約破棄はカルスとカルスの家族だけで決めたらしく、他の人は何も知らない。
婚約破棄したことを報告すると大騒ぎになり、私の協力によって領地が繁栄していたことをカルスは知る。
翌日――カルスは謝罪して再び婚約して欲しいと頼み込んでくるけど、婚約する気はありません。
「証拠なら全て記録してあります」——記録魔法しか取り柄がないと捨てられた令嬢、婚約破棄の場で三年分の不正を読み上げる
歩人
ファンタジー
伯爵令嬢アネットの唯一の魔法は『記録《レコード》』——見たもの聞いたものを
一字一句記憶する地味な能力。婚約者の侯爵子息ヴィクトルは「戦えない魔法など
無価値だ」と婚約破棄を宣言する。だがアネットは微笑んだ。「承知いたしました。
では最後に一つだけ——」。彼女が読み上げ始めたのは、ヴィクトルが三年間で横領した
軍事費の明細。日付、金額、共犯者の名前、密会の会話。全て『記録』済み。
満座の貴族が凍りつく中、王宮監察官が静かに立ち上がった。
「……続けてください、アネット嬢」。
婚約破棄の舞台は、そのまま公開裁判になった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる