引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾

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第7話 扉の前の宣告

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第7話 扉の前の宣告

 その日は、朝から空気が重かった。

 スター公爵家の屋敷では、使用人たちが必要以上に静かに動いていた。
 足音を忍ばせ、視線を交わさず、まるで何かを恐れているかのように。

 その理由を、ポーラ・スターは知らない。

 分厚い扉の向こう側で、彼女はいつも通り、ベッドの端に腰掛けていた。
 膝には毛布。
 机の上には、白紙の紙とペン。

 今日は、胸の奥が落ち着かない。

 災害の予感ではない。
 天候のざわめきでもない。

 もっと、人為的な――
 誰かの強い感情が、こちらへ向かってくるような感覚だった。

 ポーラは、無意識に毛布を強く握りしめる。

 ――嫌な予感。

 だが、それが何なのかは分からない。
 分かってしまうのが、怖かった。

 ◇

 昼前、屋敷の正面に馬車が止まった。

 王家の紋章。
 それを見た使用人たちは、一斉に顔色を変える。

 馬車から降りてきたのは、王太子リチャードだった。
 護衛と数名の側近を引き連れ、迷いのない足取りで屋敷の奥へと進んでいく。

 スター公爵は、応接間で待っていた。

 「殿下……」

 公爵は立ち上がり、深く頭を下げる。

 だが、リチャードはそれを軽く制し、短く告げた。

 「形式は不要だ。
 今日は、伝えることがあって来た」

 その声に、迷いはなかった。

 「……娘の件でしょうか」

 スター公爵の問いに、リチャードははっきりと頷く。

 「ポーラ・スターについてだ」

 公爵は、胸の奥に冷たいものが落ちるのを感じた。
 だが、何も言えない。

 「彼女は、聖女としての務めを果たしていない」

 淡々と、しかし断定的に言葉が続く。

 「人前に出ず、祈りの儀式にも参加せず、
 民に安心を与えることもできていない」

 「……あの子は、対人恐怖症で……」

 「承知している」

 だが、リチャードは一切譲らない。

 「だからこそ、問題なのだ」

 「務めを果たせない事情があるなら、
 最初からその座にあるべきではない」

 スター公爵は、唇を噛みしめた。

 反論したい言葉はいくつもあった。
 だが、王太子の決意は固い。

 「私は、決断した」

 リチャードは、きっぱりと言い切る。

 「ポーラ・スターを、聖女の任から解く。
 そして、私との婚約も破棄する」

 その言葉は、屋敷の空気を一変させた。

 ◇

 しばらくして、リチャードは護衛を伴い、屋敷の最奥へと向かった。

 目的地は、一つしかない。

 分厚い扉の前で、足を止める。

 そこが、ポーラの世界の境界だった。

 「……ポーラ・スター」

 リチャードは、扉越しに名を呼ぶ。

 その声は、よく通る。
 逃げ場はない。

 扉の向こうで、ポーラの身体が強張った。

 心臓が、激しく脈打つ。
 喉が、きゅっと締めつけられる。

 来てしまった。
 一番、来てほしくない人が。

 「聞いているだろう。
 私は、王太子リチャードだ」

 返事はない。

 ポーラは、声を出せなかった。
 出そうとした瞬間、呼吸が乱れ、身体が震え始める。

 「お前は、部屋に籠もり、
 聖女の務めを果たしていない」

 言葉が、一つずつ、扉を叩く。

 「祈りの場に姿を見せず、
 民の前に立つこともなく、
 その責務を放棄している」

 ポーラは、両手で耳を塞ぎたくなった。
 だが、それすらできず、ただ身を縮める。

 「よって、ここに宣言する」

 声が、冷たく響く。

 「ポーラ・スター。
 お前を、聖女の任から解く」

 一拍。

 「そして――
 私との婚約を、破棄する」

 沈黙が落ちた。

 返事を待つような間。
 だが、扉の向こうから声は返らない。

 ポーラの世界は、音を失っていた。

 何を言われたのか、正確には理解できていない。
 ただ、「終わった」という感覚だけが、胸に広がる。

 恐怖。
 そして――

 奇妙なほどの、軽さ。

 やがて、リチャードは苛立ったように息を吐いた。

 「……返事もできないのか」

 その一言には、失望と軽蔑が混じっていた。

 「やはり、無理だったな」

 そう言い残し、彼は踵を返す。

 護衛と側近たちが続き、足音は次第に遠ざかっていった。

 ◇

 完全に静かになってから、ポーラはその場に座り込んだ。

 身体が、まだ震えている。

 だが、涙は出なかった。

 怖かった。
 とても怖かった。

 けれど、それ以上に――

 終わったのだ、という感覚があった。

 聖女でいること。
 婚約者でいること。

 どちらも、彼女が望んだ役割ではない。

 しばらくして、ポーラはゆっくりと立ち上がり、机へ向かった。

 ペンを取り、紙を前に置く。

 手は震えていたが、文字は書ける。

 返事は、声ではなく、これでいい。

 だが、それを書くのは、もう少し後でいい。

 今はただ、
 胸の鼓動が落ち着くのを待つだけだった。

 扉の向こうで下された宣告は、
 彼女の人生を大きく変えるものだった。

 だがこの時点では、
 それが「解放」の始まりであることを、
 誰も知らない。
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