引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾

文字の大きさ
7 / 39

第7話 扉の前の宣告

しおりを挟む
第7話 扉の前の宣告

 その日は、朝から空気が重かった。

 スター公爵家の屋敷では、使用人たちが必要以上に静かに動いていた。
 足音を忍ばせ、視線を交わさず、まるで何かを恐れているかのように。

 その理由を、ポーラ・スターは知らない。

 分厚い扉の向こう側で、彼女はいつも通り、ベッドの端に腰掛けていた。
 膝には毛布。
 机の上には、白紙の紙とペン。

 今日は、胸の奥が落ち着かない。

 災害の予感ではない。
 天候のざわめきでもない。

 もっと、人為的な――
 誰かの強い感情が、こちらへ向かってくるような感覚だった。

 ポーラは、無意識に毛布を強く握りしめる。

 ――嫌な予感。

 だが、それが何なのかは分からない。
 分かってしまうのが、怖かった。

 ◇

 昼前、屋敷の正面に馬車が止まった。

 王家の紋章。
 それを見た使用人たちは、一斉に顔色を変える。

 馬車から降りてきたのは、王太子リチャードだった。
 護衛と数名の側近を引き連れ、迷いのない足取りで屋敷の奥へと進んでいく。

 スター公爵は、応接間で待っていた。

 「殿下……」

 公爵は立ち上がり、深く頭を下げる。

 だが、リチャードはそれを軽く制し、短く告げた。

 「形式は不要だ。
 今日は、伝えることがあって来た」

 その声に、迷いはなかった。

 「……娘の件でしょうか」

 スター公爵の問いに、リチャードははっきりと頷く。

 「ポーラ・スターについてだ」

 公爵は、胸の奥に冷たいものが落ちるのを感じた。
 だが、何も言えない。

 「彼女は、聖女としての務めを果たしていない」

 淡々と、しかし断定的に言葉が続く。

 「人前に出ず、祈りの儀式にも参加せず、
 民に安心を与えることもできていない」

 「……あの子は、対人恐怖症で……」

 「承知している」

 だが、リチャードは一切譲らない。

 「だからこそ、問題なのだ」

 「務めを果たせない事情があるなら、
 最初からその座にあるべきではない」

 スター公爵は、唇を噛みしめた。

 反論したい言葉はいくつもあった。
 だが、王太子の決意は固い。

 「私は、決断した」

 リチャードは、きっぱりと言い切る。

 「ポーラ・スターを、聖女の任から解く。
 そして、私との婚約も破棄する」

 その言葉は、屋敷の空気を一変させた。

 ◇

 しばらくして、リチャードは護衛を伴い、屋敷の最奥へと向かった。

 目的地は、一つしかない。

 分厚い扉の前で、足を止める。

 そこが、ポーラの世界の境界だった。

 「……ポーラ・スター」

 リチャードは、扉越しに名を呼ぶ。

 その声は、よく通る。
 逃げ場はない。

 扉の向こうで、ポーラの身体が強張った。

 心臓が、激しく脈打つ。
 喉が、きゅっと締めつけられる。

 来てしまった。
 一番、来てほしくない人が。

 「聞いているだろう。
 私は、王太子リチャードだ」

 返事はない。

 ポーラは、声を出せなかった。
 出そうとした瞬間、呼吸が乱れ、身体が震え始める。

 「お前は、部屋に籠もり、
 聖女の務めを果たしていない」

 言葉が、一つずつ、扉を叩く。

 「祈りの場に姿を見せず、
 民の前に立つこともなく、
 その責務を放棄している」

 ポーラは、両手で耳を塞ぎたくなった。
 だが、それすらできず、ただ身を縮める。

 「よって、ここに宣言する」

 声が、冷たく響く。

 「ポーラ・スター。
 お前を、聖女の任から解く」

 一拍。

 「そして――
 私との婚約を、破棄する」

 沈黙が落ちた。

 返事を待つような間。
 だが、扉の向こうから声は返らない。

 ポーラの世界は、音を失っていた。

 何を言われたのか、正確には理解できていない。
 ただ、「終わった」という感覚だけが、胸に広がる。

 恐怖。
 そして――

 奇妙なほどの、軽さ。

 やがて、リチャードは苛立ったように息を吐いた。

 「……返事もできないのか」

 その一言には、失望と軽蔑が混じっていた。

 「やはり、無理だったな」

 そう言い残し、彼は踵を返す。

 護衛と側近たちが続き、足音は次第に遠ざかっていった。

 ◇

 完全に静かになってから、ポーラはその場に座り込んだ。

 身体が、まだ震えている。

 だが、涙は出なかった。

 怖かった。
 とても怖かった。

 けれど、それ以上に――

 終わったのだ、という感覚があった。

 聖女でいること。
 婚約者でいること。

 どちらも、彼女が望んだ役割ではない。

 しばらくして、ポーラはゆっくりと立ち上がり、机へ向かった。

 ペンを取り、紙を前に置く。

 手は震えていたが、文字は書ける。

 返事は、声ではなく、これでいい。

 だが、それを書くのは、もう少し後でいい。

 今はただ、
 胸の鼓動が落ち着くのを待つだけだった。

 扉の向こうで下された宣告は、
 彼女の人生を大きく変えるものだった。

 だがこの時点では、
 それが「解放」の始まりであることを、
 誰も知らない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

今更困りますわね、廃妃の私に戻ってきて欲しいだなんて

nanahi
恋愛
陰謀により廃妃となったカーラ。最愛の王と会えないまま、ランダム転送により異世界【日本国】へ流罪となる。ところがある日、元の世界から迎えの使者がやって来た。盾の神獣の加護を受けるカーラがいなくなったことで、王国の守りの力が弱まり、凶悪モンスターが大繁殖。王国を救うため、カーラに戻ってきてほしいと言うのだ。カーラは日本の便利グッズを手にチート能力でモンスターと戦うのだが…

【完結】お飾り妃〜寵愛は聖女様のモノ〜

恋愛
今日、私はお飾りの妃となります。 ※実際の慣習等とは異なる場合があり、あくまでこの世界観での要素もございますので御了承ください。

断罪された薔薇の話

倉真朔
恋愛
悪名高きロザリンドの断罪後、奇妙な病気にかかってしまった第二王子のルカ。そんなこと知るよしもなく、皇太子カイルと彼の婚約者のマーガレットはルカに元気になってもらおうと奮闘する。  ルカの切ない想いを誰が受け止めてくれるだろうか。  とても切ない物語です。  この作品は、カクヨム、小説家になろうにも掲載中。   

【完結】婚約破棄して泥を投げつけた元婚約者が「無能」と笑う中、光り輝く幼なじみの王子に掠め取られました。

ムラサメ
恋愛
​「お前のような無能、我が家には不要だ。今すぐ消えろ!」 ​婚約者・エドワードのために身を粉にして尽くしてきたフィオナは、卒業パーティーの夜、雨の中に放り出される。 泥にまみれ、絶望に沈む彼女の前に現れたのは、かつての幼なじみであり、今や国中から愛される「黄金の王子」シリルだった。 ​「やっと見つけた。……ねえ、フィオナ。あんなゴミに君を傷つけさせるなんて、僕の落ち度だね」 ​汚れを厭わずフィオナを抱き上げたシリルは、彼女を自分の屋敷へと連れ帰る。 「自分には価値がない」と思い込むフィオナを、シリルは異常なまでの執着と甘い言葉で、とろけるように溺愛し始めて――。 ​一方で、フィオナを捨てたエドワードは気づいていなかった。 自分の手柄だと思っていた仕事も、領地の繁栄も、すべてはフィオナの才能によるものだったということに。 ボロボロになっていく元婚約者。美しく着飾られ、シリルの腕の中で幸せに微笑むフィオナ。 ​「僕の星を捨てた報い、たっぷりと受けてもらうよ?」 ​圧倒的な光を放つ幼なじみによる、最高に華やかな逆転劇がいま始まる!

【完】瓶底メガネの聖女様

らんか
恋愛
伯爵家の娘なのに、実母亡き後、後妻とその娘がやってきてから虐げられて育ったオリビア。 傷つけられ、生死の淵に立ったその時に、前世の記憶が蘇り、それと同時に魔力が発現した。 実家から事実上追い出された形で、家を出たオリビアは、偶然出会った人達の助けを借りて、今まで奪われ続けた、自分の大切なもの取り戻そうと奮闘する。 そんな自分にいつも寄り添ってくれるのは……。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

婚約破棄されたので、隠していた聖女の力で聖樹を咲かせてみました

Megumi
恋愛
偽聖女と蔑まれ、婚約破棄されたイザベラ。 「お前は地味で、暗くて、何の取り柄もない」 元婚約者である王子はそう言い放った。 十年間、寡黙な令嬢を演じ続けた彼女。 その沈黙には、理由があった。 その夜、王都を照らす奇跡の光。 枯れた聖樹が満開に咲き誇り、人々は囁いた。 「真の聖女が目覚めた」と——

処理中です...