28 / 39
第28話 一方的な宣言
しおりを挟む
第28話 一方的な宣言
嵐の夜が明けても、空は晴れなかった。
雨は弱まったものの、厚い雲は低く垂れ込み、風は相変わらず不規則に吹き荒れている。王都の人々は、濡れた地面を踏みしめながら、疲れ切った顔で一日を始めていた。
その朝、王城では慌ただしい動きがあった。
王太子リチャードは、夜明けと同時に執務室へ入り、側近たちを集めていた。外套は濡れたまま、目の下には隠しきれない疲労の色が浮かんでいる。だが、その表情には、奇妙な高揚が混じっていた。
「準備を進める」
唐突な言葉に、側近たちは互いに顔を見合わせる。
「……何の、準備でしょうか」
リチャードは、机に手を置き、はっきりと言った。
「ポーラ・スターの聖女復帰だ。即刻だ」
一瞬、空気が凍りつく。
「聖女復帰……しかし殿下、本人の同意は」
「問題ない」
即答だった。
「昨夜、話をした。返事はなかったが、反応はあった」
それは、事実の半分を、都合よく切り取った言葉だった。
扉越しに渡された一枚のメモ。
「外は危険です」
それを、拒絶ではなく、受諾の前兆だと判断したのは、リチャード自身だ。
「彼女は、まだ国を見捨ててはいない」
そう言い切る声には、確信というより、願望が滲んでいた。
「正式に、聖女に再任命する。式典の準備を急げ」
「婚約についてもだ。破棄は無効とし、再び私の婚約者とする」
側近の一人が、思わず言葉を挟む。
「ですが……それは、本人の意思を確認せずに」
リチャードは、苛立ちを隠さず睨み返した。
「国がこの状況だ。個人の感情を優先している余裕はない」
それは、正論の形をした独善だった。
国のため。
王太子としての責務。
その言葉の裏で、彼はまだ理解していない。
自分が向き合うべきは、聖女という役割ではなく、
一人の人間だったということを。
その頃、城下町では、不穏な噂が広がり始めていた。
「聖女様が戻るらしい」
「本当か? あの引きこもりの……」
「でも、あの人がいた頃は、ここまで酷くなかった」
期待と不安が入り混じり、民衆の感情は揺れている。
聖女復帰の噂は、救いとして語られる一方で、
誰も、その当人の気持ちを考えてはいなかった。
午後。
フォージャー子爵は、王城からの知らせを受け、深く息を吐いた。
「……やはり、そう来たか」
彼の脳裏に浮かぶのは、昨夜の嵐と、扉の向こうの静けさ。
「同意なき復帰は、救いではない」
むしろ、それは、
同じ過ちを、より強引な形で繰り返すだけだ。
彼は、急ぎスター公爵家へ向かう準備を始めた。
一方、そのスター公爵家。
分厚い扉の向こうで、ポーラは静かに座っていた。
外の音は、以前よりもはっきりと感じ取れる。
風の向き。
雨の重さ。
地面を流れる水の気配。
机の上には、昨夜書いた紙が置かれている。
「城前の橋は、今夜、流されます」
その文字を見つめながら、彼女は、ゆっくりとカーテンに手を伸ばした。
ほんの少しだけ、隙間を開ける。
重い雲。
濁った空気。
増水した川の匂い。
胸の奥が、静かにざわめいた。
王太子の言葉を、彼女は思い返していない。
聖女復帰。
再婚約。
それらは、彼女にとって、
もう現実の選択肢ではなかった。
ただ一つ、確かなことがある。
外は、危険だということ。
そして、その危険は、まだ終わっていないということ。
ポーラは、ペンを取り、
紙の端に、小さく書き足した。
「急がないでください」
それは懇願ではなく、命令でもない。
ただ、事実を伝えるための言葉。
だが、その紙は、まだ扉に貼られない。
なぜなら、
彼女には分かっていた。
今の王太子は、
どんな言葉も、
自分の都合のいい意味にしか、受け取らないことを。
その頃、城前の橋では、
濁流が、静かに、
しかし確実に、
橋脚を削り始めていた。
王太子リチャードは、
自分の決断が「正しい」と信じたまま、
次の行動へと進もうとしている。
だがその足元では、
すでに、
崩壊の音が、
かすかに、鳴り始めていた。
嵐の夜が明けても、空は晴れなかった。
雨は弱まったものの、厚い雲は低く垂れ込み、風は相変わらず不規則に吹き荒れている。王都の人々は、濡れた地面を踏みしめながら、疲れ切った顔で一日を始めていた。
その朝、王城では慌ただしい動きがあった。
王太子リチャードは、夜明けと同時に執務室へ入り、側近たちを集めていた。外套は濡れたまま、目の下には隠しきれない疲労の色が浮かんでいる。だが、その表情には、奇妙な高揚が混じっていた。
「準備を進める」
唐突な言葉に、側近たちは互いに顔を見合わせる。
「……何の、準備でしょうか」
リチャードは、机に手を置き、はっきりと言った。
「ポーラ・スターの聖女復帰だ。即刻だ」
一瞬、空気が凍りつく。
「聖女復帰……しかし殿下、本人の同意は」
「問題ない」
即答だった。
「昨夜、話をした。返事はなかったが、反応はあった」
それは、事実の半分を、都合よく切り取った言葉だった。
扉越しに渡された一枚のメモ。
「外は危険です」
それを、拒絶ではなく、受諾の前兆だと判断したのは、リチャード自身だ。
「彼女は、まだ国を見捨ててはいない」
そう言い切る声には、確信というより、願望が滲んでいた。
「正式に、聖女に再任命する。式典の準備を急げ」
「婚約についてもだ。破棄は無効とし、再び私の婚約者とする」
側近の一人が、思わず言葉を挟む。
「ですが……それは、本人の意思を確認せずに」
リチャードは、苛立ちを隠さず睨み返した。
「国がこの状況だ。個人の感情を優先している余裕はない」
それは、正論の形をした独善だった。
国のため。
王太子としての責務。
その言葉の裏で、彼はまだ理解していない。
自分が向き合うべきは、聖女という役割ではなく、
一人の人間だったということを。
その頃、城下町では、不穏な噂が広がり始めていた。
「聖女様が戻るらしい」
「本当か? あの引きこもりの……」
「でも、あの人がいた頃は、ここまで酷くなかった」
期待と不安が入り混じり、民衆の感情は揺れている。
聖女復帰の噂は、救いとして語られる一方で、
誰も、その当人の気持ちを考えてはいなかった。
午後。
フォージャー子爵は、王城からの知らせを受け、深く息を吐いた。
「……やはり、そう来たか」
彼の脳裏に浮かぶのは、昨夜の嵐と、扉の向こうの静けさ。
「同意なき復帰は、救いではない」
むしろ、それは、
同じ過ちを、より強引な形で繰り返すだけだ。
彼は、急ぎスター公爵家へ向かう準備を始めた。
一方、そのスター公爵家。
分厚い扉の向こうで、ポーラは静かに座っていた。
外の音は、以前よりもはっきりと感じ取れる。
風の向き。
雨の重さ。
地面を流れる水の気配。
机の上には、昨夜書いた紙が置かれている。
「城前の橋は、今夜、流されます」
その文字を見つめながら、彼女は、ゆっくりとカーテンに手を伸ばした。
ほんの少しだけ、隙間を開ける。
重い雲。
濁った空気。
増水した川の匂い。
胸の奥が、静かにざわめいた。
王太子の言葉を、彼女は思い返していない。
聖女復帰。
再婚約。
それらは、彼女にとって、
もう現実の選択肢ではなかった。
ただ一つ、確かなことがある。
外は、危険だということ。
そして、その危険は、まだ終わっていないということ。
ポーラは、ペンを取り、
紙の端に、小さく書き足した。
「急がないでください」
それは懇願ではなく、命令でもない。
ただ、事実を伝えるための言葉。
だが、その紙は、まだ扉に貼られない。
なぜなら、
彼女には分かっていた。
今の王太子は、
どんな言葉も、
自分の都合のいい意味にしか、受け取らないことを。
その頃、城前の橋では、
濁流が、静かに、
しかし確実に、
橋脚を削り始めていた。
王太子リチャードは、
自分の決断が「正しい」と信じたまま、
次の行動へと進もうとしている。
だがその足元では、
すでに、
崩壊の音が、
かすかに、鳴り始めていた。
0
あなたにおすすめの小説
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです
古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。
皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。
他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。
救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。
セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。
だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。
「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」
今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
【完結】薔薇の花をあなたに贈ります
彩華(あやはな)
恋愛
レティシアは階段から落ちた。
目を覚ますと、何かがおかしかった。それは婚約者である殿下を覚えていなかったのだ。
ロベルトは、レティシアとの婚約解消になり、聖女ミランダとの婚約することになる。
たが、それに違和感を抱くようになる。
ロベルト殿下視点がおもになります。
前作を多少引きずってはいますが、今回は暗くはないです!!
11話完結です。
この度改編した(ストーリーは変わらず)をなろうさんに投稿しました。
【完結】裏切られたあなたにもう二度と恋はしない
たろ
恋愛
優しい王子様。あなたに恋をした。
あなたに相応しくあろうと努力をした。
あなたの婚約者に選ばれてわたしは幸せでした。
なのにあなたは美しい聖女様に恋をした。
そして聖女様はわたしを嵌めた。
わたしは地下牢に入れられて殿下の命令で騎士達に犯されて死んでしまう。
大好きだったお父様にも見捨てられ、愛する殿下にも嫌われ酷い仕打ちを受けて身と心もボロボロになり死んでいった。
その時の記憶を忘れてわたしは生まれ変わった。
知らずにわたしはまた王子様に恋をする。
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
役立たずと捨てられた万能建築士、隣国で「聖域」を造って無双する。今さら復興のために戻れ? ご自分たちで瓦礫でも積んでいればよろしいのでは?
しょくぱん
恋愛
「お前の魔法は石を積むだけの土木作業だ」と婚約破棄されたので、城を支えていた『構造維持結界』をすべて解除して出て行きますね。今さら「城が崩れる!」と泣きつかれても、私は隣国で氷結の皇帝陛下と「世界最高の聖域」を造っていますので、一切知りません。
王国唯一の建築魔導師アニエスは、その地味な見た目と能力を理由に、王太子シグムンドから婚約破棄と国外追放を言い渡される。 彼の隣には、派手な光魔法を使う自称聖女の姿があった。
「お前の代わりなどいくらでもいる。さっさと出て行け!」 「……分かりました。では、城にかけていた『自動修復』『耐震』『空調』の全術式を解約しますね」
アニエスが去った直後、王城は音を立てて傾き、噴水は泥水に変わり、王都のインフラは崩壊した。 一方、アニエスは隣国の荒野で、呪われた皇帝レオンハルトと出会う。彼女が何気なく造った一夜の宿は、呪いを浄化するほどの「聖域」だった。
「君は女神か? どうか私の国を救ってほしい」 「喜んで。ついでに世界一快適な住居も造っていいですか?」
隣国がアニエスの力で黄金の国へと発展する一方、瓦礫の山となった母国からは「戻ってきてくれ」と悲痛な手紙が届く。 だが、アニエスは冷ややかに言い放つ。 「お断りします。契約外ですので、ご自分で支えていればよろしいのでは?」
これは、捨てられた万能建築士が隣国で溺愛され、幸せを掴む物語。 そして、彼女を捨てた者たちが、物理的にも社会的にも「崩壊」し、最後には彼女が架ける橋の『礎石』として永遠に踏まれ続けるまでの、壮絶な因果応報の記録。
氷の公爵は、捨てられた私を離さない
空月そらら
恋愛
「魔力がないから不要だ」――長年尽くした王太子にそう告げられ、侯爵令嬢アリアは理不尽に婚約破棄された。
すべてを失い、社交界からも追放同然となった彼女を拾ったのは、「氷の公爵」と畏れられる辺境伯レオルド。
彼は戦の呪いに蝕まれ、常に激痛に苦しんでいたが、偶然触れたアリアにだけ痛みが和らぐことに気づく。
アリアには魔力とは違う、稀有な『浄化の力』が秘められていたのだ。
「君の力が、私には必要だ」
冷徹なはずの公爵は、アリアの価値を見抜き、傍に置くことを決める。
彼の元で力を発揮し、呪いを癒やしていくアリア。
レオルドはいつしか彼女に深く執着し、不器用に溺愛し始める。「お前を誰にも渡さない」と。
一方、アリアを捨てた王太子は聖女に振り回され、国を傾かせ、初めて自分が手放したものの大きさに気づき始める。
「アリア、戻ってきてくれ!」と見苦しく縋る元婚約者に、アリアは毅然と告げる。「もう遅いのです」と。
これは、捨てられた令嬢が、冷徹な公爵の唯一無二の存在となり、真実の愛と幸せを掴むまでの逆転溺愛ストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる