引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾

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第28話 一方的な宣言

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第28話 一方的な宣言

 嵐の夜が明けても、空は晴れなかった。

 雨は弱まったものの、厚い雲は低く垂れ込み、風は相変わらず不規則に吹き荒れている。王都の人々は、濡れた地面を踏みしめながら、疲れ切った顔で一日を始めていた。

 その朝、王城では慌ただしい動きがあった。

 王太子リチャードは、夜明けと同時に執務室へ入り、側近たちを集めていた。外套は濡れたまま、目の下には隠しきれない疲労の色が浮かんでいる。だが、その表情には、奇妙な高揚が混じっていた。

 「準備を進める」

 唐突な言葉に、側近たちは互いに顔を見合わせる。

 「……何の、準備でしょうか」

 リチャードは、机に手を置き、はっきりと言った。

 「ポーラ・スターの聖女復帰だ。即刻だ」

 一瞬、空気が凍りつく。

 「聖女復帰……しかし殿下、本人の同意は」

 「問題ない」

 即答だった。

 「昨夜、話をした。返事はなかったが、反応はあった」

 それは、事実の半分を、都合よく切り取った言葉だった。

 扉越しに渡された一枚のメモ。
 「外は危険です」

 それを、拒絶ではなく、受諾の前兆だと判断したのは、リチャード自身だ。

 「彼女は、まだ国を見捨ててはいない」

 そう言い切る声には、確信というより、願望が滲んでいた。

 「正式に、聖女に再任命する。式典の準備を急げ」

 「婚約についてもだ。破棄は無効とし、再び私の婚約者とする」

 側近の一人が、思わず言葉を挟む。

 「ですが……それは、本人の意思を確認せずに」

 リチャードは、苛立ちを隠さず睨み返した。

 「国がこの状況だ。個人の感情を優先している余裕はない」

 それは、正論の形をした独善だった。

 国のため。
 王太子としての責務。
 その言葉の裏で、彼はまだ理解していない。

 自分が向き合うべきは、聖女という役割ではなく、
 一人の人間だったということを。

 その頃、城下町では、不穏な噂が広がり始めていた。

 「聖女様が戻るらしい」
 「本当か? あの引きこもりの……」
 「でも、あの人がいた頃は、ここまで酷くなかった」

 期待と不安が入り混じり、民衆の感情は揺れている。

 聖女復帰の噂は、救いとして語られる一方で、
 誰も、その当人の気持ちを考えてはいなかった。

 午後。

 フォージャー子爵は、王城からの知らせを受け、深く息を吐いた。

 「……やはり、そう来たか」

 彼の脳裏に浮かぶのは、昨夜の嵐と、扉の向こうの静けさ。

 「同意なき復帰は、救いではない」

 むしろ、それは、
 同じ過ちを、より強引な形で繰り返すだけだ。

 彼は、急ぎスター公爵家へ向かう準備を始めた。

 一方、そのスター公爵家。

 分厚い扉の向こうで、ポーラは静かに座っていた。

 外の音は、以前よりもはっきりと感じ取れる。
 風の向き。
 雨の重さ。
 地面を流れる水の気配。

 机の上には、昨夜書いた紙が置かれている。

 「城前の橋は、今夜、流されます」

 その文字を見つめながら、彼女は、ゆっくりとカーテンに手を伸ばした。

 ほんの少しだけ、隙間を開ける。

 重い雲。
 濁った空気。
 増水した川の匂い。

 胸の奥が、静かにざわめいた。

 王太子の言葉を、彼女は思い返していない。

 聖女復帰。
 再婚約。

 それらは、彼女にとって、
 もう現実の選択肢ではなかった。

 ただ一つ、確かなことがある。

 外は、危険だということ。
 そして、その危険は、まだ終わっていないということ。

 ポーラは、ペンを取り、
 紙の端に、小さく書き足した。

 「急がないでください」

 それは懇願ではなく、命令でもない。

 ただ、事実を伝えるための言葉。

 だが、その紙は、まだ扉に貼られない。

 なぜなら、
 彼女には分かっていた。

 今の王太子は、
 どんな言葉も、
 自分の都合のいい意味にしか、受け取らないことを。

 その頃、城前の橋では、
 濁流が、静かに、
 しかし確実に、
 橋脚を削り始めていた。

 王太子リチャードは、
 自分の決断が「正しい」と信じたまま、
 次の行動へと進もうとしている。

 だがその足元では、
 すでに、
 崩壊の音が、
 かすかに、鳴り始めていた。
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