婚約を奪った義妹は王太子妃になりましたが、王子が廃嫡され“廃嫡王子の妻”になりました

鷹 綾

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第九話 試される者

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第九話 試される者

 王妃教育が始まって三日目の朝。

 フロレッタは目覚めた瞬間、胸の奥に重さを感じた。

 祝宴の夜の高揚は、もう思い出のように遠い。
 代わりにあるのは、分厚い書物と赤い訂正線。

 机の上には、昨夜提出した要約が戻されていた。

 余白に整然と並ぶ指摘。

 ――根拠が曖昧。
 ――条文番号を明記せよ。
 ――「感覚」で語るな。

 王妃の筆跡は美しく、そして冷酷だった。

「本日より、口頭試問を行います」

 講義室で告げられたその一言に、フロレッタの背筋が凍る。

「昨日までの内容を踏まえ、現在の外交均衡を説明なさい」

 唐突な問い。

 補佐官たちの視線が一斉に向けられる。

 フロレッタは唇を湿らせる。

「隣国との条約により、東方は安定しております。しかし……」

「しかし?」

「……ええと……」

 言葉が途切れる。

 頭の中で、条約の条文が断片的に浮かんでは消える。

「条約は均衡ではありません」

 王妃が静かに言う。

「均衡とは、力の配置です。軍備、経済、婚姻」

 婚姻。

 その言葉に、フロレッタの胸が小さく跳ねる。

「王族の婚姻も、外交です」

 王妃の視線は真っ直ぐだった。

「あなたの立場は、国の一部であることを忘れてはならない」

 フロレッタは小さく頷く。

 けれど内心では、戸惑いが広がっていた。

 私は、愛される存在ではないの?

 ルシアン殿下の隣に立つ、優しい王妃になるだけでは足りないの?

 昼休み、廊下でルシアンに会う。

「顔色が悪いぞ」

 彼は軽く笑う。

「母上は昔から厳しい」

「難しすぎますわ……」

「気にするな」

 彼は肩を抱く。

「いずれは慣れる。政治は私がやる」

 その言葉は甘い。

 けれど、どこか空虚だ。

「殿下は、軍費の削減についてどうお考えですか」

 思わず口をついて出た問い。

「軍費?」

「ええ……教育で聞きましたの」

 ルシアンは眉をひそめる。

「辺境は大げさだ。侵攻など起きはしない」

「ですが……」

「心配性だな」

 彼は笑う。

「母上の影響か?」

 フロレッタは黙る。

 王妃の冷たい視線と、ルシアンの軽い笑顔。

 どちらが正しいのか、分からない。

 夜、再び試問。

「王家の歳出のうち、宮殿維持費の割合は」

「……存じません」

 即答できなかった。

 王妃は静かに目を伏せる。

「王妃になる者が、国の出費を知らない」

 その言葉は責めるでもなく、ただ事実を突きつける。

 「勉強なさい」

 それだけで終わる。

 だが、その一言が何より重い。

 一方、辺境。

 セラフィーナは交易報告を受けていた。

「南方からの輸送路が安定しました」

「警備は?」

「巡回を強化しております」

 彼女は地図を見つめる。

 軍費削減の影響が、ここに及ぶ可能性。

 王都では軽く扱われる数字が、辺境では命に直結する。

「侯爵」

 彼女は振り向く。

「中央は、辺境を信頼しているのでしょうか」

「信頼というより、依存だ」

 ヴァレントは淡々と答える。

「崩れぬと信じている」

 崩れないと、決めつけている。

 セラフィーナは小さく息を吐く。

 王宮での教育。
 軍費の話。
 そしてルシアンの軽さ。

 違和感が、形を持ち始める。

 夜、フロレッタは机に向かいながら、ふと姉を思い出す。

 お姉様なら、どう答えただろう。

 あの冷静な眼差し。
 数字を恐れない態度。

 胸の奥に、わずかな影が落ちる。

 私は選ばれたはずなのに。

 どうして、試されているような気がするのだろう。

 祝福の中心に立つ者。

 だがその中心は、決して安らぎの場所ではない。

 王宮の灯りは今日も明るい。

 しかしその光は、逃げ場を与えない。

 フロレッタはまだ気づかない。

 試されているのは、愛ではなく、資質であることを。
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