婚約を奪った義妹は王太子妃になりましたが、王子が廃嫡され“廃嫡王子の妻”になりました

鷹 綾

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第十話 涙の価値

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第十話 涙の価値

 王妃教育が始まって十日目の朝。

 フロレッタは鏡の前に立ちながら、自分の顔を見つめていた。

 目の下に、わずかな影。
 頬の血色も、以前より薄い。

 祝宴の夜、あれほど輝いて見えた自分が、今は少し遠い。

「本日の講義は外交儀礼です」

 侍女が告げる。

 外交。

 それは華やかな席の延長だと思っていた。
 微笑み、柔らかく言葉を交わすだけの場。

 だが講義室で待っていたのは、華やかさとは程遠い緊張だった。

「仮想の場面を想定します」

 王妃が静かに告げる。

「隣国の王太子が、王国の軍備削減を非難した場合、あなたはどう応じるか」

 フロレッタの心臓が跳ねる。

「軍備削減は……平和への意思の表れ、と」

「具体性がありません」

 即座に返される。

「削減率は? 背景は? 財政的根拠は?」

 数字が飛ぶ。

 条約が飛ぶ。

 言葉が絡まる。

「……申し訳ございません」

 思わず、視線を落とす。

 沈黙。

 王妃はしばらく彼女を見つめ、やがて口を開く。

「涙で外交はできません」

 冷たいが、淡々とした声。

 その瞬間、フロレッタの視界が滲む。

 泣くつもりはなかった。

 けれど、込み上げるものを止められなかった。

 ぽたり、と机に雫が落ちる。

 補佐官の一人が小さく息を呑む。

「……失礼いたしました」

 フロレッタは必死に拭う。

「本日はここまでにします」

 王妃は感情を乗せずに告げる。

「明日、再試問を行います」

 退出を許され、廊下に出た瞬間、膝から力が抜けた。

 壁にもたれ、深く息を吸う。

 どうして。

 どうしてこんなに難しいの。

 王妃になるだけなのに。

 ルシアンに会いたい。

 そう思い、彼の私室へ向かう。

「殿下……」

「どうした?」

 軽い声。

 彼は書類を眺めながら、顔を上げる。

 その書類の端には、見慣れない印章があった。

「教育が……」

 言葉が詰まり、また涙が滲む。

「母上に泣かされたか」

 彼はため息をつく。

「厳しすぎるのだ」

 その一言に、胸が緩む。

 味方がいる。

「殿下が、お話ししてくだされば……」

「今は無理だ」

 あっさりとした返答。

「財政の調整で忙しい」

「財政……?」

「軍費の件だ。辺境は過剰だ」

 軽く言い放つ。

「削っても問題ない」

 フロレッタは言葉を失う。

 今日、王妃から問われた内容が、頭をよぎる。

 軍備削減。

 外交の均衡。

 それは、軽く扱っていいものではなかったのでは。

「母上は心配性だ」

 ルシアンは笑う。

「心配など不要だ」

 彼の自信は揺らがない。

 その自信に、以前なら安心できた。

 けれど今は。

 ほんの少しだけ、胸の奥に違和感が残る。

 一方、辺境。

 セラフィーナは南方の商人と対面していた。

「中央からの注文が減っております」

「理由は」

「軍備の縮小だと」

 彼女は静かに頷く。

 数字が繋がる。

 中央で削られる軍費。
 辺境で減る注文。

 そして国境の不安。

「輸出先を分散しましょう」

「よろしいのですか」

「依存は危険です」

 商人は深く頭を下げる。

 決断は迅速。

 迷いはない。

 夜。

 フロレッタは再び机に向かう。

 涙の跡は乾いている。

 だが胸の奥に残るのは、言葉。

 涙で外交はできません。

 私は、何で評価されるのだろう。

 愛らしさ?

 微笑み?

 それとも。

 数字と条文?

 王宮の灯りは今日も煌々と輝く。

 だがその光は、弱さを照らし出す。

 涙は流せる。

 だが涙は、立場を守らない。

 フロレッタはまだ知らない。

 泣くことが許されるのは、選ばれている間だけだということを。
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