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2. 嘘吐きな婚約者
しおりを挟む(……あれは、なんだったの?)
ヤケ食いも買い物もする気分でもなくなってしまい、私はそのまま帰ることにした。
御者はいきなり帰ると言われて困っていたけれど、私は一旦、頭の中を整理したかった。
屋敷に戻った私は一人にしてとお願いして部屋に閉じこもる。
そして自分の見た光景について考えた。
(ハインリヒ様、すごく楽しそうだったわ……)
私の前ではいつも穏やかな笑顔を見せてくれていたけど、その笑顔とは全然違っていた。
決して初対面の人に見せる笑顔ではない。
しかも、マリーアンネ様の話から推測するに今日だけの話ではないのだから、彼女とはもう何度も会っているのだと思う。
「……仕事で忙しい、というのも嘘だったの?」
私は机の上に置いてあるままだったあの二行の手紙を手に取って呟いた。
この内容が素っ気なくなった手紙も、他に好きな人が出来て浮気しているせいだと思えば説明がつく。
「だからって……このまま目を瞑ってズルズルと流されて結婚するわけにはいかないわ」
こんなモヤモヤした気持ちを抱えたまま幸せな花嫁になんてなれない。
そしてそれは、おばあ様の望みとも違うはず。
「確かめなくちゃ……!」
彼女はどこの誰なのか。
全然、見覚えがなかったので少なくとも私が親しくしている令嬢ではない。
今、分かるのはそれだけ。
そして、彼女とハインリヒ様がどういう関係なのか……ハッキリさせないと。
私は顔を上げて勢いよく立ち上がると、ベルクマン侯爵家へと急いだ。
❈❈❈
「……あれ? ナターリエさん? どうして?」
ベルクマン侯爵家を訪ねた私を出迎えたのは、義理の母親となる予定の侯爵夫人のそんな驚きの声だった。
「えっと……どうして? とはどういう意味でしょうか?」
屋敷に上がらせてもらい、応接間で腰を落ち着けた私は、何かに驚いている様子の夫人にそう訊ねる。
すると、侯爵夫人は首を捻りながら言った。
「私が聞き間違えたのかしらね? ハインリヒは今日もナターリエさんと出かけると言っていた気がしたのだけど……」
「私と……? 仕事、ではなく?」
「ええ」
夫人はどこか困った顔で頷く。
(……ちょっと待って?)
今、今日“も”……今日もだと言わなかった……?
私はしばらくハインリヒ様と会っていないのに?
まさかと思い私は訊ねる。
「あの……ハインリヒ様って最近、お仕事は……」
「え? あら? 最近、人手が増えて前より仕事の割り振りが減って、忙しさも落ち着いたから、ナターリエさんとデートしているのでしょう? 連日連れ回してごめんなさいね?」
「……連日」
ピシッと私の笑顔が固まる。
人手が増えて仕事の割り振りが減った?
忙しさも落ち着いた?
連日、ナターリエとデート?
(…………おかしいわね、何の話? これ、時空でも歪んだのかしら?)
どれもこれも私が聞いていた話と違うわ!!
「もうすぐ結婚するのだから少しは落ち着きなさいと言ったのに、だからこそなんだって言うのよ。今のうちにナターリエさんと恋人気分を味わっておきたいみたいなの。忙しいのにごめんなさいね?」
「……だから、こそ。恋人気分」
(…………それで、あの女性との恋人繋ぎなの?)
聞けば聞くほど、もう浮気にしか聞こえない。
私は膝の上で拳をギュッと握りしめる。
もちろん、心の中は怒りでいっぱいだ。
無理! こんな仕打ち……黙っていられない!
「それにしてもハインリヒったら今日はどうしたのかしら? もうすぐ帰って来るとは思うのだけど──」
「あの! 違うのです」
ハインリヒ様にことの真相を確かめる前に話すのは告げ口みたいで嫌だけど、これはさすがに未来の嫁として言わせてもらう!
「違う?」
「はい。ハインリヒ様は私に──」
───忙しくてしばらく会えないし手紙も書けないと言ってきたんです。
そう言いかけた時だった。
玄関が騒がしくなった。
「あ……ナターリエさん。ごめんなさいね、ハインリヒが帰ってきたのかも」
「え……」
そう言って夫人は立ち上がって玄関の様子を見に部屋から出て行ってしまう。
あまりのタイミングの悪さにわたしはガックリ肩を落とした。
(落ち着こう)
私は、出されたお茶を飲みながら自分にそう言い聞かせる。
もしも、今、玄関が騒がしくなったのが本当にハインリヒ様の帰宅なら、あれがどういうことなのかを問い詰めないといけない。
「───え? ナターリエが?」
部屋で待っているとそんな声が聞こえて来た。
この声は間違いなくハインリヒ様。
「ハインリヒ、今日もナターリエさんと出かけると言っていなかった?」
「え! いや……それは母上の聞き間違いじゃないかな? 今日はナターリエではなく、友人と出かけると言ったはずだ」
ハインリヒ様が必死に母親に誤魔化している声が聞こえる。
(黒、黒、黒! こんなの真っ黒だわ!!)
溢れそうになる涙をどうにか抑えて私は顔を上げる。
それと同時に、ハインリヒ様と夫人が部屋に入って来た。
「ナ……ナターリエ」
部屋の中にいる私の姿を認めたハインリヒ様が引き攣った表情で私の名前を呼んだ。
まるで、本当にいた……そう言っているみたい。
私は、ふざけないでよと睨みつけたい気持ちを抑えて、にっこり笑顔で応えた。
「ご機嫌よう、ハインリヒ様」
「あ、ああ、うん……急に訪ねてくるなんて……ナターリエにしては珍しいよね? どうしたんだい?」
「……お会いしたくて訪ねて来てたのですが……迷惑……でしたか?」
「い、いや? そんなことはないよ」
ハインリヒ様は動揺が収まったのかいつもの優しい笑顔を浮かべた。
あの光景を見る前の私なら、この笑顔に安心感を覚えていたものだけど……
今は、安心感ではなく不信感。
「……母上、ナターリエと二人で話がしたいので席を外してもらえるかな?」
「え? ええ……」
そして、ハインリヒ様は母親を追い出しにかかった。
嘘をついたのがバレるのが嫌だから……と思われる。
「あなた達、もうすぐ結婚だけどだからと言って無体なことは……」
「ははは、母上。僕がそんなことするわけないだろう? ナターリエのことは大事に思っているんだから」
ハインリヒ様は心配する母親に向かって笑顔でそう言って部屋から追い出した。
そして、母親が出て行ったのを確認したハインリヒ様が私の向かい側に腰を下ろした。
「えっと、ナターリエ? 本当に急にどうしたんだい?」
「……」
「ナターリエ?」
私がなかなか答えないからか、ハインリヒ様は不思議そうに首を傾げる。
「ナター……」
「お忙しい……のではなかったのですか?」
「え?」
「───仕事が前より忙しくなったので、会えない。申し訳ないが、手紙もしばらく返信出来ないと思う……そんなお手紙を頂きましたけど?」
私のその言葉にハインリヒ様は小さく「ああ……」と呟くとすぐに笑顔になった。
「今日は珍しく仕事が落ち着いたから早く帰って来れたんだ。だからナターリエに会いに行こうかなとか考えていた所だったんだ」
「……」
「そうしたら、驚いたよ。ナターリエがここにいたからさ」
マリーアンネ様から話を聞いていなければ。
あなたが見知らぬ女性と手を繋いでその手にキスしている所を見ていなければ。
(私はこの言葉を信じてしまったでしょうね)
何もかもが薄っぺらく聞こえてしまうことが悲しい。
とても悲しい。
私はギリッと唇を噛んだ。
「……えっと、嘘……ですよね?」
「え? 嘘?」
「……さっき、夫人から聞きました。最近のあなたの仕事は忙しくなかったこと。それから、私と出かけると行って連日どこかに出かけていることを……」
ハインリヒ様の顔が驚きの表情に変わる。
「ま、待ってくれ、ナターリエ。それは誤解……いや、母上の勘違──……」
「それと!」
私は最後まで聞かずに語気を強める。
仕事が忙しいと嘘をついたことより何より知りたいのはこっちだから。
「ハインリヒ様……あなたが街で女性と手を繋いでいる所も見かけました。彼女はどこの誰ですか?」
「なっ……」
ハインリヒ様はヒュッと息を呑んだ。
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