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42. 大事なもの
しおりを挟むガックリと項垂れ膝から崩れ落ちるハインリヒ様。
そんな彼の目は完全に虚ろで、もはや心ここに在らずといった状態。
(──これでいい加減、分かってもらえたかしらね?)
力無く崩れたハインリヒ様はもう自分では動けないようなので、リヒャルト様が城の使用人を呼び、彼らに引き摺られるようにして部屋から出ていった。
そのままベルクマン侯爵家に強制送還となるらしい。
連れられていくハインリヒ様の姿をヴァネッサ嬢はその場から一歩も動けずにただただ黙って見つめていた。
そんなヴァネッサ嬢の顔色はかなり悪い。
(まぁ、この場で一人残されたらそんな顔色にもなるわよね)
そんなことを考えながら私はヴァネッサ嬢に近付く。
「いいところ取りするつもりだったのに残念ね?」
「──ひっ!?」
「見たかったのでしょう? 私の絶望した顔」
「……っっ!」
私に声をかけられたヴァネッサ嬢が小さな悲鳴を上げたあとはキッと睨みつけてくる。
その顔を見て思った。
(不思議……)
かつての自分……ヘンリエッテの顔とそっくりな顔立ちのはずなのに全く、“自分”だとは思えない。
「……どういう意味ですか」
「どうって……そのままの意味よ?」
私がにっこり微笑むとヴァネッサ嬢の顔が悔しそうに歪んだ。
「その姿は嫌味ですか」
「ええ、そうよ。だって憎いはずのヘンリエッテに一生懸命なろうとしていた貴女に“本物”を見せてあげようと思って」
「────っっっ」
ヴァネッサ嬢の顔が怒りで真っ赤になる。
そして下を向きながら悔しそうに唇をギリッと噛んでいた。
「───コルネリア」
「!?」
私が前世の名で呼びかけると怯えながら顔を上げた。
震えるヴァネッサ嬢と目が合う。
「前にも似たようなこと聞いたかしら? ────貴女は幸せになれた?」
ヴァネッサ嬢が無言で大きく目を開く。
「───っっ!」
「……」
ヴァネッサ嬢はまた、下を向いてしまったので私のその問いに答えてくれなかった。
けれど、真っ青な顔で大きく震えて動揺していたその姿が全ての答えだと思った。
私は冷たくヴァネッサ嬢を一瞥すると、そのまま向きを変えて彼女に背を向けた。
「リヒャルト様、行きましょう?」
「……もう、いいのか?」
「はい、充分です。だって……」
私、ナターリエがこれから目一杯幸せになることが、コルネリアの記憶を持つヴァネッサ嬢にとって一番悔しいことだから。
(そして、ヴァネッサ嬢はこの先……どの道を選んでも地獄しかないのよ……)
「───地獄への招待状はちゃんと渡せたみたいなので」
「地獄…………そうか」
リヒャルト様はそれ以上は何も聞かずに微笑み返してくれた。
この人のこういう所が好きだわ、と私は改めて思った。
(つ、疲れたわ……)
全てが終わって、ヴァネッサ嬢一人を残して部屋から出た私はそこで電池が切れたように完全に力が抜けてしまう。
(こ、転ぶ……!?)
「───ナターリエ!」
「あ、リヒャルト様……すみません」
フラッと倒れそうになった私を慌てて抱きとめてくれたリヒャルト様。
安心出来る温もりに包まれた私はそのまま身体を預ける。
「大丈夫か?」
「はい……気を張りすぎてかなり疲れたみたいです……」
特に前世のことを思い出すと肉体的にも精神的にもかなり負荷が大きかった。
「無理もない。ナターリエはまだ思い出したばかりだからな」
「……」
リヒャルト様がギュッと力を込めて私を抱きしめる。
「……今は、このまま……帰らせるわけにはいかないな」
「え?」
「───俺の部屋で少し休んで行くといい」
「!?」
そう言ってリヒャルト様は、ひょいっとまた私を横抱きにした。
リヒャルト様に抱き上げられて王宮の廊下を歩く。
この時にすれ違った人たちの目線が今回も生あたたかく感じたのはきっと気のせいではないと思う。
(やっぱり恥ずかしいわ……)
リヒャルト様は全然気にしている様子はなく、私を抱えたままスタスタと涼しい顔をして歩いている。
「あの? ……この間も思ったのですけど!」
「うん?」
「──私、重くないですか?」
「まさか!」
「え?」
リヒャルト様は即答する。
そのことに驚いていると、リヒャルト様は苦笑しながら言った。
「軟弱そうに見えるかもしれないけど、それなりに鍛えているから大丈夫だ」
「そ、そうなのですか? でも、なぜ──……?」
「…………機会があるかは分からなかったけど、大事なものを守りたかったから……だ」
私の問いかけにリヒャルト様は耳まで真っ赤なしながらそう答えた。
「大事な……もの?」
「……」
私が首を傾げるとリヒャルト様の顔がますます赤くなる。
「そう……だ。い、今、俺の腕の中にある……」
「え? 今……って…………っっっ!」
リヒャルト様の言う“大事なもの”がなにか分かったので、私の顔も赤くなる。
(もう! どれだけ私のことを大事にしてくれようとするのよ!)
そう思ったら胸がキュンとしてドキドキしてくる。
改めて思う。
(好き……私、リヒャルト様が大好き!)
前世が大好きだったテオバルトだから……とかそんなことは二の次で。
今、こうして私のことを大事にしてくれようとするリヒャルト様のことが好き。
「………好き」
「? ナターリエ? 今、何か言ったか?」
「……」
私はリヒャルト様の首の後ろに回していた腕に力を入れてギュッと密着する。
「ナ、ナターリエ、き、君は何……を!?」
「も、もっと、ギュッてしたくなりました!」
「!?」
リヒャルト様が分かりやすく動揺した。
(その反応……可愛い……)
思わずフフッと笑ってしまう。
そして、これは今日の格好のせい?
普段はほとんど感じない“テオバルト”をリヒャルト様からすごく感じる。
(少しくらい思い出話をしてみてもいいかしら?)
「───懐かしいですね」
「え? 懐かしい?」
「テオバルトはよくこうやってヘンリエッテを運んでくれたもの」
ヘンリエッテは抱き抱えられた時にトクントクンと聞こえるテオバルトの心臓の音が好きでよく聞いていた。
テオバルトはあまり感情を顔に出す方ではなかったけれど、照れた時だけは分かりやすかったから。
その心臓の音がヘンリエッテのことを好きだと思ってくれている。そう感じられる瞬間がとにかく幸せだった。
「しょうがないだろう? ヘンリエッテ様はお転婆姫だったんだから」
「ふふ、ごめんなさい?」
「……全く」
私たちは顔を見合せて微笑み合う。
そしてそのまま、そっと互いの顔を近付けようとした所で、ここが王宮の廊下のど真ん中だということに気付き慌てて顔を離す。
(ああ危なっっ! ひ、人前だったーー!)
「……」
「……」
「ナ、ナターリエ……い、急ごう、か」
「ハ、ハイ……」
私が照れながら頷くとリヒャルト様の足取りが早くなったのが分かる。
そして、私はこの後のことを想像してしまい、心臓のドキドキが凄すぎて今にも飛び出しそうになっていた。
(でも、こんな時間も幸せ……)
その後……
この日の私たちの様子を見かけた人たちに、それはそれは仲睦まじい婚約者同士だと噂されたり、そのことをマリーアンネ様にもからかわれたり……こっそりリヒャルト様と手を繋いで街デートしたり……
そんな落ち着いた日々を過ごしていたら……
ようやくベルクマン侯爵家から慰謝料に関する手紙が我が家に届いた。
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