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第18話 突然の訪問者

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 若菜が嫌だって言おうと、全身にキスしてやろうと思ってた。頭から、つま先まで。
 あんなに昨日求められて、俺のこと、嫌いなはずないから。
 『嫌よ嫌よも好きのうち』……とかいう言葉は、俺は信じてないけれど(本当に嫌な子だっているはずだろ?)、若菜が自らあんなに求めてくれたってことは、『ゆっくり』、『丁寧に』求めれば、きっと応じてくれるはずだ。
 もちろん、正式に付き合えるまで、最後までは手を出さないけどな。
 あぁ、俺マジで褒めてほしいわ。

 俺はおでこ、頬、唇へとキスをしていく。
 若菜は時々、照れくさそうに、身をよじって応えてくれる。

「雅貴……」
 
 若菜の、蒸気した顔。

 ーー可愛い。
 俺は今、めちゃくちゃ幸せだ。



 ーーピンポーン!

「んっ! 雅貴、誰か来たみたい。私出てくる」
「バカ。んな格好で出て欲情されたらどうすんだよ。俺が行く」

 ーー嫌な、予感がした。

「はい。なんですか?」

 俺は玄関を軽く開けた。
 ……嫌な予感は的中した。そうだと思ったんだ。

「おはよう。やっぱり居たか、鈴木」
「吉野先輩……」

 先輩が持つスーパーの袋から、何やらたくさん品物が見えた。風邪薬に、スポーツドリンクに、冷えピタに、野菜、米。

 ーー看病しにきたってことか。

「どしたの? 雅貴。だぁれ?」

 若菜は服を直してから玄関へトコトコ歩いてきた。

「あ……よし……じゃなかった、直樹先輩」
「おはよ。若菜ちゃん。直樹って呼んでくれてありがとう。
 調子はどう? 買い物も辛いかなって思って、いろいろ買ってきたんだ。上がっていいかな?」
「あ、いろいろとすみません。昨日も送っていただいたのに」
「気にしなくていいんだよ。……ていうか、今も鈴木と一緒かなって思ってさ。これも、嫉妬心からくる、俺の建前……ごめん。図々しくて」

 直樹先輩は恥ずかしそうに短い前髪をかき上げた。私が大好きな、かっこいいなって思う、先輩の仕草の1つ。

「でも……」

 私はチラリと、雅貴を見る。

「いいですよ、先輩、若菜。俺に気を遣わなくて。……でも。俺もここにいますからね」
「だと思ったよ。じゃあ、お邪魔していいかな? 若菜ちゃん」
「……はい」

 若菜は髪を耳にかけていた。
 真っ赤な耳。照れてるんだろう。
 でも、多分若菜は気づいていない。
 かきあげることで見えた、俺のたくさんのキスマークに。

「なかなか、くるな……」

 いつも爽やかな先輩が、見たことないような苦い顔をする。
 さすがに先輩は気がついた。
 俺がつけたキスマークで、先輩がつけたキスマークが上書きされてるってことにも気がついたはず。

「じゃあ、お邪魔するね」
「あ、あの……!」
「ん?」
「どうしたの若菜ちゃん」

 若菜は顔面を真っ赤にして、かつ俯いて言った。

「お風呂、入ってきていいですか? 私、汗たくさんかいているから……」
「いいよ。ゆっくりしてきて。台所、借りるからね」
「は、はいっ」

 若菜はクローゼットから衣類を取り出し、風呂場へ走って行った。パタパタと走って、お前はペンギンか!

 ーー全く、これだから無防備だって言ってんだよ。いつもいつも。

 俺はため息混じりに先輩に言う。

「若菜、相当鈍いですから」
「そうみたいだね。……でも俺は、いつも一生懸命で直向きな彼女に惚れたんだ」
「まぁそれは俺も、否定しませんけど」
「だよな」

 俺たちはキッチンに並びながら、朝ごはんを用意している。今日はおかゆとちょっとしたおかずだ。
 
 多分、気になるんだろう。
 自分が帰ったあの後から、俺たちの間に何があったのか。先輩は、やたらと饒舌だ。

「若菜ちゃんと付き合ってるのが鈴木とはな。まぁ、その仲の良さなら納得できるけど。正直、手強いなって思ってるよ」
「あの……聞きたかったんすけど、佐々木先輩と付き合ってない、若しくは付き合ってたっていうのは勘違いですか?」

「あのさ、なんでここで佐々木が出てくるのか不思議なんだけど、付き合ってもないしそんな感情抱いたことないよ。……でも、なんでそう思ったんだ?」

 ーー墓穴掘った。

 この流れじゃ、答え方によっては若菜が好きだった人は先輩だってバレちまうかも。……察しのいい先輩だ。もしかしたら、もう気がつかせてしまったかもしれない。

「いや、仲良いんで……」

 俺は当たり障りなく答えてみる。

「佐々木には、俺の恋愛相談乗っててもらっただけだよ。同期だしな。お前と若菜ちゃんみたいなもんだよ」
「……若菜ちゃん、って、呼ぶようにしたんすね」
「ああ、それに、直樹って呼んでもらうことにした」
「……知ってます」

 ……沈黙の、時間が流れる。
 沈黙を助長させるのは、野菜を切る包丁の音と、炊飯器から出る水蒸気の、無機質な音だけ。

「あのさ、いつから付き合ってんの?」
「最近っすよ」

 先輩は大きくため息をついた。

「佐々木の言うとおりだな。もっと早く、アピールしとけばよかった」
「先輩のルックスと性格なら、百戦錬磨じゃないんすか?」
「……まぁ、そう言われることが多いことは、否定しないけど。俺意外と、ピュアなんだよね」
「ピュアって。なんか……先輩が言うと違和感しかないっす」
「ははは。そうかもね」


「あ、あのっ、お待たせ……しました」

 ーーったく学ばねえな、若菜は。なんでそんな格好で来ちまうんだか。

 濡れた髪。髪から滴る雫。
 蒸気した顔。
 大きめのゆるっとTシャツに、ショート丈のパンツ。パンツから、真っ白で艶かしい足が見えているうえに、ゆるっと着たTシャツの肩から、下着らしき黒い布が見える。
 全く若菜ってヤツは(怒)。襲ってくれって言ってるもんだぞ?

「若菜ちゃん、髪濡れたままじゃん」
「あ、あのっ、急いだ方がいいのかなって、思いまして」

「鈴木……、俺にもチャンスくれないか?」
「というと?」
「髪、乾かしてあげてもいいかな」
「……」

 ーー本当は、触れさせたくない。若菜の髪の毛の一本一本にすら、独占欲があるから。
 でも俺は、本来横恋慕してる立場。
 意固地になって、止めていいものでもない。
 本当は、めちゃくちゃ嫌だけど。

「若菜がいいなら……」
「ありがとう、鈴木」

 ーーありがとう、か。
 (仮)でも、カレカノとして尊重してくれるあたりが、吉野先輩らしい。聡い先輩だから、さっき掘った俺の墓穴で、多分気づいてるはずだ。
 ーー若菜が大好きだったのは、吉野先輩自分
だったってことに。

「若菜ちゃん、こっちおいで? 髪、乾かしてあげる」
「ふぇっ⁉︎ だ、大丈夫ですよ、自分でできますっ」
「そうじゃなくて。俺にも、チャンスちょうだい?」
「え? は、はい……」

 俺は、振り向かなかった。
 いや、振り向けなかった。
 わざと料理に集中した。
 本当は何話してるか、どうやって髪乾かしてるか、聞きたくない。
 でも、聞きたい。

 俺の中の両天秤が、左右に大きく傾く。
 ーーツライ……。

「さ、若菜ちゃん。俺の膝の上に乗って?」
「ええっ⁉︎  わ、私重いですよ?」
「若菜ちゃん、それってさ、世の中の女性にガチで喧嘩売ってるから」
「ええっ。じゃあ、お邪魔します」
「喜んで」

 ーーブオオオオオオ!

 ドライヤーの音でここからは聞こえなくなった。
 先輩は若菜を膝に乗せて、さぞご満悦だろう。
 などと、俺の感情は皮肉まみれに染まっていく。
 それに。
 首周りにつけた新しいキスマークに、先輩が気づかないはずない。もしまた、上書きされたらめちゃくちゃショックだ。

 振り向きたい。
 けど、振り向けない。

 俺ができることはただ1つ。
 料理に専念することだ。

 ーー2人の間に、何もないことを、願いながら。

 
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