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男娼
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牙も爪もない路上の男娼か。もし子供が脅されて意に染まないことをしているなら、保護する必要があるな。ルアンの話を聞いても、思いあたったのはその程度だった。
治安維持の見回りは、言葉は悪いが下っ端の仕事だ。外国との争いもなく平和な国だが、団長が自ら市井を歩き回って犯罪者を捕えるほどの暇はない。
だからその日の帰りにスラム街の端の方を馬車で通りかかった時、降りる気はなかった。降りる気はなかったのに……ぼろきれに身を包んだ小柄な人影が視界の端を横切った時、思わず声を上げていた。
「おい、止めてくれ!」
狭いスラム街に馬車で乗り込むわけにはいかない。少し離れた治安のいい場所まで移動するように指示すると、小柄な影が消えて行った路地裏に入り込む。薄汚れた壁沿いに進むと、5分もしない内にくぐもった声が聞こえてきた。声のトーンは大分抑えているようだが、なにやら言い争っているらしい。気配を消しつつ警戒しながら慎重に歩を進める。
「だからさ、他をあたってよ」
「うるせぇ! てめぇなんか汚い淫売だろうが! 黙って脚開いてればいいんだよ!」
どうやら酔っ払いが絡んでいるようだ。絡まれている相手が件の男娼かどうかは分からないが、どちらにせよ状況はあまりよくない。薄汚れたフードを深くかぶった小柄な男は冷静なようだが、その腕を掴んでいる男はかなり頭に血が上っているようだ。犬の獣人だろうか。先ほどからグルグルといった唸り声が物陰にいるこちらまで響いてくる。
とりあえず止めに入ろうと一歩踏み出した瞬間、トス、という軽い音と共に小柄な体が吹き飛んだ。どうやら肩を押されただけのようだが、小さすぎる体は受け止めきれずにその場にへたり込んでいる。
「っ! おい、子供相手になにをしている!」
一足飛びで犬の獣人のもとに飛び込むと、腕をひねり上げる。
「うるせぇ!お前には関係ないだろうが!」
「目の前で暴力沙汰を起こしておいて、よく騎士団員にそんなことが言えるな。いい度胸だ」
男の手をより一層強くひねり上げると、犬らしくキャンといった情けない高い声が上がる。痛みに酔いも醒めてきたのか、尻尾がたれて脚の間に丸まっている。
「騎士団員……!? ちょ、ちょっと待ってくれ! まだ俺はなにもしてねぇよ!」
「彼が勝手に転んだとでもいうのか?」
「俺は触っただけなのに、こいつが大げさなんだよ!」
「反省の色もないようだな……」
キャンキャンと喚く男を壁に押し付けていると、意外なところから、か細い声が上がった。
「……すみません。俺、大丈夫ですから、放してあげてください」
視線を下げると、地べたに座り込んだままの少年が困ったようにこちらを見上げている。被害者がそう言うならと手を放すと、犬の獣人は「覚えていろ」など悪役らしいことを言いながらあっという間に路地の彼方に消えて行った。なんとなく釈然としないものを感じつつ、少年に視線を戻す。
「立てるか? 怪我は?」
声をかけると、尻もちをついていた少年はよろよろと立ち上がった、が……小さい。それに細い。
背丈は俺の胸にも届かないくらいで、体は心配になるほど華奢だ。気が付かれないように彼の指先を見ると、丸っこい爪が見え隠れしていて、小さな口にも牙は見えない。かろうじて獣性を示しているのは、頭の上の猫耳くらいか。この獣性の薄さが生来のものか作られたものかは分からないが、本来ならこんなスラムではお目にかかれないのは確かだ。顔立ちも薄汚れてはいるが繊細そうな小さな口に控え目な鼻、切れ長の瞳と、どこか守りたくなるような儚さがある。
獣性はそれだけ極上だというのに、伸びかけの黒髪は手入れがされていないのだろう。艶がなくあちこち跳ねている。身にまとっている服もかろうじて服と呼べる程度のぼろきれで、俺が今まで見てきた爪の先まで磨き上げられた娼婦とはだいぶ趣が違う。だが浮浪者ぎりぎりのような姿にも関わらず、かすかに好ましい香りが鼻をくすぐり、思わず鼻をならした。俺のことを丸っこい瞳で見ていた彼が、なにか口元でもごもごと呟く。
「……うわすごいイケメン」
「何か言ったか?」
「あ、いえ何でもない、です。助かりました。ありがとうございます」
少年はフードを深くかぶりなおすと、ぺこりと頭を下げる。彼の小さいつむじが見えないことが、なぜか残念だと思った。
「いや。問題ない。それより行かせてしまって本当に良かったのか?」
「あはは。ちょっと転んだくらい、大丈夫ですよ。でも本当にありがとうございます」
普通、獣性の薄い者は大事にされて当然、という意識が見え隠れするのに、彼は裾の汚れを払うとあっさりと言い切った。顔を上げて小さく微笑むとそのままくるりと背を向けられ、慌てて声をかけた。
「待ってくれ。帰るのか? 家まで送ろう。」
こんな時間に一人で出歩くなんて危険極まりないし、家に帰るなら送りたい。さっきの酔っ払い然り、この地域は決して安全じゃない。今まで会った獣性の薄い者にも感じなかった感情……庇護欲とでも言うのだろうか、目の前の小さな存在がどうしようもなく気になってしまう。
すると少年は、先ほどまでの儚げな雰囲気から一転、婀娜っぽく笑うとからかうように目を細めてきた。
「いえ、俺は今夜の仕事相手を探さなきゃなんで」
「仕事?」
「……なに、お兄さんが遊んでくれるの?」
治安維持の見回りは、言葉は悪いが下っ端の仕事だ。外国との争いもなく平和な国だが、団長が自ら市井を歩き回って犯罪者を捕えるほどの暇はない。
だからその日の帰りにスラム街の端の方を馬車で通りかかった時、降りる気はなかった。降りる気はなかったのに……ぼろきれに身を包んだ小柄な人影が視界の端を横切った時、思わず声を上げていた。
「おい、止めてくれ!」
狭いスラム街に馬車で乗り込むわけにはいかない。少し離れた治安のいい場所まで移動するように指示すると、小柄な影が消えて行った路地裏に入り込む。薄汚れた壁沿いに進むと、5分もしない内にくぐもった声が聞こえてきた。声のトーンは大分抑えているようだが、なにやら言い争っているらしい。気配を消しつつ警戒しながら慎重に歩を進める。
「だからさ、他をあたってよ」
「うるせぇ! てめぇなんか汚い淫売だろうが! 黙って脚開いてればいいんだよ!」
どうやら酔っ払いが絡んでいるようだ。絡まれている相手が件の男娼かどうかは分からないが、どちらにせよ状況はあまりよくない。薄汚れたフードを深くかぶった小柄な男は冷静なようだが、その腕を掴んでいる男はかなり頭に血が上っているようだ。犬の獣人だろうか。先ほどからグルグルといった唸り声が物陰にいるこちらまで響いてくる。
とりあえず止めに入ろうと一歩踏み出した瞬間、トス、という軽い音と共に小柄な体が吹き飛んだ。どうやら肩を押されただけのようだが、小さすぎる体は受け止めきれずにその場にへたり込んでいる。
「っ! おい、子供相手になにをしている!」
一足飛びで犬の獣人のもとに飛び込むと、腕をひねり上げる。
「うるせぇ!お前には関係ないだろうが!」
「目の前で暴力沙汰を起こしておいて、よく騎士団員にそんなことが言えるな。いい度胸だ」
男の手をより一層強くひねり上げると、犬らしくキャンといった情けない高い声が上がる。痛みに酔いも醒めてきたのか、尻尾がたれて脚の間に丸まっている。
「騎士団員……!? ちょ、ちょっと待ってくれ! まだ俺はなにもしてねぇよ!」
「彼が勝手に転んだとでもいうのか?」
「俺は触っただけなのに、こいつが大げさなんだよ!」
「反省の色もないようだな……」
キャンキャンと喚く男を壁に押し付けていると、意外なところから、か細い声が上がった。
「……すみません。俺、大丈夫ですから、放してあげてください」
視線を下げると、地べたに座り込んだままの少年が困ったようにこちらを見上げている。被害者がそう言うならと手を放すと、犬の獣人は「覚えていろ」など悪役らしいことを言いながらあっという間に路地の彼方に消えて行った。なんとなく釈然としないものを感じつつ、少年に視線を戻す。
「立てるか? 怪我は?」
声をかけると、尻もちをついていた少年はよろよろと立ち上がった、が……小さい。それに細い。
背丈は俺の胸にも届かないくらいで、体は心配になるほど華奢だ。気が付かれないように彼の指先を見ると、丸っこい爪が見え隠れしていて、小さな口にも牙は見えない。かろうじて獣性を示しているのは、頭の上の猫耳くらいか。この獣性の薄さが生来のものか作られたものかは分からないが、本来ならこんなスラムではお目にかかれないのは確かだ。顔立ちも薄汚れてはいるが繊細そうな小さな口に控え目な鼻、切れ長の瞳と、どこか守りたくなるような儚さがある。
獣性はそれだけ極上だというのに、伸びかけの黒髪は手入れがされていないのだろう。艶がなくあちこち跳ねている。身にまとっている服もかろうじて服と呼べる程度のぼろきれで、俺が今まで見てきた爪の先まで磨き上げられた娼婦とはだいぶ趣が違う。だが浮浪者ぎりぎりのような姿にも関わらず、かすかに好ましい香りが鼻をくすぐり、思わず鼻をならした。俺のことを丸っこい瞳で見ていた彼が、なにか口元でもごもごと呟く。
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「あ、いえ何でもない、です。助かりました。ありがとうございます」
少年はフードを深くかぶりなおすと、ぺこりと頭を下げる。彼の小さいつむじが見えないことが、なぜか残念だと思った。
「いや。問題ない。それより行かせてしまって本当に良かったのか?」
「あはは。ちょっと転んだくらい、大丈夫ですよ。でも本当にありがとうございます」
普通、獣性の薄い者は大事にされて当然、という意識が見え隠れするのに、彼は裾の汚れを払うとあっさりと言い切った。顔を上げて小さく微笑むとそのままくるりと背を向けられ、慌てて声をかけた。
「待ってくれ。帰るのか? 家まで送ろう。」
こんな時間に一人で出歩くなんて危険極まりないし、家に帰るなら送りたい。さっきの酔っ払い然り、この地域は決して安全じゃない。今まで会った獣性の薄い者にも感じなかった感情……庇護欲とでも言うのだろうか、目の前の小さな存在がどうしようもなく気になってしまう。
すると少年は、先ほどまでの儚げな雰囲気から一転、婀娜っぽく笑うとからかうように目を細めてきた。
「いえ、俺は今夜の仕事相手を探さなきゃなんで」
「仕事?」
「……なに、お兄さんが遊んでくれるの?」
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