Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第一部

11.疑い 4

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 平日一般営業でレッスンを受けている生徒もいることを思うと、気が急いた。しかし先生は、必ずしも毎日リンクに来なくても上達する方法はあるのだと言った。特にアイスダンスは氷上でのテクニックだけでなく、きちんと体作りができているかも滑りに関わってくるのだと言った。

 先生は自宅や陸上でできる練習方法を僕に指導してくれた。
 走り込みだの筋トレだのの練習メニューとセットで、クリアすべき小さな目標もその都度明確に示してくれた。息切れせずに持たせなくてはならない時間だとか、ホールドの姿勢を作って何分維持できるようにだとか。サッカーの練習なんかでやっている足をクロスしながら横に走る陸上トレーニングなんかも、バランスを崩さずにまっすぐに走れるようにといって色々なバリエーションの走り方を提案された。
 そういった目標を示されることで、僕はそれをクリアすべく、リンクに行かない日も陸トレに打ち込んだ。達成される度に目標は新しいものに入れ替えられた。

 しばらくして僕と陽向さんは、ただ手をつないだだけのハンドインハンドだけでなく、向かい合って組むワルツポジションや隣り合って組むキリアンポジションといった様々な組み方での練習もするようになっていった。内容もただのスケーティングから、ダンス独特の滑り方やターンなどへと発展していった。
 そういった基礎的なことがまともに出来るようになった頃から、パターンダンスも組んで練習させてもらえるようになった。
 しかしパターンダンスは種類が多すぎた。簡単とはいえ結局僕はほとんど覚えることができていなかった。僕は一緒に滑っている陽向さんをカンニングしながら滑るようなことをしばらく続けた。

 ある日、陽向さんが言った。
「私ね、五月生まれなの」
 一体何の話が始まったのか、僕には理解できなかった。
「だから高一なのにもう十六」
 それが、ジュニアの試合には今年を除くとあと二シーズンしか出られないという意味だと分かる知識すらなかった。僕はただ何も返事をせず、無言でうなずいた。
「次の夏には試合に向けての練習が本格的になるから、その前にどうしてもシルバーを取ってしまいたい、という気がするのよね」
 この一言をきっかけに、僕のパターンダンスに対する方向性が急速に決まっていった。

 シルバーというのは昇級試験の級の一つだった。その課題となるパターンダンスは次の五つ。
 ロッカーフォックストロット、スターライトワルツ、キリアン、パソドブレ、チャチャコンゲラード。

 だけどそれらはダンス初心者の僕が取り組むには難しすぎた。なので僕はその前段階として、より難易度の低い次の六課題にまず取り組むことになった。
 フォーティーンステップ、ヨーロピアンワルツ、フォックストロット、アメリカンワルツ、タンゴ、シルバーサンバ。

「その六課題なんだけど、年内にはこなせるようになって、年明けからシルバーの課題に入れないかしら?」
 こなせるかこなせないか、中身の難易度も分からない僕には見当もつかなかった。とりあえず年末までにはまだ三ヶ月以上もある。三ヶ月くらいあればさすがにパターンを覚えることもできるのではないだろうか。

「シルバーにはフリーもあるから、そっちの練習も始めないとならないし。制覇君がシルバーを受けるのに付き合ってくれるんだったら、そのつもりで先生にプログラム作ってもらうから」
 こうして僕の当面の目標が決まった。

 これによりその頃僕が取り組んでいた簡単なパターンダンスは、今後は一人で勝手に覚えておくようにということになった。
 ダッチワルツ、キャナスタタンゴ、スイングダンス、フェスタタンゴ、ウィローワルツ、テンフォックス。
 この六課題は入門レベルの昇級試験用の課題なのであまり手をかける予定はないからと、資料として先生からDVDとダイアグラムという謎な紙を渡された。

 覚えておいてねとは言われたものの、難易度の高い課題に取り組むのであればそれより簡単なものなんてやる必要があるとは思えない。しかもあまりに扱いが適当になってしまったことを考えると、本当に覚える必要があるのかも疑わしいと思った。DVDやなんかを手渡された時に何か説明をされはしたのだけれど、前に先生に言われた言葉を肯定するようで心外だけれども、僕には彼女の日本語がほとんど理解できなかった。

 そんなことより、僕には陽向さんの要望に応えることの方がずっと大切なように思えた。陽向さんはシルバーを受けたがっている。遠慮がちに申し込まれたけれど、パートナーの僕がちゃんと役目を果たさないと彼女はそのテストを受けることすら叶わないだろう。
 そう思った僕は、年内にこなして欲しいと言われたシルバーに向けての準備課題をきっちり片づけようと決意した。そして年が明けたらシルバーに取り組もう。宿題のようなどうでもよさそうな課題なんかよりも優先的に……。


「制覇。数学の授業、終わったよ」
 果歩の声で起こされた。机についた腕の下で、開いた教科書やノートが押しつぶされていた。
「うーん。終わったんなら起こすなよ。休み時間だろ?」
「でも次、音楽教室だよ」
「あー、そう」
 適当に返事はしていたけれども、僕の頭は回ってなかった。まわりの生徒たちは次々と荷物をまとめて席を立っていた。

「最近忙しいの? リンクにも全然来ないし。塾にでも行ってんの?」
「んー、まあそんなところ」
 体力的に疲れるほど滑り込んではいなかったのだけれど、慣れない夜更かしを度々させられた上、滑るのに神経を使い過ぎていた。
「塾行ったって、授業聞かないんじゃ、意味ないよ?」
 偉そうにそう言われても、全く腹は立たなかった。僕が行ってるのは塾じゃない。って、むしろやばい……!
「次の数学のテスト、マジやばいかも……」
「またまた~。まるで前回は、やばくなかったかのような言い方ですね」
 果歩はそうやって僕を小馬鹿にすると、嬉しそうに笑った。
「お前はいいよな。いつも満点で」
「ふっふっふ~。数学だけは得意なんですよ~。でもちゃんと授業聞いてないような人には、教えてあげない」
「ケチ」
「何? 教えて欲しいの?」
 嬉しそうに覗き込まれた。
「あ、いや。いーよ。いーよ。お前の教え方、いらねーや。『よく見て!』だけだもんな。あんなんで分かるかっての」
「分かんないの? どうして? よく見たら答えが見えてくるでしょ? いつもそう言ったら上手に滑れたじゃない」
「それスケートの話だろ? 数学とは違うから!」
「えー? どっちも『す』から始まる四文字なのに!」
「よし! もう行くか」

 すでに教室には誰の姿もなかった。僕たちは廊下を急いだ。途中で果歩が遠慮がちに口を開いた。
「あのね、大学生の貸し切りに混ぜてもらえることになったんだよ。ほら、理子先生の後輩の。それで最近私行ってるんだ。制覇も行かない? 貸し切りだと相当自由に色々やれるよ」
 その声には昔のような強引さはなかった。まるで僕の様子をうかがうような声だった。そう言えば一年前にも同じようなことがあった。僕はまた果歩の誘いに応えられずにいた。
「時間大丈夫なわけ? お前」
「その日だけは遅く帰らせてもらってる。危ないからってGPSで監視されてるけど」
 そう言って笑いながら音楽室の入口まで来ると、果歩は「あとで日程、教えるね」と言って僕に手を振った。

 もし日程が合ったとしても、果たして参加できるだろうか。
 僕の頭は山積みになった課題で一杯だった。できることが増える度に、考えることは減るどころかますます増えていった。
 果歩が貸し切りでジャンプやスピンの練習を進めていることは喜べなかった。多分差はどんどん開いていっている。だけど少々引き離されても急いで追いかければ追いつけないことはないような気がした。それよりもまず目の前に見えている山をなんとかしたかった。むしろ遠回りになったとしても、その方がかえっていいような気がした。僕は自分が望んだ力を確実につけ始めている手応えを感じていた。

 氷の上でバランスを保つ能力。
 思うように動く能力。
 圧倒的スピードを出す能力。
 他にもアイスダンスをすることで、スケートの基礎的な力が少しずつ高まっている感覚があった。

 以前の僕はジャンプやスピンといったいかにも技といったことしかしたことがなかった。だけどそんな技をこなすにしたってこういった力は高い方が有利なんじゃないだろうか。
 そう考えると自分に足りない所が目に見えている状態で、それを見過ごすわけにはいかなかった。
 得るものを得さえすれば果歩にだってすぐに追いつける。僕はそう思って果歩を追うことを後回しにした。
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