Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第一部

13.ためらい 1

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 その日の昼休み。果歩が僕の机までやって来た。
「ちょっと、いいかな?」
「え? ああ、うん」
 果歩と話すのは二週間ぶりだった。相手が果歩だというのに、僕はどういう顔をしていいのか分からなかった。朝の件だろうか……。朝の件について、僕にどんな話があるというのだろうか……。果歩に促されて席を立つと、斜め前に座っていた木野がこちらに向かって「ひゅ~」と言った。僕は思いっきり殴る真似をした。

 僕はどきどきしながら果歩について廊下へ出た。僕たちはそのまま教室の向かいにある窓のそばまで寄った。
 窓際まで来ると、そこで果歩は立ち止まった。僕の視線は果歩を通り越して窓の外に向けられた。だからといって、何の景色を見ているわけでもなかった。

 どうしてこんな場所で止まるのだろうか。

 教室の騒がしさからは少し遠のくことはできたけれども、そこはクラスを出入りする連中から丸見えの場所だった。人目をはばかる様子の無い果歩に、僕は少し期待を裏切られた気がした。
 果歩はすぐに用件を切り出した。

「来月、モミの木でバッジテストが開かれることになったんだけど、制覇も受けない?」
「え? 何が開かれるって?」
 まるで予想もしていない内容の話が始まった。外していた視線が自然と果歩へと戻った。
「バッジテスト。知らない? スケートの昇級テスト」
「あ、あーあ」
 陽向さんが受けたいって言ってたやつね。バッジテストって言ったっけ? シルバーじゃなかったか?

「果歩、受けるんだ?」
「うん。制覇も受けようよ。制覇ならすぐに上の級、合格できるよ」
 果歩は声の調子を上げてそう言った。
「それ、受けたら何かいいことあるわけ?」
「級を持ってないとね、いくら上手くても大きな試合に出ることができないんだ」
 ふーん。よく分からないけど。

 そう思っていると果歩が突然笑い出した。
「大きな試合って言っても、会場がめっちゃ広いとかいうのとは違うからね!」
「だろうね!」
 果歩にこうして笑われるのは久しぶりだった。

「大きな試合ってのはね、全日本とかってこと。それにつながる地区予選に出るには、私たちの年だったら六級が必要なの。ほら、モミの木じゃさ、どれだけ上手くてもそういう大会みたいなのには無関係って感じがするじゃない? そういうのって夢がないと思うんだよね~。初心者教室のちっちゃい子達だってさ、頑張ってる人を見て『自分ももしかしてオリンピックなんかに行けちゃうかも?』なんて思えたりしたら、ぜんっぜん、気分が違うと思うんだよね~」
 そう言って果歩は嬉しそうに笑った。

 なんだ、またモミの木の話か。
 果歩は相変わらずだ。果歩は変わったようで変わっていない。
 変わったところと言えば、僕を含め最近はあまりクラスの連中をリンクに誘わなくなったことと、背が少し縮んだことと……他にも何かあるんだろうか――――――。

「だから頑張るんだ? お前が」
「そ。私か、制覇が」
 そう言って果歩は僕を指さした。
「え? 僕?」
「そうだよ。だって制覇、もうほとんどダブル跳べるじゃない。この調子ならすぐトリプル突入だよ? だったら級取らなきゃ~。級取って、試合出て、どんどん上目指そうよ~。制覇なら、すぐに全日本だって目指せると思うよ」
「そ……そうかな?」
 とてもそうとは思えないけど。
 でも果歩の言う通り、上の世界へ誘われるのは悪い気のするものではなかった。

「私はもう三級持ってるから、次は四級受けるんだけど、制覇だって四級ならすぐ受かると思うよ。ただ制覇の場合、初級から取っていかなくちゃならないけどね」
「え? イマイチ言ってること分かんないんだけど? 何か数え方おかしくない?」
「ああ、ごめん。普通、十級から始まって、九、八、七……って昇級していくものが多いもんね。スケートは反対なの。初級から始まって、一、二、三……と上がっていくの」
「あ、なるほどね」

 初級からということは、六級までの道のりはかなり長そうだ。まあ、そんな甘い話でもないか。
「そういうことでね、来月、十一月の第一週がバッジテストだから。一緒に全日本とか目指そうよ。一度、貸し切りに来て。課題教えるし。テストの課題、貸し切りで練習してるんだ」
「え? ちょっと待って」
 それはまずい。今、そんなところに誘われても……。

「その話は、考えさせて」
 そう言うと、果歩は笑顔のまま固まった。このあたりでは、考えさせてと言われたら、期待しない方が……。

「あ! 違うんだ、違うんだ! 断ってるわけじゃないんだよ。いきなり十一月には受けられないってだけで。ちょっと今は貸し切りに出る余裕もないし」
「じゃあ、見には来れる?」
 果歩が言った。
「一度、バッジテストってのがどんなだか、見に来てよ」

 果歩の話はそれで終わった。それだけだった。

 考えさせてと言った時、本当に断るつもりはなかったのか。それはあとから考えても自分でもよく分からなかった。分かっているのは、その後どうしても急いで発言を撤回したくなったということだけだった。僕はあの時、ここで果歩を断ったら取り返しがつかないことになるんじゃないかという気がするくらいの何かを感じたのだ。
 シングルでの昇級テストか。
 ずっと六時半に帰ると決めていた果歩ですら、そのルールを変えて貸し切りに出ている。僕だってもう少し無理できるんじゃないだろうか。アイスダンスをしながらシングルをしてはいけないという決まりはない。僕にその選択肢はあり得るだろうか……。


「はい、また崩壊~」
 その日のレッスン。二人のホールドが解けてしまったことを非難するかのように、先生がそう言った。
 ホールドを解いてしまったのは、この日もう三回目だった。僕が謝るよりも先に、僕たちの前を横切った子の「すみませんっ!」という声がリンクに響いた。少女は自分のコースをたどりながらも、焦ったような表情でこちらに向かって素早く頭を下げた。
 どんだけ怖がられてるんだよ、この先生……。

 前を横切ってしまったとはいえ、その子が謝る必要はなかった。横切ったタイミングはそれほど悪いものではなかった。進行方向を向いて組んでいた僕たちからは、前を横切るその子の姿は見えていた。組んだままその子を避けて進むことは十分できるはずだった。それなのに陽向さんの手を離してしまったのは、僕だった。
 その子を避けて二手に別れてしまっていた僕と陽向さんは、それぞれ小さく旋回せんかいすると先生の元へと戻った。
「すみません……」
 遅ればせながら謝った僕に、先生はさらっと言った
「今日は調子が悪いようね。他の子見てくるから、二人で勝手にやっておいてくれる? できるようになったら呼んでちょうだい」

 どうしても一曲が続かない日だった。陽向さんは大して気にした様子もなく、リンクの端を指差しながら
「よし。じゃあ、スタートからやろっか」
 と言いそちらの方へにこやかに滑って行った。

 何かある度にホールドを解いていたのでは練習にならない。本来なら僕は陽向さんの手を離すのではなく、一緒に同じ方向へ人を避けてプログラムを続けるべきだった。でも想定外のことに対して二人で同じ行動をとるなんて、そんなことどうやれば上手くできるのだろう。
 果たして前の日まではそれができていたのか……よく分からなかった。
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