Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第二部

51.緊張 2

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 なんの話が始まったのかと思った。
 僕はどういう反応をしていいかまったく分からなかった。

「聞いてる?」
「あ、はい」
 とりあえず返事をせねば。
「今日俺、十七位だった」
「あ、はい」
 話が飛んだ。本当に、何が言いたいんだろう?

「俺さあ、こんな中途半端な順位でも一つでも上に行きたいんだよね。十七位だろうが十六位だろうが、もうほとんど変わんねーのにな。明日には俺の順位なんてみんな忘れてる。そんな程度の順位なのに、それでも上に行きたいって思っちまうんだよ」
「……分かります」
「順位が一つ二つ上がったって大差ない位置にいるくせに、何こだわってんだって思うだろ?」
 僕は首を振っていた。

「アイスダンスの話が出た時、みんなが言ったんだよ。このままがんばったって、どうせ俺はシングルでは大した結果が出せないって。だけど陽向と組めば話が全然変わってくるって」
 一体誰だよ。そんなこと言ったのは。
 あれ? ダンスに誘われたことは誰にも言ってないんじゃなかったっけ? てことは、みんなって誰?

「全日本でトップになれるなんて夢みたいな話だろって言われて俺は、自分にとっては夢みたいなことが陽向にとっては当たり前なんだって言われた気がした。この話を引き受けたら、俺は陽向に点を分けてもらう立場になるのかってすげーみじめになった。だから、さんざん悩んだんだけど引き受けることができなかった」
 まるで独り言みたいだった。部屋の中は真っ暗で、そこにいるのは自分だけなのか他に誰かいるのか、隣を見なければ分からなかった。
 ただ声だけが聞こえてきた。

「あいつはうちの先生につく前、別の先生の所にいたんだよ」
 南場さんの話は、また違うものに変わった。
「……はい」
「すげー指導力のある先生で、あいつが今うちの先生のところにいるくせにジャンプが跳べるのは、昔その先生についてたおかげなんだ。姫島先生は色々と熱心だけど、ジャンプだけは苦手だからな。おかげであいつは一年もしないうちにあっという間に上手くなった」
 南場さんと陽向さんは、姫島先生が他のリンクを利用していた時からの生徒だったという話を思い出した。

「初めての試合であいつは二位になった。一番下の級でじゃなく、自分よりスケート歴の長い選手の出るような級での二位だったから喜んでいいとこだったんだけど、あいつはその順位が気に入らなくて表彰式に出ないって言い張ったんだ」
 南場さんは静かに話し続けた。
「それを前の先生が怒ってね。どれだけ納得がいかなくても礼儀としてちゃんと出るようにって。でも陽向は気持ちを抑えきれなかったらしくて、こんなところやめてやるっていってそこを飛び出して、それでこっちに移ってきた。俺、姫島先生に新しいメンバーが来たっていってあいつを紹介された時、すげーのが来ちまったなってびびったよ。あいつがちっちゃい体で表彰式に出ないって言い張ってる姿、目撃してたからな」

 本当にそれが陽向さんの昔の姿なんだろうか。今からは想像できないような元気すぎる姿に、僕は眠気を感じるどころではなくなっていた。
「でもそれ以来、俺はあいつが感情的になったところを見たことがない。なんでって――」

 なんでなんだろう。反省したから、だろうか。隣を見ると、うっすらと南場さんの姿が見えた。彼は僕に気がつくと、言葉を続けた。
「その後あいつは国内では、一位しか取ったことがないんだ」

 僕のことを負けず嫌いだなんて言ったのは誰だ。
 僕なんてちっとも負けず嫌いなんかじゃない。
 本当の負けず嫌いっていうのは、彼女のような人のことをいうんだ。

「今回の試合で、俺はお前たちが負ければいいのにってずっと思ってた。お前たちが負けて、陽向がお前に不満をぶちまければ面白いのになって。あの、ちっちゃかった時のように」
 しばらく収まっていたドキドキがまた舞い戻って来た。
「だから昨日も、プレッシャーかけるようなこと言おうとしてたんだよ。つまんねー奴だろ」
 南場さんは特に調子も変えずに話を続けた。

「俺はお前見てると自分がつまんねー奴だってことを思い知らされるから、ホントなんだよ。お前が現れた時から、すげー嫌だった。俺がひるんだものに向かって行くのかよって。どうせただの怖いもの知らずだろって。人をそんな気分にさせるんだから、お前はすごい奴だよ。だから明日は大丈夫だろ」

 僕には南場さんの苦悩の深さを推し量ることはできなかった。僕よりもずっとスケート歴が長くて、それも大学生にもなるような人が、スケートを始めたばかりの僕のような中学生を本気で怖がるなんて、一体誰が想像できるだろう。
 きっとこの人は、僕のことを励ましてくれているのだ。こんなに人のことを動揺させにかかってくるのは彼なりのやり方なんだろう。僕は南場さんのことをそう受けとめた。

「ありがとうございます」
 僕がそう言い終わると同時に、暗闇の中から枕が飛んできた。
「お前、本当にキライ」
 僕は飛んできた枕を抱いて、これは返した方がいいのかそれともこのままそっとしておいた方がいいのか、静かに困った。

 朝起きて、南場さんとなんとなく顔を合わせづらかった。よそよそしくしていると、食堂の入り口で陽向さんに「何かあったの?」と声をかけられた。
「別に何もねーよ」
 突き放すようにそう答える南場さんの向こうに、起き抜けの陽向さんが見えた。いつもきちんとまとめられている髪が、まだそのままの姿でふんわりと肩にかかっている。「おはよう」とこちらに笑いかけてくるその姿は、リンクで見る時よりもずっとやわらかかった。
 こんな人が先生と言い合ってたなんて、嘘みたいだ。

 僕たちはトレーを持って席に着いた。陽向さんは僕と南場さんの向かいに座ると、トレーに乗っている卵を指でつまみあげて不思議そうに見た。
「こんな丸ごとの卵なんて、どうするのかしら?」
「お土産だろ。あっためたらヒヨコが生まれるぞ」
 南場さんは真面目に言った。
「え?」
 陽向さんは弾むような声で、目を輝かせた。
「うそだよ。食うんだよ。ほら、ここに割って」

 南場さんが青い小鉢に卵を割ってみせた。陽向さんは「かわいいヒヨコ想像しちゃったじゃない」と怒りながらも、卵を構えた。机の端でたたいて小鉢の所へとそれを運ぶ。しかし上手く割り入れることができず、卵はトレーに流れ出てしまった。
 南場さんが噴き出した。
 陽向さんは「寝ぼけてたみたい。手が滑っちゃった」と僕の方を見て恥ずかしそうに笑った。

 陽向さんって、パーフェクトじゃないんだ。
 完璧だと思っていた陽向さんの意外な一面に驚いている僕の横で、南場さんが陽向さんを冷やかした。
「嘘つけ。お前、絶対卵割ったことねーだろ」
 次の瞬間、南場さんの「いてっ」という声と同時に、机の下から鈍い音が聞こえた。

 南場さんが卵を食べ始めると、陽向さんは眉を寄せて、とんでもないという声を出した。
「それに火を通さないで食べるの? 制覇君、やめて。それは食べないで。試合前に生卵なんて食べちゃだめ」
 彼女が言うには生卵は危険なんだそうだ。試合前に食べて体調を悪くしたりしては困るからと説得される。
 そういうことなら僕は食べなくてもいいんだけれど、でも僕はすでに卵をご飯にかけてしまっていた。

 横から手が伸びてきて、僕の茶碗を奪った。
「食ってやるから、新しいの取ってくれば?」
「そうして。白ご飯の他には、鮭なら食べてもいいわ。ちゃんと火は通ってるし、良質たんぱくよ。それから海苔も大丈夫。個別包装だから」
「それから、そこのふりかけも安全なんじゃない?」
 南場さんは陽向さんを馬鹿にしたように、机の端に置いてあるふりかけを指さした。
 どう見ても南場さんは、陽向さんを恐れているような人には見えなかった。昨日聞いた話は何だったんだろう。寝ぼけていた僕が見た幻だったんだろうか。
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