Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第三部

61.ふたりを分かつもの 3

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 翌日の放課後。僕は練習に遅れるという連絡を陽向さんに入れ、モミの木へと向かった。あれからずっと一人で海外行きのことを考え、頭が破裂しそうになっていた。でも時間の猶予ゆうよはそれほど長くはない。ある程度のうちに、海外に行く目処をつけなくては。

 こういう困った時には、なぜかここに足が向いてしまう。中に入ると、すぐに果歩が寄ってきた。
「制覇! いったいどうしたの? ここに来るなんて、久しぶりじゃない!」
 果歩は、喜んでいるような驚いているような様子だった。僕は練習環境がピンチだということを果歩に話した。

「そういうことなら、モミの木で優先的に貸し切りを取らせてもらえるように理子さんに頼めばいいじゃない。相手が制覇だもん。お願いすれば、融通してくれるよ」
「そうはいかないんじゃない? 他にもリンクを取りたい人がたくさんいるから、苦労してるんだから。理子さんも理由もなく僕一人をひいきするなんてありえないよ」
「でも、困ってるんだよね……?」
 果歩は僕以上に、切羽詰まった顔をしていた。忘れかけていたけれど、果歩は滑る場所を失うということにとても弱いのだ。

「うん。それで海外で練習しようかっていう話も出てるんだけど、バイトなり何なりしないとさ……うちの経済事情じゃ向こうに行っても長くは続けていけないと思うんだよね。それでどういう風にすれば上手くやっていけるのか相談できる人を探してるってわけ」
「やっぱりここは一度理子さんに相談しよう。こういう時には、理子さんだよ」
 理子さんか。言われてみればあの人なら、僕の想像を超える何かを教えてくれるかもしれない。
 僕は果歩に引っ張られて、事務室のドアを開けた。

「だから、最初に言ったよね。大阪に行かずにうちでやれって。選手としてやってくなんて大変に決まってるんだから」
 理子さんはそれ見たことかという顔で、オフィスチェアをくるくる回しながら得意そうに言った。
「選手やめたら?」
「は!? やですよ」
「じゃあ、練習時間が減ったら減ったで、許される範囲でがんばるべきなんじゃない? 量より質とも言うでしょう?」
「そうかもしれないけど、アイスダンスの練習ってものすごい大変なんですよ。バッジテストの課題の種類もめちゃめちゃ多いし、試合は二つもプログラムやらなきゃなんないし。スピンとかリフトだって、バリエーション増やすために日ごろから色んなパターンで練習しなくちゃなんないし。の割に、混んでると危険だし。今ですら練習時間足りないくらいなんですから」

「まったく。自分の出来る範囲でがんばれっつーの。時間だのお金だのをそうやって際限なくどんどんかけようとするのはどうかと思うよ。まあいいや、それで? 大阪のリンクの状況、好転するにはしばらく時間がかかるんじゃないの? 海外に行くとしたら長丁場になるんじゃない?」
「やっぱり、そう思いますか?」
「その間、学校はどうするつもり? 北山高校じゃそんなに長く休めないでしょ? 留学の制度とかあるの?」
「知りませんけどそもそも外国の学校なんて僕には無理なんで、高校続けていけないとなったらやめようかなって思ってます」
「高校やめんの!?」
「高校やめんの?」
 隣で果歩が飛び跳ねて、理子さんが椅子の動きを止めた。
「やめて働きながら滑ります。そのくらいの覚悟はあります」
「すごい意気込みだね」
「相手のこともありますから。中途半端な気持ちじゃできません」
「ふーん。ま、いいや」
 せっかく気合を入れて答えたのに、理子さんの反応はあまりよくなかった。果歩は唖然として僕を見ている。

「で? 働くって、海外でバイトするって意味だよね? どんな仕事やろうと思ってるの? 何か特技なんかはあるの?」
 理子さんは今度は指でボールペンを回し始めた。本当に相談に乗ってくれる気はあるんだろうか。心配になってくる。
「いや、特技なんてないですけど。でも、どんな仕事でもやらせてもらえるなら頑張ろうと思ってます。とにかくアイスダンスが続けていける分だけ稼いでいければいいんで。ただ向こうでどうやったら仕事に就けるのかとか分かんないし、まずそのあたりを知りたいなーなんて」
「ふーん。言葉の方は大丈夫なの? 制覇君、日本語以外に何かできるの?」
「いや……できないです。でもほら、体使うことだったら何とかなるかも……?」
 力こぶを作ってみせる僕に、返ってきたのはため息だった。

 僕だってまだこの計画が現実味を伴っていないことくらい分かっているよ。だからこうやって相談してるんだよ。

「まあそういう生き方も嫌いではないけどねー。当たって砕けろ、的な? だけどだね、制覇君はっきり言おう」
 僕は理子さんのことをいい意味で変わり者だと思っていた。今日のような相談をしても、背中を押してくれるような気がどこかでしていた。
 だけどどうやら今日は、それも期待できそうにない。

 そう思う僕の横で、果歩が期待に満ちた目を理子さんに向けていた。理子さんの話の文脈も空気も読まずに、とても素敵な言葉を言ってくれることを目を輝かせて待っていた。
 その目に理子さんが屈したのを僕は見た。

「制覇君。あなた一度、先生とお相手を連れてきて滑ってみせなさい」
「え?」
「あなたたちの演技にどれほどの価値があるか私が見てあげる。大事なものをつぎ込むものには、それなりの価値があるべきでしょう?
 もしも私を納得させるだけのものを見せてくれたら、このリンクがあなたたちを支援してあげるから」
「支援……?」
「そう。ここはなんと言ってもリンクだからね。あなたの欲しがってるものをあげることができるのよ。心行くまで練習できるリンクが必要なんでしょう? もちろんあなたたちの演技にそれだけの価値があればだけど?」
「理子さ~ん」
 無邪気に喜ぶ果歩。だけど理子さんはさらに言葉を続けた。

「その代わり、支援する価値がないと私が判断したら、高校やめるなんて考えるのはやめなさい。そこまでする価値もないから。それから彼女とのパートナーも、無理をしなくては続けられないというのであれば、ここで終わりにしなさい。趣味っていうのはね、身を滅ぼさない範囲で楽しむものよ」
 理子さんは僕を応援しているように見せかけて、僕の無謀を止めにきた。

 果歩は、理子さんの言葉を深く考えることもなく単純に盛り上がっている。
「ほら、相談してよかったじゃない。いいところを見せなよ、制覇」
 そんな美味しい話じゃないんだけど。
 でもこれは、いいチャンスだ……。

 僕は近いうちに二人を連れて来ることを約束して、事務室を後にした。



「そういうわけで、一度僕と一緒に滑ってもらえませんか」
 僕は理子さんに持ち掛けられた話を、支援を視野に入れた見極めテストをしてくれるとして陽向さんに伝えた。そこで演技が認められなければ、カップルを解消しろと言われていることは伏せて。
「意外だわ」
 僕の話を聞いて、陽向さんは驚いたように言った。
「意外、ですか?」
「あのリンクが、私たちを応援してくれるなんて思ってなかったから。実は私、あのリンクのことを内心ずっと恐れていたの。私が制覇君に負担をかければ、取り戻しに来るような気がして」
 陽向さんは意外と鋭い。
 果たして陽向さんはどこまでを理解しているのか。分からなかったけれど、彼女はすべてを了解したように強い表情でうなずいた。練習できる場所さえ手に入れられれば、二人での夢への道は消えずにすむ。
「分かったわ。今の私たちにとって、これは願ってもないチャンスよね。何としてでも私たちの演技を認めてもらいましょう」


「プログラムはどうしましょうか」
「観月理子さんというのはどういう方? アイスダンスの級を持っているのかしら? それともジャッジ級とか?」
「たぶん、何にも持ってないですね。シングルも、持ってても一級程度じゃないですか?」
「え? ほんとに……?」
「子どもの頃よくリンクに入っているのを見ましたけど、そんなに上手そうには思えなかったですね」
「じゃあいったいどういう採点をするのかしら……」

 理子さんはアイスダンスのことをどの程度分かっているんだろう。僕たちの技術を真っ当に評価できるんだろうか。
 いや。評価できたとして、あの人はそもそも合格をくれるつもりはあるんだろうか。

 一般的な評価なんかに捕らわれる必要はない。大事なのは、理子さんの度肝を抜くことだ。いくら口先だけのつもりだったとはいえ、想定をはるかに超える演技を見せられたら――果歩もあの場にいたのだ――約束を守らないわけにはいかないだろう。

「この前の試合のフリーにする?」
「そうですね。あれを使って、エレメンツを素人が見ても難しいと分かるようなものに変えて、すごいと思わせるのが絶対ですよね……」
 おそらく理子さんはエッジワークやタイミングといった普通アイスダンスで見るようなところは見てこないだろう。それよりは、スピンやリフトといった見栄えのいいエレメンツで勝負だ。
「そうね。最近やってる肩を超えるようなリフトなんてかなり見栄えもするし、難易度が高いことも理解されるはず――」
 アイスダンスでは僕が頭の高さを超えて陽向さんを支えることは許されていない。陽向さんの言うように肩を超えるリフトは、ルールの中ではかなり派手なものだ。
 しかし陽向さんは何かに引っかかったように、そこで言葉を止めた。

「――ううん。やっぱり、プレゴールド用に練習していたアルゼンチンタンゴにしない?」
「パターンダンスですか?」
 なぜそんな地味なものを。シングルをやっている人はだいたいパターンダンスを退屈だという。興味をほとんど示さない。そんなもので大丈夫だろうか。あんなものの価値が細かく判断できるのは、ジャッジだけだ。

「アクロバティックなエレメンツでアピールした方が、分かりやすくないですかね? エッジの乗りがどうこうなんて、アイスダンスにうとい人間には理解できないんじゃ?」
 すると陽向さんは首を横に振り笑顔で言った。
「ほら。港さんが来た時にね、制覇君、タンゴを滑ったじゃない? あの時、私、制覇君を見直したの。すごく熱いタンゴ滑れるんだなって。こういう勝負の時には、やっぱりタンゴよ」
 なんだかこじつけを言われているような気がした。でも、不思議とすとんときた。勝負の時にはタンゴ、か。そうやって感情と絡めることで、踊れるのかもしれない。このセンスが、陽向さんが陽向さんである所以なのかもしれない。

 それに、忘れるところだった。本物のアイスダンスなら、エレメンツなんてものを超えて見る人の心を奪うはずだ。

「制覇君は素直で感情が表に現れやすいから、きっとこれで間違いないわ」


 二週間滑り込んだ。
 雨の降る日曜日の昼下がり。モミの木は子どもたちで一杯だった。果歩は小さな女の子たちに取り囲まれ、スケートを教えていた。

 じきに陽向さんが先生と共に姿を現した。
「支援するとなったら所属をモミの木に変えるようにと言われたんですけど、よかったですか?」
 二人を待っている間に理子さんから言われた話を先生へと伝える。
「もちろんよ。スポンサーですものね。大阪のリンクにもその可能性は相談してあるわ。あなたはどう? 今日の調子は?」
「頑張ります」

 気合は十分。でも、心の中は不安でいっぱいだった。
 この二週間、どれだけアルゼンチンタンゴを滑り込んだか分からない。今バッジテストを受ければ、アルゼンチンタンゴは確実に文句なしで通してもらえる、そう自信を持てるくらいにはなった。
 だけどいくら技術を磨いても、それだけでは……。全日本ジュニアでの苦い経験が心を乱す。
 果たして僕たちの演技は、理子さんの心を射抜くことができるのか。
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