Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第三部

62.勝負のタンゴ

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 目の前の真剣な眼差しから伝わってくる、ピリピリとした緊張感。
 今は、この人と一緒にいい演技をすることだけを考えよう。

 曲の入ったCDを理子さんに渡す。衣装に着替え、靴を履き替える。片方のリンクに整氷が入り、準備が進んでいく。

「理子さん、まさかそんな遠くから見るつもりじゃないでしょうね?」
「ちっ。しょうがないなー」
「何がちっですか。何が」
 審査員にさぼられては話にならない。整氷車が戻っていってもなかなかリンクに近寄って来ようとしない理子さんを引っ張り出す。もちろん果歩のことも呼んできた。理子さんが適当なことを言って逃げ出すようなことをしないためには果歩が欠かせない。

「こんにちはっ」
 果歩を見た陽向さんは、慌ててがばっと頭を下げた。
「これからよろしくお願いします! あっ。ちょっと気が早いか」
 果歩はそう言って恥ずかしそうに笑った。これまでの試合と違って果歩は今日間違いなく、僕たちが勝利することを祈ってくれていた。

 先生と理子さんの顔に、作り笑顔が張り付く。
「あら~。観月さん。この度は結構なお申し出をいただきまして~」
「い~え~。結構だなんて変に期待されても困……じゃなくて、何と言ってもお二人次第ですので、今日は楽しみにしています~。ではそろそろ始めましょうか~」
「理子さん、五分アップしていいですか」
「いいわよ。じゃ私、スマホ取ってこよ」
「必ず戻ってきてくださいよ」

 通いなれたモミの木。試合のような息の詰まる緊張感はない。あるのはただ闘志だけ。陽向さんと手を繋ぎ、整氷したてのリンクへと滑り出す。いい氷だ。ふたりのストロークが気持ちよく揃う。何歩目かで、周囲にかすかなざわつきを感じた。

 軽く体を慣らすと、僕たちは繋いでいた手を離した。スタートの場所を決めて止まると、陽向さんは挑むような目でまわりを見回しながら僕のまわりを一回りし、斜め後ろでポーズを決めた。まとめらた黒髪からうなじへと後れ毛がかかる。そこから続くしなやかな背中のライン。
 僕は深く息を吸った。そして音楽が始まるのを気合いを入れて待った。

 放送室から、華やかなメロディーが流れ、タンゴのリズムが聞こえ始めた。陽向さんの真っ赤な衣装が、僕に絡みつくように側をすり抜け、隣に並んだ。僕が手を差し出すと、その上に彼女はその手を指先からゆっくりと降ろしてきた。

 いよいよ僕たちのアルゼンチンタンゴが始まる。僕たちのこれからのかかった一曲が。

 僕は耳を澄ませるようにして、彼女とつないだ手へと神経を集中させた。手の先から彼女の気迫が伝わってきた。今日は勝負の日なのだ。
 つられるように僕の中にも、ふつふつとしたものが湧いてきた。
 血が躍るようだった。

 こういう時にはタンゴよ――

 陽向さんはそう言っていた。なるほど。分かるような気がした。
 アルゼンチンタンゴの持つ熱い響きと物悲しさ。
 僕は突き動かされるように滑りだした。

 音楽が体の中にどんどん流れ込んできた。それと同時に陽向さんの息遣いが僕を満たした。ずっと理解できないと思っていた彼女の中に響いている音楽を、今僕は一緒に聞いているのだと思った。
 僕たちは大切なもののために、思いをぶつけなくてはならない。戦わなくてはならないのだ。
 そうでなければ、お互いを失ってしまう。
 それは僕の感情なのか、それとも彼女の感情なのか。区別がつかなかった。

 僕が一歩を踏む度に、彼女の一歩が力強く応えてくる。体が大きく傾き、二人の息がそろいカーブが深くなる。

 四拍のロングエッジ、じっくりと進むと陽向さんはトゥイズルで振り返り、鋭く僕を見射った。
 それに応えるように僕も彼女の脇に深く踏み込んでいく。彼女の背に回した腕が、二人の距離をぐっと近づける。息がかかるほど間近で感じる陽向さんの高ぶり。

 僕たちのアルゼンチンタンゴへの思いが、次の一歩、さらにその次の一歩を作り出していく。お互いの思いが絡み合って、ひとつづきのステップになる。隣り合い、向かい合い、そしてまた隣り合う。
 低音で響くビートを刻みながら、二人のエッジがぐいぐいと氷をつかみ進んでいく。低いダウンで、挑発的にクロスロールが加速していく。

 今までにないほど激しくて気持ちのいいアルゼンチンタンゴが紡がれていく。

 踊るということは、こんなにも自然なことだったんだ。自分の内側から溢れ出すエネルギーが、音と響き合っている。
 音楽は飾りではなかった。
 振り付けも飾りではなかった。

 思いを同じにする人とステップを踏むというのは、魂が最高に震えることだった。


 滑り終えた時、僕の耳の中で鳴っていたのは、誰のものだか分からない呼吸と脈の音だった。最後のポーズのまま固まっている僕の腕の中で、激しく呼吸を繰り返す陽向さんが、満足そうな笑みでこちらを見上げた。
 すごい充足感だった。こんなに上手く滑れるだなんて思わなかった。

 だけど、果たしてどうだっただろう。理子さんには僕たちの演技が、どの程度のものに見えただろう。
 疲れからか緊張からか、いやたぶんその両方から、心臓がばくばくいっていた。

 そっと目をやるリンクサイドに、理子さんの姿は見つからなかった。僕は焦って、あたりを見回した。何十、何百という視線が刺さる。僕たちはいつの間にか、大勢の観客に取り囲まれていた。
 リンクサイドにできた人垣。隣のリンクでは人々の動きがすっかり止まり、上を見上げると、二階の飲食店の窓に食事中の客が張りついているのが見えた。驚いた。長くこのリンクを使ってきたけれど、こんな光景見たことない。

 呆気に取られていると、ぱらぱらとあちこちから拍手が起こった。拍手は徐々に広がっていく。

 そこに興奮したような叫び声が響いた。
「ちゃんと見えてます!? こんなですよ、こんな!」
 人ごみに埋もれ、理子さんが僕たちに向かってスマホを構えていた。そこから、右へ左へと大きくスマホを動かす。さらには仰ぎ見るように上を写した。
「このカップルを失ったら、ウソでしょう!?」
 理子さんはスマホの向こうにものすごい勢いでそう叫んでいた。その三秒後。ぱっと明るい顔をこちらに向けた。
「話はついたわよ、お二人さん! 上がっておいでー!」
 その隣で果歩が、頭の上で両手を大きく振った。

 これは。
 これは、やったのか?
 隣を見ると、陽向さんが僕に向かって勝ち誇った顔で僕に笑いかけた。
 その顔は、僕たちが紛れもないアルゼンチンタンゴを踊りきったことを告げていた。

 やっとわかった。ダンスって、こんな風にして踊るものだったんだ。

 理子さんの元へ駆け出そうとすると、隣からぐっと手を掴まれ引き止められた。その手は僕の手を高く天井へと掲げた。試合の後と同じだった。

 僕はその手に促され姿勢を正し、今日の演技を成し遂げさせてくれた氷に感謝をした。そして隣に立つパートナーと一緒に、僕たちを見てくれた人々に向かって頭を下げた。拍手がまた起こった。くるりと向きを変え、反対側にも。小さな子どもが嬉しそうに手を振ってきた。陽向さんはその子に向かって、笑顔で手を振り返した。
「いいリンクね。お客さんもいるし、張り合いがあるわ」
 幸せそうな横顔だった。

「一年でずいぶん化けたものね。まったく。こんなに上手くなってるなら、あらかじめそう言っとかなきゃだめじゃない」
 リンクにはいつものように有線放送が流れだした。僕たちは理子さんに連れられ、フードコートに腰をおろした。ばらばらと散っていく人々から、「さっきの何?」「すごかったね」「初めて見た」という声がちらほら聞こえていた。

「たまたま電話がつながったからよかったようなものの。オーナーだって暇じゃないんだからね」
 自分がこの企画をしたくせに。僕が怒られるなんて。理不尽な気がするのは気のせいか。
「さっきスマホでしゃべってたのがオーナー?」
「喜んでたわよー。わくわくするって。いい夢見せてあげなさいよ」
 理子さんは晴れやかな顔でそう言った。さっきまで僕のこと、大したことないだろうと思ってたくせに。
 でもそれもさっきまでの話なのだ。画面の向こうで演技を見てくれたオーナーという人も、僕たちを認めてくれたのだ。

「オーナー様には、ご挨拶申し上げなくてよろしいのかしら」
「あ、別に必要ないと思います。それよりいきなり練習とは別のお話でなんなんですけど、よかったらショーに使えるようなどかーんと派手なプログラムを一つ二つ用意していただけません? こちらの希望した時にそれを滑ってもらえるなら、その都度二人には謝礼をお渡しします。それがあれば制覇君も海外遠征なんかが楽になるでしょうし」
「分かったわ。エクシビションのプログラムもいずれ必要だと思っていたから、何か作ります」
「ありがとうございます。二人の支援については誠意を持ってやらせていただきます。で、いつどのくらい貸し切りが欲しいかですね。うちとしてはショッピングセンターのお客さんの目に触れる時間帯に滑ってもらえるとありがたいんですけど。やっぱり広告効果が違いますので」
「ただそういう時間帯だと、他の子のレッスンで私がこちらに来れないので」
「なるほど。それではですね……」
 二人は翌月のカレンダーを机に広げて相談を重ね始めた。

 理子さんは貸し切りの他に、ショッピングセンター内にあるトレーニングセンターも使えるように手配すると言ってくれた。僕たちはきっと大きくなる、この支援の目的はリンクや経営元の宣伝ではなく僕たちを育てて世界に送り出すことなのだと理子さんは胸を張って言った。
 その結果僕たちが成果を上げればのちのち大きな宣伝になるのだから頼むわよと笑ったので、結局は宣伝が目的のようだった。まあいいけど。

 今後についての打ち合わせが終わると、果歩がやってきた。
「二人とも、すごい見応えだったよー! びっくりしちゃった! やっぱりここは制覇の戻って来る場所だったね~。るんるん!」
 果歩は馬鹿みたいに浮かれていた。そんな果歩に向かって、陽向さんは緊張したように「これからお世話になります。よろしくお願いします」と馬鹿丁寧に挨拶をした。

「かほちゃーん」
 遠くから子どもたちの声がした。果歩は「こちらこそ、これからよろしくお願いしまーす」と言い残して、子どもたちの待つリンクへと消えた。僕たちの新しいホームリンクへ。僕の育ってきたホームリンクへ。
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