一人で寂しい夜は

春廼舎 明

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行き着くところ

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 万理江が部署異動になった。
 パッと顔を上げると、にかっと笑う万理江の顔が見れなくなるのか、と思うと残念だ。そう言ったら、レンズで大きく見える瞳をキラキラさせて感動してくれた。
 異動となったのは万理江だけでない。業務分担の見直しによりグループ、部署の統廃合が行われたのだ。彼女は税理士事務所で働いていた経験を買われたのか、あの神業的スピードの伝票処理のおかげかわからないけれど、経理部門に異動となった。

「はあ、上野さんが来てから、本当激動ですね」
「まあ、それが仕事だし?」
「この部署来た時は、女性が多くて面倒くさそうだなって思ったら本当に面倒だった。」
「以前よりバランスよくなりましたね。」

 歓送迎会でまたいつものメンバーが顔を揃え、そんな話を聞いた。
 二次会には参加せず、万理江の部屋に泊まりに行った。相変わらず彼女の部屋は、素っ気なく、そしてお酒のおつまみが充実していた。最近は乾燥野菜チップにはまっているらしく、カラフルな野菜やフルーツのチップをおやつボールにザラザラーと出して、飲み直しの準備をする。寒くても缶チューハイ? と思ったら、チップスの中からオレンジと思われるスライスを2~3枚取り出し、キッチンに行ってしまった。後ろ姿を目で追っていると、マグカップにみかんと蜂蜜を落とし、スパイスパウダーを振って赤ワインを注ぎ、レンジで温める。即席モルドワインを作ってくれた。

「モルドワイン?」
「うん、ヴァン・ショーとかグリューワインとか言う。子供向けだとりんごジュースで作る。子供の時、冬によく飲んだよ。」
「甘酒みたいな感覚なのかな?」

 万理江の作ってくれたのは、オレンジに代わってみかんが入り、蜂蜜と生姜が効いていて美味しかった。スパイスは何だろう、生姜、シナモン、クローブだけ? 私も家で作ろう。
 吏作さんが引っ越して来て生活の土台が一応出来上がる。散策がてら近所の神社にお参りに行くと、屋台で甘酒を配っていた。

「…おばあちゃんの味」
「…ああ、こっち来た時飲んだってこと?」
「そう。」
「まあ、こっちにいたって酒粕から甘酒を家で作るかって言うと、味噌汁作るのと違うしな。」

 両親が日本に帰って来た。吏作さんが挨拶をする。両親にどう紹介したものかと、どんな風に見られるんだろう、吏作さんを介して私の両親にすら話していない、見せていない内面を見られるようで恥ずかしかった。居心地が悪かった。
 とにかく居心地が悪かった。悪いことをしているわけでも両親と仲が悪いわけでもないけれど、二度はこんな思いしたくないなと思った。吏作さんはのんびり職場でいつも一緒に働いてますから~と、さらりとかわしながらジャブを返すようないつもの吏作さんだった。緊張とかしないのだろうか、この人は。
 久しぶりに家族水入らずで食事にでも行って来たら? と言われたが、久しぶりに夫婦水入らずで過ごさせてよと追い返された。すごすごと引き下がると、吏作さんが不思議そうな顔をした。

「え~? 葵ちゃんもいいの?」
「別に何年経ったって、親は親だし。」
「あっさりしてるなあ。でも、いくつになっても恋人のように過ごせる夫婦っていいね。」
「まあ、実際あの二人まだ若いし。」
「うちの両親と逆だ。」

 互い愛情が無くなり惰性で一緒に居たり、思いやりが無い態度をとる夫婦よりずっと良いと思う。自分の肉親を褒められるのは、なんだか自分が褒められるより嬉しい。

「じゃ、帰ろうか。」
「はい。」

 地元の駅に着くと、駅前のパン屋さんに向かう。いつものひまわりの種とオリーブを混ぜ込んだパン、ペストリーを買う。
 コーヒーとペストリーをテーブルに並べようやく話す態勢を整える。

「はい」
「…」

 先を越された。にっこり笑って差し出したのは、ドラマとかで見たことある用紙。
 しかも、私の記入欄と日付欄を残すのみとなっている。ご丁寧に会社に提出する書類まで用意されている。
 先日有休使ってまで役場や銀行、あちこち窓口を回った苦労はなんだったんだ? また今度は苗字変更の手続きに行かなきゃならないの? ここで流されたら、今後も一生この調子に流される? 流石にそれはイラッとした。

 ……はて?

 仮にここで流されるとして、今後同様にされたら困ることって、何があるだろう? デートと思ったら結婚式だったとか? どこぞのお悩み相談掲示板ネタじゃあるまいし。
 イラっとしたのはなぜだろう。やったことが無駄になると思ったからか、もう一度あの面倒事をしなければならないと思ったからか。でも冷静に考えれば初めから正解や決まりがある文字を書いて待つだけ、窓口でボケーっと椅子に座って待つ、もしくはゲームでもやって時間を潰す、苦労や面倒ってほどでもない。
 いや、わざわざあちこちの窓口に出向いて書類を渡し、ぼけっと待つそれを繰り返すから、繰り返すことを面倒と思うのだ。でもどの言葉を残すか削るかって頭をひねって悩むいつもの仕事より断然楽だ。でも……

 ふうっと、深く息を吐く。
 結局、私は吏作さんに流されるんだ。でもこの流れは心地良いと思うところへ行き着くんだろう。そう思えたから、私は吏作さんの顔を見上げた。
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