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支配の蠱毒
鬼ごっこ
しおりを挟む強風が、辰爾先生の体をよろけさせる。
蟲と呼ばれた白い異形は見えない何かに攻撃されているように、ぬめりけを帯びた体をくねらせた。
扉がひとりでに開いた。
まるで、こっちだよ、と手招きされているようだった。
私は夢中で開いた扉から外に出る。
職員室に駆け込めば、他の先生もいるはず。
助けを求めよう。
そう思い、後ろを振り向かずに廊下を走る。
湿り気のある廊下は、上履きの靴底に足を踏み出すたびに張り付くようだった。
職員室までたどり着き、扉に手をかける。
けれど扉は強力な接着剤で貼り付けられたようにびくともしない。
扉の中は明るく、仕事をする先生たちの姿が見える。けれど職員室と廊下は別世界で、そこには深い溝があるように、私の姿に気づく人は誰もいない。
「誰か……!」
職員室の中に声をかけるけれど、顔をあげる人さえいない。
扉に手をかけた私の手の上に、大きな手が重ねられる。
「逃げても無駄だ、杏樹。お前は俺の人形になる。未成年が一人で生きていくのは大変だろう。俺が飼ってやる」
背後から、辰爾先生の声がする。
じっとりと湿った廊下のように湿り気を帯びた声が鼓膜に触れるだけで、肌の下をねっとりと撫でられるような気持ち悪さを感じる。
天井の一番高い位置から、白い化け物が私を覗き込んでいる。
にやにやと笑っている大きな口から、どろりとした透明な粘液が、たらたらと垂れている。
その化け物が呼吸をするたびに、蛇の腹のような形をした太い首が、上下に動いた。
口の端から、紫色の毒々しい霧が溢れている。
「凄いだろう。生意気なお前たち子供を従わせる、便利な力だ。子供は自分で判断できない。すぐに間違った道に進もうとする。俺のような大人が指導してやらなければいけない。金の稼ぎ方も、お前の価値も、教えてやる。お前はまだ若い。良い商品になる」
「離して! 榎本先輩に、一体何をしたんです……!?」
背後から抱きすくめるようにされると、嫌悪感に背筋を悪寒がはしった。
耳にかかる生臭い吐息に、私は顔をしかめる。
嫌なことを、思い出してしまいそうになる。
怯えていることに、気づかれたくない。
苛立ちと怒りが腹の底から湧き上がってくる。怒りは恐怖に勝つことができる。私はそれを知っている。
私は背後の辰爾先生を睨みつけた。
私にできる精一杯の虚勢だった。
「大したことはしていない。クラスに馴染めないようだから、構ってやっただけだ。可愛がってやっていたら、登校拒否をするようになった。ただの生徒の分際で、俺に迷惑をかけやがって。俺のクラスに落ちこぼれはいらない。登校拒否の生徒がいたら、俺の評価が落ちるだろう?」
「可愛がる?」
「あぁ。暗い女だったが、体つきだけは良かったからな。皆と馴染めるように、胸がでかいことを褒めてやったし、男子生徒たちに触らせてやった。友達が増えて、あいつも嬉しかっただろう」
「最低ですね」
私は、いったい誰と話をしているのだろう。
この人は、壊れているのだろうか。
酷い吐き気がする。
「俺がせっかく目をかけてやったのに。俺に迷惑をかけた罰だ。蟲の力で支配して、商品にしてやった。家に閉じこもっている役立たずに、社会貢献させてやったんだよ。それなのに、勝手に死んだ。最後まで使えない生徒だった」
「よく、そんなことが言えますね。あなたは、人間じゃない」
「そうだ。杏樹。俺は神だ。神に等しい力を、授けられた。これは支配の蠱毒。これの毒を飲んだ人間は、俺のいうことをなんでも聞くようになる。人間は、支配するものとされるもの、二つにわけられる。俺は支配する者だ」
最低。最悪。大嫌い。
安易な単語しか思い浮かばないけれど、頭の中にそんな言葉たちがぐちゃぐちゃと渦巻いている。
自分で死を選んだ榎本先輩と私は、面識があるわけじゃない。
けれどーー榎本先輩が感じた辛さを思うと、体と心が切り裂かれるように痛んだ。
辛かっただろう。
一人でずっと耐えていたのだろう。
先輩が自分の名誉と自尊心を守るためには、その選択しかなかったのかもしれない。
「さぁ、杏樹。自ら俺に従うか、蟲に支配されるか、選べ」
「いや、嫌……っ!」
どちらも嫌に決まっている。
首を降ると、白い怪物の白い顔が、私に近づいてくる。
巨大な口で、私の頭を丸呑みにしようとしている。
ぱっくりと開かれたぬらぬらしたピンク色の粘膜から、粘液が滴り落ちている。
私はきつく目を閉じた。
助けて。
助けてーー
でも、誰が、私を助けてくれるのだろう。
そんな人、私にはいないのに。
私は、一人だ。
私は、ひとりぼっち。だから、自分の身は自分で守らないといけない。
でもーーどうやって?
再び、突風が巻き起こった。
突風は窓を震わせる。
整然と並んだ廊下の窓が、甲高い破壊音と共に一斉に割れた。
散乱する硝子を踏み締めながら、窓から真っ白な男の人が現れる。
「その悪趣味な形をした妄念は、お前の趣味?」
まるで散歩の途中に通りかかったような気軽さで、呂希さんが窓から入ってくる。
その声に、その姿に驚きと共に安堵したせいか、じわりと涙が滲んで、視界が歪んだ。
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