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第一章 マユラ、錬金術師になる
ユリシーズ・レイクフィア
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裏地が赤い黒いマントをひるがえし、長い足で音も立てずに男が歩くと、自然と視線が集まってくる。
ユリシーズ・レイクフィアはそれほどまでに人目をひく男だった。
月の光のような銀の髪は陽光をうけて艶やかな光の輪ができる。
涼しげな目元、空色の瞳。背が高く、肉弾戦も鍛えているために体つきも騎士たちに負けないぐらいに立派だ。
微笑むことは滅多にないが、そこがいいのだと彼に熱をあげている女性たちは言う。
「これはこれは、ユリシーズ殿。この度は男爵になられたとか。おめでとうございます」
そう嫌みったらしく言うのは、ルクスソラージュ騎士団団長バルトである。
バルト・ロードメルク。ロードメルク侯爵家の次男で、まさしく家柄で要職についたような男だ。
騎士にしては小柄で細身。戦いには向いていない。
魔物討伐の際も前線に出ることはせずに、後方で指示をするだけの典型的な貴族だ。
ルクスソラージュ騎士団の本拠地があるのは、王城の一角。
二番隊を任されているユリシーズは、本日の仕事を確認するためにバルトの執務室へとやってきた。
嫌味を言われても礼儀だからと、礼をして返す。
(爵位など、くだらない)
ユリシーズはそう思っていたが、この国では爵位がそのまま地位に繋がる。
爵位を手に入れて家の価値をあげる必要があると、ユリシーズの父は考えていた。
ユリシーズ自身はそんなものがなくても生きていけると思っていたが──こうしてバルトと話をしていると、地位を手に入れのしあがる必要があるのかもしれないなと、思わずにはいられない。
現在二十五歳のユリシーズが騎士団に所属したのは、今から五年前のこと。
その当時の団長はレオナード・グレイス。
グレイス公爵家の長男で──魔力を持たないただの人間だった。
ユリシーズは魔力なしの部下になることについて強い反発心を抱いていたが、レオナードは現在の団長バルトに比べれば、よほど『まとも』な男だったと、今にして思う。
「妹君をアルティナ公爵に売ったのだと聞いたぞ。可哀想に」
「……私の妹は、強い女です。誰に嫁いでもきっと、上手くやっていけるでしょう」
「そうかな。お前は何も知らないんだな」
どういうことかと、ユリシーズは眉をひそめる。
マユラがアルティナ公爵オルソンの元に嫁いだのは、今から四年前のこと。
まだ十六歳だったマユラを嫁がせることに、ユリシーズは不満がないわけではなかった。
だが、レイクフィア家に生まれて、魔法がほとんど使えないマユラが政略結婚に使われるのは仕方のないことだった。
それに、あのまま家においていても、マユラはどうにもならなかっただろう。
使用人として一生を終えるよりは、まだ嫁いだほうがいい。
「アルティナ公は、王城で夜会があるたびに義理の妹を連れていただろう? とうとう義妹が身籠もったらしい。そのため、正妻とは離縁して、義妹を妻に迎えたのだとか」
「……それは、本当ですか」
「妹は家に戻ってきていないのか? 家に戻ることは恥だと感じて、どこかに身を隠したのだろうな。可哀想に。公爵に離縁をされた女が、一人で生きていけるとはとても思えないが」
いや──それはない。
マユラは、一人で生きていけるのだ。
そのように、父が仕込んだ。
レイクフィア家とは、優秀な魔導師を排出することで有名な家だ。
魔法の力で食ってきた家なので、魔力なしの人間や、魔力があっても魔物一匹倒せない人間は、役立たずとみなされる。
マユラは役立たずだった。役立たずのマユラを役立たずのまま終わらせないために、父はマユラを使用人のように扱った。
どこにいても、なにがあっても生きていけるように。
マユラはきっとレイクフィア家では辛い思いをしていただろう。
だが──マユラは自分の境遇について泣き言をいうこともなく、それどころか家の役に立つ賢い女に育った。
レイクフィア家の家計の管理や、食料の栽培や、掃除や洗濯や食事の用意。
十五歳を過ぎる頃には、それら全てをマユラ一人に任せても過不足ないぐらいに、しっかりと働くことができるようになった。
使用人たちに侮られても、家族からの優しさが得られなくても、心折れずに努力していた。
──強い、女なのだ。ユリシーズの妹は。
だから嫁がせた。そして、マユラは父の期待通りにアルティナ公爵家でうまくやっているようだった。
アルティナ公爵領にあるヴェロニカの街の特産品、ヴェロニカグラスや、ヴェロニカ織り。
それらを王都に広め、貴族たちに広めたのはマユラだ。
表向きはオルソンが自分の商才のように振る舞っていたが、レイクフィアの者たちはきっとマユラだろうとわかっていた。
「アルティナ公はマユラを捨てて、義理の妹を娶った、と」
「そうだよ。社交界は今その話題でもちきりだ。貴族の女たちは、人の恋愛や醜聞が好きでな。まぁ、それだけ暇なのだろう」
パキリと、バルトの執務室が一瞬のうちに凍り付いた。
文字通り、凍り付いたのである。
窓には霜がはりつき、床や天井は氷で覆われる。
執務机の上にいけられている薔薇の花が一気に、凍り、パキンと割れて花びらが粉々に砕け散った。
「お、おお、お前、どういうつもりだ、ユリシーズ!」
「──失礼。あまりの怒りに、魔力の制御ができず」
「な、なんなんだ、お前は……! これだから魔力持ちは嫌なんだ! おそろしい! どうやら海上でリヴァイアサンが暴れているらしい、さっさと討伐に向かえ!」
「わかりました」
がたがた震えるバルトを冷たい目で一瞥して、ユリシーズは部屋を出る。
(マユラが、捨てられた? 家には戻ってきていない。どこに行ったんだ、マユラ……)
バルトの失礼な態度もどうでもいいと思えるぐらいに、頭の中は妹のことでいっぱいになっていた。
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