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第二章 マユラ、錬金術店を開く
レオナードとナルシェル
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レオナード・グレイスの現在の住居は、傭兵ギルドのほど近く。
傭兵というのはどうにも訳ありの者が多い。着の身着のまま王都に辿り着き、仕事を探す内に傭兵ギルド長ベルグランに拾われてギルドの二階に間借りする者も少なくない。家を借りる金がないためである。
ある程度身を立てることができるようになるとそこから出て行くが、独身を貫いている者などはまるで自宅のようにギルドの二階に住みついている。
レオナードも一時はそうしていた。金がなかったわけではなく、貴族育ちのレオナードは自分で家を借りたり生活をしたりすることに慣れなかったのである。
今はある程度の生活の知恵がついて、滞りなく一人で暮すことができている。
だが、自宅には滅多に戻らない。これはレオナードが一度出かけると中々王都に帰って来れないからだ。
純粋に道に迷いやすいということもあるが、困っている人を見ると放っておけない性分なために、一つの目的のために出かけたはずが、その目的が五にも十にも増えていることが多いのである。
レオナードは自宅の浴室で湧かした湯を頭からかぶり、ざばざばと体を洗った。
鍛え抜かれた腹筋に湯の雫が流れ落ちる。左胸には太陽を模した刻印が入っている。
(なんだか、楽しかったな)
マユラと二人で──正確には、ユリシーズや師匠と皆でスキュラやリヴァイアサンを討伐した。
海の中で人魚の姿になっていたマユラや、幽霊を怖がっていたユリシーズ。それから、文句を言われながらアンナに泡塗れにされる師匠の姿を思い出す。
マユラに預けたルージュ小さく丸まって、不思議そうに皆の様子を眺めていた。
妙に賑やかで、騒がしくて。いつものレオナードの生活とは、まるで違う時間だった。
昔の生活や今の生活が寂しいというわけではない。だが──不思議と肩の力が抜けるような感覚があった。
「それにしても、呪い、か」
アンナに指摘されたことを思い出しながら、レオナードは髪や体を雑にふいて、アパートメントの二階にある自室のリビングにある革張りのソファに座った。
マユラの元から帰ってきた時には昼過ぎだった。昼下がりの優しい陽射しがレオナードの鍛え抜かれた彫刻のような体を照らしている。
路地の行き止まりにある古びたアパートメントである。一階には大家の老婦人が一人で暮していて、レオナードがここに住んだのは、とある依頼で知り合った老婦人に、二階があいていると言われたからだ。
その老婦人も、年嵩になり一人では暮らせなくなったために、息子夫婦の元で共に暮すようになり、今ではアパートメントにはレオナード一人きりである。
出て行こうかと言ったのだが、老婦人の息子に、嫌じゃなければそのまま住んでいて欲しいと言われた。
アパートメントの取り壊しには金がかかるし、古びていて、暗い路地の奥にあるために、住み手もみつからないだろうし。それに元々は老人が夫と営んでいた宿で、すぐに売ってしまうのも忍びないから──ということだった。
そのまま住まわせてもらえるのならば、レオナードとしてもありがたい。
建物の古さも、立地の暗さも気にならない。息子が言葉を濁していたことや、立地からして、おそらくは元々連れ込み宿だったのだろうが、レオナードにとってはさして気にするような事柄でもなかった。
どうせ、時々しか帰ってこないのだ。帰ってくることができないと言うべきか。
「……生まれた時から呪われているのだから、今更、呪いの一つや二つ、なんでもない……なんて、言ってられないか」
レオナード・グレイスがグレイス家の家督を継がなかったことには理由がある。
その出自には疵があった。
グレイス家には子供が二人。長男のレオナードと、次男のナルシェル。
ナルシェルはレオナードよりも二つ年下の二十三歳。穏やかで優しい青年で、二十歳で妻を娶り二歳の娘がいる。未だ独身でふらふらしているレオナードとは違うしっかりした男だ。
レオナードは十五の時に騎士団に入ると言って家を出た。ナルシェルにはその時に「俺には公爵はむかない。ナルシェルが家を継げ」と伝えている。
当然、反発をされた。家を継ぐのは長男だと。「兄さんは責任を放棄するのですか」と問い詰められて、レオナードは頷くことしかできなかった。
ナルシェルは知らないことだが、レオナードはグレイス家の父の血しかひいていないのだ。
今は亡き父であるグレイス公爵は勇猛な男だった。母と結婚してすぐに領地の端にある精霊の森と言われている深い森に出現した魔物を討伐しに出かけた。
父はそこで魔物に敗れて、崖から川に落ちたのだという。精霊の森で密やかに暮していた少女が父を救ったとき、父は記憶をなくしていたらしい。
二人は運命に引かれ会うように愛し合った──と言えば聞こえはいいのだが、グレイス家の母からしてみたらそれは単なる浮気である。
一年後、レオナードが生まれた。レオナードの母はレオナードを産んで命を落とし、どういうわけか母が死んだ時、父は記憶を取り戻した。
グレイス公爵はレオナードを連れてグレイス家に戻り、レオナードをグレイス家の長男として育てた。
だが、当然レオナードはグレイス家の母に嫌われていた。お前などはいなくなればいいと何度も言われたし、呪われた子だとも言われていた。
ナルシェルを産んだあと、グレイス家の母は長らく心労が続いていたせいもあってか、体調を崩して床につき、数年後に亡くなった。
ナルシェルは、グレイス家の母がレオナードを嫌っていたことを知らない。レオナードが不義の子であることもしらない。知らせなくていいと、レオナードは思っていた。
騎士になったのは、真っ当に生きるためだ。
胸の太陽の刻印は、太陽のような心を見失わないようにするために彫ったものだ。
──まさか、本当に太陽の騎士と呼ばれるようになるとは思わなかったが。
父は母についてをほとんど話さなかった。一度だけ、聞いた話では、森の中で暮した時間はまるで夢の中にいるかのようだった。ぼんやりとして、覚えていないのだ、という。
だから、本当の母がどういった人なのかもしらない。ナルシェルは可愛い弟だとは思うが、レオナードは家族の情や愛についてをよくしらない。
マユラの家は賑やかで、楽しかった。
そう感じるのは、マユラや師匠やアンナには血の繋がりがないものの、なんだか親しい家族のように見えたからなのかもしれない。
「……王女の呪いなのか。わからないな。俺よりも隣国の王のほうがよほど立派な男性だっただろうに」
深く溜息をつく。死んだ王女の顔が思い浮かんで、レオナードは軽く首を振った。
死んだ王女の顔に、マユラの笑顔が重なる。
オルソン・アルティナの妹好きは有名な話だった。そこにマユラを嫁がせればどうなるのかはわかりそうなものだが。
レイクフィア家は貴族ではない。だからオルソンの醜聞を知らなかったのだろう。
それに、ユリシーズはあまり他人のことを気にしない。
人の噂などは歯牙にもかけない。ある意味で、清廉な人柄だ。やや問題はあるものの。
マユラがどれほど苦労をしたのかは、話を聞かなくてもなんとなくは想像できる。
それでも前を向いて生きようとしている彼女が、心配だった。
危険も怪我も顧みない無謀さは──まるで、自分の命の価値を見失っているように思えてならなかった。
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