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恋愛のおまじない
しおりを挟む王家の中庭には、ライラックの木が何本か植えられている。
初夏の涼しい風が甘い香りを運んでくる。紫や、ピンク色や、白の花が、大きく育った木を埋め尽くすように、小さな花を群生させていた。
「リラという名前は、ライラックの別名だったな、確か」
ライラックの木々の合間をゆっくりと歩きながら、ロヴィが言った。
私と結婚したいとロヴィに言われたのは、少し前のことだ。
それから、私とロヴィの婚約が決まるのはあっという間のことだった。ヴィヴィアナ様とお母様は手を取り合って喜び、お父様はしくしく泣いていた。「リラたんがお嫁さんに行ってしまう」と言いながら私を抱きしめてくるので、頭を撫でてあげた。
婚約が決まっただけで、結婚するのはもっと先のことだ。
貴族の子供たちは大抵の場合魔力を持っている。だから、王立魔導学園に通うのが普通だ。
私とロヴィは卒業してから結婚するのだと、お母様が教えてくれた。そうすると、十九歳だろう。
女性は十八歳から二十歳ぐらいまでに結婚するのが一般的なので、妥当な年齢だ。
ロヴィは一つ歳上だから先に卒業してしまう。「一年待ってもらうことになるのね」とロヴィに言うと、「俺が卒業したらすぐに結婚では駄目だろうか」と言っていた。
お母様やお父様に聞かないとわからないので、私は曖昧に言葉を濁すしかなかった。
遠い先の話のような気がして、いまいち実感が湧かなかったということもある。
ロヴィを男の子として意識しはじめだのだって、結婚したいと言われてからのことだし。
「うん。リラは、ライラックのこと。よくある名前だわ。ラシアン王国の人たちはライラックが好きだから、女の子にリラと名付ける人が多いのよ」
「遥か昔の王族が、ライラックを好んでいたそうだ。古の王の、王妃の好きな花だったらしい。だから、この庭にも、国にも、多くライラックが植っている。王国民はそのために花を見る機会が増えて、リラという名を持つ女性が増えたのだと言われている」
ロヴィは、私と手を繋いで花を見上げながら言った。
最近、ロヴィは気付けば私の体を触っている。手とか、髪とか。
昔はなんとも思わなかったのだけれど、今は妙に胸がざわざわする。嫌なものではないけれど、ロヴィの体温を感じると、少しだけ緊張する。
「昔の王妃様のおかげで、綺麗な花を見ることができるのね」
「あぁ。……そうだな」
「ロヴィは物知りね」
私の知らないことを、ロヴィはよく知っている。
家庭教師の先生が私に教えている勉強と、ロヴィやシグが教わっている勉強は、少し種類が違うらしい。
具体的にどこがどう違うのかはよく分からないけれど、私が受ける教育は礼儀作法や、貴族としての心得や、ダンス。それから、読み書きと、計算。歴史や地理も少し。
けれどロヴィ達は、国を治めなければいけないから、私よりももっとたくさん、倍ぐらいの勉強をしているみたいだ。
「私も、ロヴィと同じぐらい勉強をした方が良いのかしら。私、ロヴィと結婚したら、王妃様になるのでしょう? あまり、不出来だと呆れられてしまうわ」
「リラは、今のままで良い。十分に優秀だと、ネメシア公爵も良く言っている」
「それは、お父様だからそう言うのよ。お父様は私に甘いのよ」
私は頬を膨らませた。
お父様やお母様、公爵家の者達は私に甘い。気をつけないとーー勘違いしてしまいそうになる。
自分が優秀だと思い込むことほど愚かなことはない。
だから、私は褒め言葉を極力額面通り受け取らないようにしている。
「リラが不出来だとは、誰も思わない。リラにはリラの役割がある。だから、俺と同じようにはならなくて良い」
「そうなのかしら」
ロヴィに言われて、私は首をかしげた。
それから、良いことを思い出して、繋いでいる手を引っ張った。
「ロヴィ! あのね、ロヴィが多分だけれど、知らないことを教えてあげるわ」
「なんだ?」
「ライラックの花の花弁は四枚でしょう?」
「そうだな」
「五枚のものが、ごくたまにあるらしいの。それを見つけてこっそり飲み込むと、恋が叶うらしいわよ」
「飲み込む? 食べるのか? 花を」
「うん」
それは王国民に伝わるおまじないの一種だ。
お母様や侍女たちはこういった話が好きで、私とロヴィの婚約が決まった時に、教えてくれたのである。
「……五枚、か」
ロヴィは、手を伸ばして紫色のライラックを一房摘んで、細い枝を手折った。
まじまじと花を見つめた後に、小さな花を一つ指先で摘む。
小指ぐらいの大きさの小さな花の花弁は、五枚あった。
「すごいわ。もう見つけたのね。案外たくさんあるのかもしれないわね」
私はロヴィの手の中の花を見つめて言った。
「半獣族は目が良いから。見つけるのは、案外容易かった」
「私とロヴィの見ている世界は、違うのね」
「そうかもしれない」
ロヴィは、その花を躊躇なく口に含んで飲み込んだ。
喉が、ごくんと動くのを、私は呆気に取られて眺めていた。
「ロヴィ、花を食べたら体に悪いかもしれないわ。それに、おまじないは、誰にも見られないところで食べなくてはいけなくて……、ともかく、吐き出した方が良いわ。体、壊すかもしれない」
「もう飲んだ」
「どうして飲んじゃうのよ」
私はロヴィの口の端に指を突っ込んで、口の中を確認した。
ロヴィは昔から、私のこういった横暴な仕草を受け入れてくれる。嫌がりもせずに口を開けてくれたけれど、口の中には確かに何もなかった。
私は仕方なく、口から手を離す。
指が、唾液で濡れてしまった。
ロヴィは、手の中に残っているライラックの花の細い枝を、私の髪にそっとさした。
一つにまとめた髪から、紫色の花が垂れるようにして飾られる。良い香りがした。
それから、胸ポケットからハンカチを取り出すと、私の手を丁寧に拭いてくれた。
「……リラが、俺のことを好きになってくれるかと思って」
「……嫌いじゃないわ。だって、ずっと一緒にいるのだし」
真剣な声で、ロヴィが言うから、私は恥ずかしくて俯いて、照れ隠しに小さな声で言った。
本当は好きだと言いたかったけれど、はじめての感情に戸惑ってしまい、上手く言葉が出てこなかった。
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