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居場所
しおりを挟む両親が亡くなり一ヶ月。
王立学園に入学する数日前である。
必要な荷物を馬車に積み込み、あとは王都に向かうばかりだ。
両親が亡くなったあと伯爵家を継ぎ、メルティーナのために準備を手伝ってくれていた兄に礼を言おうと、出立の前の晩にメルティーナは兄の元に向かった。
突然の父の死で、伯爵としての仕事の引き継ぎがあまりできておらず、兄は夜半過ぎまで仕事に追われる日々を送っていた。
メルティーナも極力手伝うようにしていた。
だが兄の傍にはいつも兄嫁がいて、メルティーナが顔を出すとあからさまに嫌そうな態度をとるために、このところは遠慮をしていた。
この時間なら執務室に一人だろうと見越して、メルティーナは皆が寝静まったあと、静かに兄が仕事をしている執務室に向かう。
音を立てないように廊下を進み、扉の隙間から光のこぼれている執務室の前に辿り着いた。
ふと話し声が聞えて足を止める。
誰か先客がいるらしい。静寂が支配する廊下に、執務室からの声が響いてくる。
盗み聞きをするのは憚られたが、声の主が「メルティーナ」と言ったのを耳にして、つい、耳をそばだててしまう。
「メルティーナさんは、王立学園を卒業したら殿下と結婚をするのですよね?」
「あぁ、そうなるだろうね」
「それはよかった。殿下はメルティーナさんにご執心の様子ですから、リュデュック家も安泰ですね」
優しく穏やかで少し気の弱い印象の兄の声音と、はきはきとしていて冷たい兄嫁の声が交互に響く。
兄嫁は、侯爵家の次女だ。
リュデュック伯爵家よりも家格が上の家から嫁に来た。
父の話では、その性分が苛烈で嫁のもらい手がいなかった故に、侯爵家から頼まれて嫁として受け入れたのだそうだ。
兄よりも年齢が上で、確かに気の強い印象の女性だった。
生まれてから一度も怒ったことのないような、温和な息子となら上手くいくだろうと、両親は考えたらしい。
「──それは、どうだろうか。僕は父から頼まれているんだ。いつか、メルティーナは家に戻される。そのときは優しく受け入れるようにと」
「どういうことですか?」
「……殿下の番はメルティーナではないだろう。殿下は人獣だ。そのうちメルティーナは捨てられる」
「なんですって?」
怒りに満ちた声が、廊下に響く。
メルティーナは立ち去ろうとした。けれど、足が床にへばりついてしまったかのように、動かなかった。
「殿下に……王家に捨てられた女を家族に持つなど、恥ずべきことです」
「そうはいっても、仕方のないことなんだ」
「捨てられないように、メルティーナさんに指導をするべきです。たとえば体を使って、殿下を今のうちから籠絡してしまえばいいのです。そうすれば、たとえ番があらわれたとしても、側妃か妾ぐらいにはしておいてくれますでしょう」
「妹にそんなことをしろとは言えない」
「この家の人たちは、メルティーナさんに甘すぎます。何の覚悟もなく、王太子殿下の婚約者になっているのですか? 馬鹿馬鹿しい。努力もせずに捨てられて、捨てられたからとこの家で受け入れるなんて……」
兄嫁の言葉に、雷に打たれたような衝撃を受けた。
──確かに、彼女の言うことにも一理ある。
両親も兄も、家の者たちは皆、優しい。
甘やかされていると言われてしまえば、その通りだ。
「王家に捨てられた女を置いておくなど、醜聞にもほどがあります。私は賛成しかねます」
「では、どうしろというのだ」
「後釜を探しておくべきです。若い内に捨てられたのなら、まだ嫁ぎ先もあるというものでしょう? そういえば、私の叔父は叔母を亡くして久しいですが、まだ壮健です。お金もありますし、ちょうどいいのでは」
「君の叔父は、もう高齢だろう」
「それが何か? 何もせず、家の役にも立たずにただ生きているなど、貴族令嬢としては恥ずべきことです」
「……考えておくよ」
メルティーナは逃げるように部屋に戻った。
そこには、現実があった。
父も母もいなくなってしまったこの家にはもう、自分の居場所はない。
いつまでも子供ではいられない。
──大人にならなくては。
でも、どうやって。
大人とはなんだろう。それは──覚悟を決めて割り切って、側妃の座を得るために今から、ディルグを籠絡することだろうか。
メルティーナはディルグに恋をしている。
求められれば、当然、受け入れるだろう。
そこには愛情があるからだ。打算などではない。
打算の感情が交じれば、恋心はとたんに薄汚いなにかに変わってしまうような気がした。
(……覚悟が、ないから?)
そう思うのは、メルティーナが甘やかされて育ったからなのだろうか。
メルティーナはディルグを信じると決めた。
だから大丈夫、この家にはもう帰ることはない。きっと、ないはずだ。
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