21 / 56
それはまるで呪いのように
しおりを挟むヴィオレットは生まれつき心臓が弱く、虚弱な体質であったのだという。
家の外に長年出ることができず、治療を続けて半年前、ようやく家の外に出ることができるようになった。
王都への旅路も困難であったが、それに耐えられるほどに回復したために、王立学園の入学が決まったのだそうだ。
そんな話を、ヴィオレットは遠慮がちにメルティーナにしてくれた。
社交の場に顔を出したことがない。だから、彼女はディルグが王太子であることも、メルティーナが婚約者であることも知らないようだった。
「こんなに寒い日に入学だなんて、大丈夫なのですか? せめて春を待ってからでは」
「もうすっかり、丈夫になったのですよ。早く王都に行きたい、同年代のお友達が欲しいと、わがままを言ったのです。辺境は王都よりももっと寒いですから、ご心配にはおよびません」
「それなら、いいけれど……」
「メルティーナ様はリュデュック伯爵家のお生まれなのですね。ごめんなさい、私あまり、詳しくなくて」
「有名な家ではありませんから。イルマール辺境伯家のほうがよほど、武名の誉も高いですし」
「ありがとうございます! 兄たちは、とても強いのですよ」
厭味のない、愛らしい少女だ。
家柄も申し分なく、なにより人獣だ。
──せめて、嫌な女性だったら、よかったのに。
メルティーナが心底嫌うことのできるような、嫌な女であれば。
けれどそうではない。ヴィオレットは、この短い邂逅でも、純真で無垢で、穏やかな少女だと感じる。
「あ、あの、メルティーナ様。先ほどの男性は、どなたですか?」
おずおずと問われて、メルティーナは俯いた。
教室まで続く廊下を並んで歩く。あたたかだった心も体も、今は凍えるほどに冷たい。
ヴィオレットの声に、隠しきれない熱を感じる。
まるで、一瞬で恋に落ちたような。
落雷に撃たれたような。
これが『つがい』なのだろう。
一目見た瞬間に、相手が運命だとわかるのだ。
「あの方は、ディルグ・リンウィル殿下。王太子殿下です」
「え……で、では、メルティーナ様は、ディルグ様の」
「婚約者です」
ためらいながらも、メルティーナはこたえる。
嘘をつく理由もない。けれどどうしてか、彼女にそう伝えることに、仄暗い優越感と罪悪感を抱いてしまう。
こんな感情は、はじめてだ。
まるで、自分が自分ではなくなってしまうようだった。
今までメルティーナだと思っていた自分は偽物で、薄い皮膚の下にはどろどろとした黒いものが詰まっているような錯覚に、僅かな吐き気を覚える。
「そ、そうなのですね……婚約者……ディルグ様の……。メルティーナ様は、人間でいらっしゃるのに?」
「ええ。……ヴィオレット様、こちらが教室です。私も一年生ですので、一緒にいきましょうか」
「は、はい! ありがとうございます、メルティーナ様」
ヴィオレットはなにか言いたげにしていたが、結局なにも言わなかった。
メルティーナは逸る心をおさえながら午前中の授業をすませる。授業はまるで頭に入ってこなかった。
頭の中がぐちゃぐちゃで、嫌なことやおそろしい想像ばかりが浮かんでは消えていく。
ディルグに会いたい。
会って、確かめたい。
もしかしたらただの、勘違いかもしれない。
いつもディルグは、メルティーナを昼休憩の時間に迎えにきてくれていた。
けれど今日は来訪がなく、友人たちは「殿下もお忙しいですし」「急用ですよ、きっと」と励ましてくれた。
メルティーナは彼女たちに礼を言って立ちあがる。
当たり障りのない挨拶を交わして、ディルグの元に向かうために教室を出た。
朝に降りはじめた雪は、まだやんでいない。
廊下の窓からは、せつせつと降り積もる雪と、白く染まる中庭が見える。
中庭の屋根のある東家には、火桶が置かれて、炎が燃えている。
白の中に燃える赤は、美しく幻想的で、普段であればメルティーナの心は浮き足立つはずだった。
美しい景色が好きだ。雪も。星も。炎も。
けれど今は、美しいものを美しいと思えない。
メルティーナは、ふと足を止めた。
中庭に続く、何本もの円柱の柱に支えられた屋根のあるエントランスに、ディルグが立っている。
雪が嫌いと言っていた。
それなのに、寒々しい屋外に、一人で。
こんな寒い日に、中庭に出るものはいない。
人目を避けているように感じられた。
声をかけようとしたメルティーナは、曲がり角の影に隠れる。
ディルグの影になるようにして、小柄な女性の姿がある。
ヴィオレットが、ディルグの腕を掴み、恋に溺れた女の瞳を彼にむけていた。
「ディルグ様、もうお気づきでしょう? 私があなたの運命です。番は、一目見ればわかります。出会ってしまえば、流れる血が互いを求めるのです」
ディルグはヴィオレットの手を振り払わない。
じっと、彼女をその目に映している。
「出会ってしまったら、もう……私にはあなたの居場所がわかる。あなたもそうでしょう? 心も体も、互いのことしか考えられなくなる」
ヴィオレットの顔が、ディルグに近づく。
それ以上見ていられずに、メルティーナはその場から静かに立ち去った。
434
あなたにおすすめの小説
番を辞めますさようなら
京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら…
愛されなかった番。後悔ざまぁ。すれ違いエンド。ゆるゆる設定。
※沢山のお気に入り&いいねをありがとうございます。感謝感謝♡
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
初恋にケリをつけたい
志熊みゅう
恋愛
「初恋にケリをつけたかっただけなんだ」
そう言って、夫・クライブは、初恋だという未亡人と不倫した。そして彼女はクライブの子を身ごもったという。私グレースとクライブの結婚は確かに政略結婚だった。そこに燃えるような恋や愛はなくとも、20年の信頼と情はあると信じていた。だがそれは一瞬で崩れ去った。
「分かりました。私たち離婚しましょう、クライブ」
初恋とケリをつけたい男女の話。
☆小説家になろうの日間異世界(恋愛)ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/18)
☆小説家になろうの日間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/18)
☆小説家になろうの週間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/22)
私の願いは貴方の幸せです
mahiro
恋愛
「君、すごくいいね」
滅多に私のことを褒めることがないその人が初めて会った女の子を褒めている姿に、彼の興味が私から彼女に移ったのだと感じた。
私は2人の邪魔にならないよう出来るだけ早く去ることにしたのだが。
月夜に散る白百合は、君を想う
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。
彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。
しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。
一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。
家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。
しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。
偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる