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獣欲と後悔
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意識を失ったメルティーナを抱きしめて、ディルグはしばらく荒い呼吸を繰り返していた。
体の中を暴虐な熱が暴れ狂っている。
ヴィオレットの姿を見てしまった瞬間からずっと、それが続いていた。
人獣には『つがい』がいる。そんなことはわかっていた。
けれどディルグにはメルティーナしかいない。子犬の姿で足を怪我して、なんとか辿り着いたあのエルダーフラワーの香りが満ちる庭園でメルティーナに助けられた時から、彼女に──恋をしていた。
彼女がつがいであると、信じたかった。人獣のつがいは人獣だけだ。人間はつがいにはなれない。
そんな、種族の宿命などは嘘だ。なにごとにも例外がある。
ディルグが欲しいと思えるのはメルティーナだけだ。
彼女を心から愛している。他の女など目に入らない。彼女だけを。
そう、信じていたかった。
だがディルグの信仰にも似た願いは、希望は、期待は、たったひとときの邂逅によって打ち砕かれてしまった。
全身の血が、燃えたつように。体が、心を裏切るように、ヴィオレットを求めていた。
あの愛らしい垂れたウサギの耳。大きな瞳。小づくりな顔、白い肌。人目をひくような愛らしい美貌に、甘い声。
全てがディルグの五感を刺激して、本能が、彼女を求めてやまない。
まるで心の中で、激しく鐘を鳴らされているようだ。その鐘の音はがんがんとディルグの頭の中に響き、冷静さと理性を消し去っていくかのようだった。
違う。そんなはずはない。メルティーナを愛している。彼女だけだ。
他の女などいらない。触れたくもない。それなのに。それなのに──。
ディルグそう自分に幾度も言い聞かせた。自分を見失いそうになると、腕をきつく抓り、爪を立てて、血が出るほどに引っ掻いた。
なんどか午前中をやり過ごし、昼休憩の時間にメルティーナに会いに行こうと思った。
きっとメルティーナの顔を見れば、声を聞けば、『まとも』な自分に戻ることができる。
流れる血が誰かを求めるなど、馬鹿げている。それでは理性などなにもない、欲だけしかない獣と同じだ。
人としての心はメルティーナを愛しているのに、獣としての欲がヴィオレットを求めている。
そんなものを認めたくはない。そんな欲など、必要がない。
メルティーナを愛しいと思った気持ちに偽りはない。
血が誰かを選び、今までの自分の気持ちを裏切るというのならば、そんなものはただの呪いだ。
「ディルグ様、お願いです。お話をしたいのです」
メルティーナの元に行こうとしたディルグを、ヴィオレットが呼び止めた。
不愉快なことに、つがいを求める本能からか、ディルグはヴィオレットの居場所がわかる。同じようにヴィオレットもディルグの居場所がわかるのだろう。
ディルグがいつもの冷静なディルグのままだったら、ヴィオレットから逃げることができていたのだろうが、この時のディルグは平静さを失っていた。
まるで熱病の患者のように、虚ろな心でひたすらに、メルティーナの元に行くことだけを考えていたのだ。
「私があなたのつがいです。もうおわかりでしょう? 私たちは運命です。つがいに出会えたことは、人獣にとって幸運なのですよ」
ヴィオレットは、はじめて会った女だというのに、まるで旧知の間柄のようにディルグに言い募る。
──お前のことなど知らない。
何が好きなのかも。どんな人生を送ってきたのかも。
どんな生活をしているのかも。好んでつけている香水も、嫌いなものも。趣味も。過去も。
何もかもを、知らない。
メルティーナのことならば、全て知っている。
不安を隠して傍にいてくれたことも。ディルグのために努力をしてくれていたことも。
両親を失って辛い心を必死に取り繕って、泣いていることを恥じていたことも。
自分はあなたのつがいではないのかと、きっと聞きたかっただろう。
けれど一度もそれを口にしなかった。彼女の優しさや気づかいを。
──全て知った上で、彼女を愛している。
「つがいなど、俺には必要ない。二度と俺に近づいてくるな。声をかけることも許可しない」
ディルグは彼女の首を掴み、顔を近づけると押し殺した声でそれだけを告げた。
何か言おうとしているヴィオレットを、抱きたいと叫ぶ本能を殺して──それから、一人きりになるために執務室に籠り鍵をかけた。
従者に命じて人払いをした。いつか落ち着く。落ち着くまでは、ここから出てはいけない。
誰にも、会うべきではない。
そう思っていたのに。メルティーナの訪れに、従者は気づいて、気を利かせて彼女だけを通したのだろう。
会わないでおこうと思った。けれどどうしても、顔が見たかった。
声を聞いてしまえばその衝動は抑えきれず、扉を開いてしまった。
顔を見て声を聞いて、彼女の甘い香りを嗅いで。
それでも──ヴィオレットを求める己の心臓を、捻り潰したくなった。
けれど同時に、体を支配する熱は、メルティーナを。
──愛しくて、恋しくて、愛らしくて、可愛くて。
食らいつくしたいと乞い続けていたメルティーナを。
彼女を、抱きたい。
愛したい。舐りたい。噛みたい。その奥に、入りたい。
その奥に入って、奥深くに欲望をうめて、犯して、精を吐き出して、孕ませたい。
──めちゃくちゃにしてやりたいという衝動を、抑えつけることができなかった。
だから、思うようにあつかった。
ディルグ様と呼ばれるたびに、自分が自分でいられるような気がした。
メルティーナだけを愛している自分に戻ることができた。
脳を焼き尽くすような欲望のままにメルティーナを抱いた。理性を失っても、記憶を失うわけではない。
痛みに眉をひそめて、泣きじゃくって、もう嫌だと言っていた彼女を幾度も犯した。
メルティーナが甘く高い声をあげるたび、力のない指先がディルグの服や腕をつかむたび、好きだとうわごとのように呟くたびに、心は暗い喜びで満たされた。
「……こんな風に、傷つけるつもりじゃなかった。……だが、俺は」
ヴィオレットを求める心など、いくらでも殺すことができる。
だが、メルティーナを求める心は、おさえられない。
つがいへの欲望を殺した分、全ての欲望がメルティーナに向くのだろう。
今まで隠していたものが、隠せなくなっている。
メルティーナを、傷つけてしまう。けれど、それでも彼女を離すことができない。
──愛している。
星空の美しい丘で、何度も彼女を想った。リュデュック伯爵がメルティーナをディルグに会わせないようにしていることはわかっていたから、彼を恨んだこともある。
でも、当然だ。娘を傷つけるとわかっている男に、娘を任せようと思う父親などいない。
すべて理解した上で──ディルグはメルティーナを求めることを、やめられなかった。
「ティーナ、すまない。俺は君の優しさにまた、つけこんだ。愛している、愛しているんだ……」
破瓜の衝撃にくわえて、暴虐に抱き続けられた疲れから、メルティーナは意識を失って深い眠りについている。
その細い四肢を抱きしめて、ディルグはその首筋に顔を埋めた。
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