あなたのつがいは私じゃない

束原ミヤコ

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うたかたの夢のように

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 メルティーナを抱きしめたまま、長い間ディルグは動くことができなかった。
 やがて日が落ちて、雪のやんだ空にぼんやりとした月がうかぶ。

 月の光が、雪原を照らしている。朝から降り続けたために、立木や花壇や地面も全て白く染まっていた。

「……ティーナ、寒いな。すまない。今、綺麗にする」

 ディルグはメルティーナに自分の上着をかけた。火桶を用意し部屋をあたためる。待機していた従者にはメルティーナの侍女に今夜は戻らないと伝えてから、先に部屋に戻るように命じた。
 メルティーナの今の姿を誰にも見せたくない。誰にも触らせたくなかった。

 火桶で湧かした湯で、メルティーナの体を丁寧に清めた。
 僅かに眉をひそめたが、よほど疲弊しているのだろう。
 まるで永遠の眠りについてしまったようにメルティーナは目覚めず、ディルグは彼女の服を整えながら何度かその心臓が動いているか確認するために、胸に耳を当てた。

 規則正しい音が聞こえて安堵する。とくんとくんと響く小さな音に、彼女の小さく上下する柔らかい胸に、そして寝息をたてるふっくらとした唇に、体の熱を煽られる。
 
 滾る熱を、彼女の体で鎮めたい。唇を貪って、その奥で幾度も果てて。
 ディルグはその欲求をおさえつけながら、メルティーナに毛布をかけて、その手を握った。
 
 それから、部屋の内鍵をかけて、体を白い大きな狼へと変化させる。
 少しでもメルティーナが温まるようにその傍に寄り添って寝そべり、ほんの少しだけ微睡んだ。

 あまり、眠れない。夢の淵に落ちると、そこには自分とヴィオレットがいる。
 メルティーナは悲し気な顔をして、こちらを見ている。
 ディルグが手をのばそうとすると、メルティーナは顔を背けてどこかに消えてしまう。

 ディルグののばした手は、空を切る。メルティーナには届かない。
 ──そこで、必ず目が覚めた。獣の口から、荒い息が漏れる。
 それはディルグの不安が見せている夢のようにも思えたし、これからその不吉な出来事が起こるのだと、夢が警鐘を鳴らしているようにも思えた。

(このままでは、いけない)

 学園にいる限りは、否が応でもヴィオレットに会ってしまうだろう。
 その度にディルグはメルティーナを傷つける。つがいを乞うけだものの欲望を、愛しいメルティーナに向けてしまう。

 メルティーナが起きたら、彼女をどこかに閉じ込めなくては。
 そして、早々に婚礼をあげよう。ディルグの卒業まではあと数か月あるが、卒業を多少早めても問題がないはずだ。学園は高等教育と貴族たちの交流の場として存在しているが、義務というわけではない。
 場合によっては、通わない者もいるぐらいだ。

 学園から離れよう。メルティーナと早々に婚礼をあげて、彼女を城に閉じ込めてしまおう。
 ヴィオレットは、城にまで押しかけてはこないだろう。会わないようにする方法はいくらでもある。

 あの女を殺してしまえば──と、ふと思う。
 馬鹿げた考えに自嘲した。だが、それぐらい、ディルグは己の中にある血の呪いを憎んだ。

「殿下、王妃様がお呼びです」

 メルティーナが目覚めたら、城に向かおうと思っていた。
 だが、メルティーナは未だ目覚めない。朝日が新雪を輝かせている。まだ夜もあけたばかりの、早朝である。
 ディルグは部屋の外で自分を呼ぶ従者の声に立ちあがった。

 するりと体を人の姿に戻して扉を開く。
 中にいるメルティーナを見られないように、素早く閉じた。

「母が?」
「はい。今朝早く、殿下の宿舎へといらっしゃいました。殿下はご不在だと伝えると、すぐに呼ぶようにとのことでした」
「わかった。すぐに戻る。ジュリオ、ここで見張りを。外鍵をかけておく。けして、開かないように」

 放っておくこともできない。それに母が来ているのならば、事情を先に説明するべきだ。
 つがいがみつかったとなれば、きっと母は大騒ぎをするだろう。
 リュデュック伯爵の手前、ものわかりのいい女のふりをしていたようだが、メルティーナを婚約者にするにあたり母はずっと「つがいがみつかるまでの繋ぎの婚約者ね」とあっさり言いきっていたのだから。

 父も母も人獣だ。メルティーナのことは、つがいがみつかったら用済みになる婚約者だと、当然のように考えていた。
 ディルグがいくら否定をしようが、メルティーナ以外と結婚しないと言おうが──王国中の年頃の人獣の娘をあつめて、お前のつがいを探そうかと平然と言う。

 これは、両親が非情だというわけではない。人獣は皆、そのように考えるのが普通だからだ。
 ディルグが異常なのである。つがいではない人間の少女に懸想をして、その思いを大事に心の奥で育て続けていたのだ。

 誰に理解されなくてもいい。ディルグはメルティーナを手放す気はなかった。
 だから──両親をまず説得して、メルティーナの自由を奪うことになったとしても、自分の傍に。
 
「ディルグ。辺境伯家のお嬢さんが、昨日城を訪れたわ。あなたのつがいだと言って。ディルグにもとうとうつがいがみつかったのね、よかったわ」

 ディルグの宿舎で待っていた母は、開口一番そう言った。

「母上。ヴィオレット嬢は確かに私のつがいなのでしょう。ですが、私は彼女を受け入れる気はありません。私の妻はメルティーナただ一人と決めています」
「何を馬鹿げたことを言っているのかしら。もう、リュデュック伯爵夫妻は亡くなったのでしょう? 若い後継者に気をつかう必要などないわ。メルティーナさんには悪いけれど、婚約は破談ね。彼女には、誰かいい相手をみつけないといけないわね」
「メルティーナと婚礼をあげさせてもらいます。学園をすぐに卒業し、メルティーナは城で王妃教育を。ヴィオレット嬢とは二度と会いません。つがいなど、ただの呪いだ」
「ディルグ、馬鹿なことを言わないの。つがいは運命、私たちにとってつがいに出会えることは幸運なのよ?」
「母上と父上のように?」

 怒りをおさえた低い声で唸るように言って、ディルグは母を睨みつけた。
 
「十五を過ぎれば、成人です。あなたがたの言いなりになるつもりはありません。私に失望するのなら、ご自由になさるがいい。私が王位を継がずとも、他に誰か相応しいものがいるでしょう」
「ディルグ、王家には男児はあなただけ。あなた以外に王になれる者などいないわ。王にはつがいが必要よ。つがいが、子孫を繁栄させるのよ」
「愛する人と、子をつくることになんの問題がありますか? 私が愛しているのは、メルティーナただ一人。彼女は私の希望。私の幸運。私の全てです」

 何か、不吉な予感がした。
 昨日のうちにヴィオレットは、王都王妃に直談判をしに行ったのだ。
 ディルグが拒否をしたからである。
 そして──こんな早朝に、わざわざ母がディルグの元に出向いた。

「ティーナ……!」

 ディルグはまだ何かを言い募っている母を無視して、急ぎメルティーナの元に戻る。
 外鍵をかけていたはずの執務室の扉が開いていた。

 火鉢があたたかな火を燃やしている。
 ソファの上に、毛布が几帳面にたたんでおいてある。

 けれど、部屋には誰もいない。見張りを頼んでいた従者も、そして、寝ていた筈のメルティーナも。

「ティーナ……っ」

 ソファに触れる。もう、冷たくなっていた。
 ディルグはメルティーナを探して、学園中を駆け、そして、学園の外も探し回った。
 メルティーナの侍女に尋ねたが、彼女は戻らなかったと言う。
 お嬢様はどこにいったのかと青ざめる彼女に構っている暇などはない。

 一日中探し回ったが──メルティーナは、まるではじめから彼女などいなかったとでもいうように、どこにもいなくなっていた。

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