あなたのつがいは私じゃない

束原ミヤコ

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メルティーナの逃亡

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 ◇


 リュデュック家には、帰れない。
 ディルグにメルティーナが捨てられたとしたら、兄嫁はメルティーナを叔父の後妻にすると言っていた。
 
 ディルグから離れる選択をしたが、メルティーナの彼への愛が消えたわけではない。
 他の男に身を捧げるなどはしたくない。我儘だろう。けれど、ディルグへの愛はメルティーナにとってただ一つの生きるためのよすがだった。

 それに、ディルグはきっと探してくれるだろう。どんなに傷ついても苦しむことになっても、メルティーナへの優しさを捨てたりはしない。
 だから、どこかに身を隠さなくてはいけない。もう二度と、ディルグに会わないようにするために。

 彼に会って、戻れと言われたら、メルティーナの決意はすぐに揺らいでしまう。
 乱暴でもいい。求めて欲しい。身代わりでもいい。愛して欲しいと願ってしまう。

「……っ、寒い」

 ディルグと決別をするために、彼にもらったショールは置いてきてしまった。
 部屋には、作りかけのマフラーもある。ディルグからもらった手紙も全て、大切に机の引き出しにしまっている。

 それら全ての過去を、メルティーナは捨てなくてはいけない。

 学園の校舎の外に一歩踏み出すと、冷気が体を包み込んだ。
 早朝の学園は静まりかえっている。メルティーナは雪のつもっていない道を選びながら、歩いていく。

 足先が温度をなくした。制服のままでは目立つだろう。金もない。計画もない。
 無謀なことをしているとわかってはいても、前に前に進んでいく足を、止めることはできなかった。

 学園の正門を出て、王都を出るために王都の門に向かって雪道を進む。
 一人で出歩くのははじめてだ。メルティーナは、学園とリュデュック家のタウンハウスを馬車で往復するぐらいしか、今までしたことがなかった。
 一度だけ、ディルグと一緒に馬に乗り、王都の正門を出た。
 記憶を辿りながら進む。けれど、どの景色も見覚えがない。それは、屋根も道も雪で白く覆われてしまっているからかもしれない。

 どこをどう歩いたのか、薄暗い路地にたどり着く。道の真ん中に炎がたかれて、その周囲には人相の悪い男たちがたむろしている。

「なんだ? 綺麗な格好をした嬢ちゃん。そりゃ、王立学園とやらの制服じゃねぇか」
「貴族の嬢ちゃんが一人きりか?」
「わけありじゃねぇか? 捕まえて家を脅せば、いい金になる」

 人獣が王になってからというもの、人獣と人間の関係は穏やかだ。
 だが、身体能力で人獣に劣る人間は、職につけないものも増えているのは確かである。
 彼らは、メルティーナと同じ人間の男たちだった。

 じゃり、と、靴底が溶けた雪と砂の混じる地面を擦る。
 晴れているはずの空から、みぞれ混じりの小雨が、いつの間にか降り出していた。

「メルティーナ嬢、こちらに」

 不意に手を引かれて、メルティーナは驚きのあまり高い悲鳴をあげそうになり、声を喉の奥で押し殺した。
 メルティーナの腕を掴んで引っ張り、男がメルティーナの前に立つ。
 夕日のような美しい赤毛の、体格のよい男だ。
 彼は低い姿勢で剣の柄を握り、構える。

 怒声をあげながら向かってくる男たちを、抜き身の剣の柄で打ち、軽々と地面に沈めた。

 それから、メルティーナを路地から明るい大通りに連れ戻した。

「あなたは、ジュリオ様……」
「名を知られていたとは、光栄です」

 ジュリオはメルティーナの腕を掴み、どこかに歩いていく。
 メルティーナは引きずられるように、それに従った。ジュリオの力は強く、振り解くことはできそうにない。

 それに──恐怖がべっとりと皮膚に張り付いていた。
 庇護をなくすとは、これほど恐ろしいことなのかと。

 ジュリオはディルグの従者だ。ディルグの側に、いつも影のように付き従っている。
 寡黙で、言葉を話しているところを滅多に見たことがない。メルティーナも、挨拶ぐらいしか交わしたことがなかった。

「ジュリオ様、離してください! 私は、ディルグ様の元には……」
「戻られては困ります。元々、あなたを殿下から引き離せという命令だ。ご自分で出ていかれるなら好都合と思ったが、あなたの不幸や死を望んでいるわけじゃない」
「命令……」
「王妃様からの命令です。あなたがいては、殿下は惑う。王家のため、国のため、あなたは邪魔だ」

 ジュリオはメルティーナと共に、とある宿の一室に入る。
 すぐに部屋の暖炉に火が入り、部屋は暖められた。
 メルティーナに待っているように言うと、ジュリオは店のものに命じて、着替えや食事や飲み物を持って来させた。

「なぜ、リュデュック家に戻らないのですか。領地に戻り、もう殿下に会わないようにしてくれたら、それでいい」
「……それでは、足りません。私は、ディルグ様の前から消えなくてはいけません。ディルグ様を、つがいへの愛と私への責任の間で苦しめたくないのです」

 メルティーナがはっきりそう伝えると、ジュリオは哀れみの表情をメルティーナに向ける。

「ききわけのないことを言うかと思っていました。その場合は、あなたを攫うつもりでした。だが、その覚悟を聞いて、私はあなたに同情しています。それから、感心も」

 ジュリオは、ディルグに別れの手紙を書くのなら、メルティーナが遠くに逃げられるように協力しようと言った。

 
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