あなたのつがいは私じゃない

束原ミヤコ

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結婚の噂

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 ◇

 誰かが、メルティーナを攫ったのだ。
 ディルグはそう、信じていた。けれどメルティーナはどこにもいない。手紙だけを残して、何もかもを置き去りにして消えてしまった。

 ディルグの贈った手紙も、ドレスも、装飾品も。そんなものは必要ないとでもいうように。
 メルティーナの部屋には作りかけのマフラーが残されていた。ディルグに作っていると言って、笑っていた彼女を思い出すと、叫び出したくなった。
 
 いっそ、壊れてしまえれば、どんなに楽だっただろう。
 昔のように獣の姿から元に戻ることができなくなれば、どれほどよかっただろう。

 ディルグは、メルティーナを探し回った。けれど彼女はどこにもいない。父や母が嘘をついているのではないか、ジュリオが嘘をついているのではないかと疑い詰問を繰り返したが、返事はいつも同じだった。

 誰も、メルティーナの行方を知らない。彼女は一人で出て行った。
 手紙は王都の配達人によって城に届けられた。彼女はヴィオレットが現れた時からずっと、消え去る決意をしていたのだと。

 ディルグは長らく城に帰らなかった。両親の顔も、ジュリオの顔も見たくなかった。
 ヴィオレットの顔を見ると、くびり殺したくなった。

 半年、血眼になって探し続けた。もう半年は、失意を抱えて王国を彷徨い歩き、もしかしたらと隣国まで足を伸ばした。
 ──もう一度、メルティーナに会いたい。
 メルティーナの手紙を何度も読み直した。はじめは裏切られたと思った。
 愛情を疑われたことに傷ついた。
 けれど──手紙には、大丈夫と書いてあったのだ。

 それはメルティーナの癖だった。彼女は辛いときや苦しいとき、痛みをこらえたように微笑みながら『大丈夫』だと言うのだ。
 彼女の大丈夫は、助けてと同じだ。
 それを、ディルグはよくわかっていた。

 わかっていたはずだ。ディルグは彼女に一度も『君は俺のつがい』だとは言えなかった。
 人獣と人間はうまくいかない。それは人獣にはつがいがいるからである。
 メルティーナはずっとそれを、心の内に秘めて、不安を隠してくれていた。彼女に嘘をつきたくなかった。彼女はディルグのつがいではない。けれど──ディルグの運命だった。

 もっと愛していれば。もっと、慎重に動いていれば。メルティーナを傷つけることなどなかった。
 彼女にあんな手紙を書かせることなど、しなくてすんだのに。

 一年、王国中を彷徨い歩いていたディルグは、己とヴィオレットの結婚の噂を耳にした。
 とある街の看板に、ディルグとヴィオレットの結婚を祝う張り紙が貼ってある。

 気づけば街はその話でもちきりだった。髪や耳を黒いローブで隠していたディルグは、一年ぶりに城に戻った。勝手なことを──と、獣の姿で駆けるディルグの白い毛が逆立ち、地鳴りのような唸り声をあげていた。

「どういうことだ! 誰が、結婚をすると言った!?」
「ディルグ、よく帰りました」
「無事に戻ってなによりだ、ディルグ」

 城に駆け込むと、父と母がディルグを出迎える。
 獣の姿のまま彼らにのし掛かり、その喉笛を食い破ろうとしたディルグは、多くの兵たちによって取り押さえられる。
 人獣の兵は力が強い。ディルグは何人もの兵を弾き飛ばし蹴り飛ばし、鋭い爪で引き裂いたが、相手は同じ人獣だ。訓練された兵士たちが何人も何人も襲いかかってくると、やがて、床に押さえつけられて縄がかけられた。

「ディルグ、人の姿に戻れ」
「命令はきかない。俺からメルティーナを奪ったら、お前たちの思うとおりになるとでも思ったのか!?」
「ディルグ……メルティーナさんがみつかったわ。ヴィオレットさんとの結婚の話は嘘よ。そういう噂を王国中に流布すれば、あなたが戻ると思ったのよ」

 泣きながら母が言う。ディルグは顔をあげた。
 まさか。
 本当か。
 いや、嘘だ。この者たちは、嘘ばかりつく。
 だが、しかし──。

 もし、本当だったら。メルティーナと会えるのなら。
 ディルグは人の姿に戻った。薄汚れた姿では会わせられないと言われたので素直に従い、湯浴みをして着替えをした。
 心を落ち着けろと言われたので、出された紅茶も素直に飲んだ。

 それから──こちらだと、父に案内されて、城の一室に向かった。
 部屋に入ると、どういうわけか外鍵が閉まる音がした。
 
 窓のない牢獄のような部屋である。部屋の中央には、ベッドが置かれている。
 そこには、下着姿のヴィオレットが座っていた。

「……騙したのか。俺は、騙されたのか。なんて、愚かな。なんて、馬鹿なんだ……っ」
「ディルグ様、もう抵抗はやめてください。私を哀れだと思わないのですか? 私にとってつがいは、ディルグ様しかいないのです。あなたが私を求めてくださらなかったら、私はずっと、生涯、ひとりぼっちになってしまいます」
「だからどうした。そんなことはどうでもいい!」

 激高したと同時に、ふらりと、意識が濁る。
 体の熱が、異常に昂ぶりはじめていた。つがいの本能だけではない。それ以上に。

「なにか、盛ったな……」
「ディルグ様、どうか私を愛してください。一度抱けば、その心はきっと解放されます。あの女の呪縛から、きっと」
「……ふざけるな」

 ディルグは骨が折れるほどに強く、壁に拳を打ち付けた。
 出された紅茶に、何かの薬が入っていたのだろう。おそらくは、興奮剤だ。
 そんなことをするほどに──ヴィオレットと、それから両親は、自分とヴィオレットが結ばれることを望んでいるのか。

 絶望が、怒りが、憎しみが──そして失望が、ディルグの心を暗闇の中に沈めていった。


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