33 / 56
抵抗と失望
しおりを挟む──どうして、ヴィオレットの気配がわからなかったのだろう。
ディルグは確かに疲弊していた。そして感情的になっていた。
だが、これが罠だと気づかないほどに──心が、摩耗していたのか。
それともメルティーナがみつかったと言われて、彼女に会えるかもしれないという期待で注意が散漫になっていたのか。
そうとしか、思えなかった。もう一年以上、彼女の声を聞いていない。その姿を見ていない。
メルティーナが消えてしまったのは冬のはじまり。
季節はもう一巡し、冬を通り過ぎて今は春を迎えようとしている。
嘘だと、偽りだとわかっていた。心のどこかで、気づいていた。
それでも、縋りたかった。メルティーナに、会いたかった。
彼女の声も、ぬくもりも、柔らかさも匂いも味も、すべて覚えている。
忘れるはずがない。忘れられるわけがない。
メルティーナはディルグの、全てだったのだから。
「くそ、くそが……っ! ふざけるな、あけろ、出せ! 全員、殺してやる……!」
体に滾る熱を叩きつけるように、ディルグは閉じられた扉を殴りつけた。
ディルグの腕に白い獣の体毛がはえていく。筋肉が隆起して、爪がのびる。
犬歯が突き出て、美しい顔を醜く変化させた。
「ディルグ様……!」
「あぁ、そうだった……なるほど、理解した。俺は、どうしてはじめからそうしなかったのだろう」
「ディルグ様、どうか正気に戻ってください! 私はあなたを愛しています、そしてあなたは私を愛している。魂が求めあっているのがわかるでしょう!?」
悲壮な表情で、まるで悲劇を一身に浴びているような顔で、ヴィオレットがディルグにすがろうとしてくる。
ディルグはその首を、鋭い爪のある手で握りしめた。
「お前たちはよほど俺を、罪人にしたいらしい。なにが、王だ。なにがつがいだ。そんな立場はいらない、そんなものはいらないと言ったはずだ! 俺が愛しているのはメルティーナただ一人、邪魔をするのなら、お前たちも、国も、滅びるがいい!」
「や、やめて……苦しい……っ」
ディルグは呼吸ができずにあえぐヴィオレットを、無造作にベッドに投げ捨てる。
ヴィオレットは喉を両手でおさえながら、ヒューヒューと不自然な息をついた。
「お前はそれほど死にたいのか。そうまでして俺の邪魔をする理由はなんだ」
「あなたはなにもわかっていない……王太子たるあなたのつがいでありながら、選ばれず捨てられた女に未来などない! 私に恥をかかせるの!? メルティーナなんて人間の弱小貴族に負けるなど、あってはならないのよ、私は辺境伯家の娘なのだから!」
大人しい女に見えていたヴィオレットもまた、ディルグのつがいになってしまったせいで、その人生は歪み、感情も性格も何もかもが歪んでしまったのだろう。
──本当に、血の呪いだ。
「抱けば、満足するのか?」
「ええ、もちろん……! ディルグ様、どうかご慈悲を……! このままあなたがいなくなれば、私は誰にも顔向けできない。生きていけないほど、恥をかくことになるのです。そうすればどのみち、私は死を選びます!」
「馬鹿馬鹿しい」
「馬鹿なものですか! 私は貴族の娘、誇り高き辺境伯家の娘です。恥を晒して生きるぐらいなら、死を選びます。ここまで私がしているのに、あなたは私を殺すという。なんてひどい……メルティーナはきっと今頃、運命の相手をみつけています……っ」
──そうなのだろうか。
そうかもしれない。可憐で優しいまるで春の花のような彼女を、手に入れたい男は多いはずだ。
「……愚かだな。誰も、彼もが」
心の炎が、消えていく。
この一年、ディルグを支えていた怒りが、嘆きが、悲しみが──蝋燭の炎が消えるように。
投げやりになってしまった。どうでもよくなってしまった。
ディルグの中にあった正しさや優しさが、怒りや嘆きの感情と共に、消えていく。
目の前の女を殺し、両親を手にかけて、ここを出よう。
王太子という身分でありながら、王国民を見捨てることになっても。王国を混乱に陥れることになっても。
──なにもかもが、どうでもいい。
「……っ」
ヴィオレットにのしかかり、その首を絞めようとした。
けれどディルグの手は空を切り、糸の切れた人形のように、どさりとベッドに崩れ落ちた。
「……ごめんなさい、ディルグ様。私は、あなたが欲しい。どんなにひどい男でも、あなたが欲しいの」
ヴィオレットの手には、薬を塗った針が握られていた。
もしもの時に使えと言われ、王妃から渡されていた鎮静剤である。
大きな獣を一撃で眠らせるものだった。
ディルグは霞む視線の先に、その針を見た。
意識が暗闇に沈んでいく。ただ一人の女性を愛したいだけなのに──。
それが許されない世界を、呪った。
603
あなたにおすすめの小説
番を辞めますさようなら
京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら…
愛されなかった番。後悔ざまぁ。すれ違いエンド。ゆるゆる設定。
※沢山のお気に入り&いいねをありがとうございます。感謝感謝♡
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi(がっち)
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
月夜に散る白百合は、君を想う
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。
彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。
しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。
一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。
家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。
しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。
偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。
【完結】旦那様に学園時代の隠し子!? 娘のためフローレンスは笑う-昔の女は引っ込んでなさい!
恋せよ恋
恋愛
結婚五年目。
誰もが羨む夫婦──フローレンスとジョシュアの平穏は、
三歳の娘がつぶやいた“たった一言”で崩れ落ちた。
「キャ...ス...といっしょ?」
キャス……?
その名を知るはずのない我が子が、どうして?
胸騒ぎはやがて確信へと変わる。
夫が隠し続けていた“女の影”が、
じわりと家族の中に染み出していた。
だがそれは、いま目の前の裏切りではない。
学園卒業の夜──婚約前の学園時代の“あの過ち”。
その一夜の結果は、静かに、確実に、
フローレンスの家族を壊しはじめていた。
愛しているのに疑ってしまう。
信じたいのに、信じられない。
夫は嘘をつき続け、女は影のように
フローレンスの生活に忍び寄る。
──私は、この結婚を守れるの?
──それとも、すべてを捨ててしまうべきなの?
秘密、裏切り、嫉妬、そして母としての戦い。
真実が暴かれたとき、愛は修復か、崩壊か──。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 いいね❤️励みになります!ありがとうございます!
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる