あなたのつがいは私じゃない

束原ミヤコ

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一年ぶりの再会

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 開いた扉から、何かが勢いよく中に押し入ってくる。
 その何かは──誰かは、ジュリオの喉笛を片腕で掴むと、宙づりにした。

 尻尾も耳も銀の髪も、怒りに逆立っているように見える。一年ぶりのその姿は──酷く、やつれていた。

「ディルグ様……っ」

 激しい怒りに瞳孔が狭まり、青い瞳の中に散る金の星が爛々と光っている。
 瞳には、濃い隈がある。隈も、痩躯も彼の苦悩をありありと表していた。
 ディルグに、何があったのだろう。どうしてここにいるのだろう。

 やつれてはいるが太く長い腕は、服の上からでも筋肉の隆起がわかるほどだ。人間よりも人獣は大きい。その力強い腕で、今にもジュリオの首をへし折ろうとしている。
 
 ジュリオの首に、ディルグの指が食い込んでいる。
 メルティーナは混乱しながらも、ディルグの腕にすがりついた。

「ディルグ様、駄目です、死んでしまいます……っ」
「ティーナ、この男を庇うのか……!?」

 ディルグの傷ついた瞳が、メルティーナをうつしている。
 雨の中で迷子になった幼子のような絶望が、その瞳の奥にある。

「どうして、ここにいらっしゃるのですか……? お願いです、離してください……! ジュリオ様が……っ」

 何度も夢に見た。愛しい人だ。その体温も、匂いも、声も全て、メルティーナの知るディルグと同じ。
 メルティーナは少しも、忘れていなかった。
 けれど、ディルグは──メルティーナの知るディルグなら、けしてしないことをした。
 
 宙づりにしたジュリオを、壁に向かって叩きつけたのだ。
 人獣の怪力で壁に放り投げられたジュリオは、その背をしたたかに壁に打つと、ずるりと床に倒れ伏した。

「ジュリオ様!」
「ティーナ、会いたかった。ずっと会いたかった。けれど君は、俺ではなくあの裏切り者をその瞳にうつすというのか!?」
「ディルグ様、違います……っ、そうではありません! けれど、ジュリオ様が怪我を……っ」

 ジュリオはげほげほと、激しくむせ込んだ。首から血が流れている。ディルグの爪が皮膚を裂いたのだろう。
 ジュリオに駆け寄ろうとしたメルティーナの腕を、ディルグは強く掴んだ。
 メルティーナは息を飲む。腕が折られたのかと思った。それぐらい激しく、掴まれた腕が痛む。

「あの裏切り者に、君は心を捧げたのか? 俺を……捨てて、あの男と、隣国に」
「ディルグ様……お願いです、私の声を、私の話を聞いてください、ディルグ様……」
「そうだ……ここで君を、犯してやろう。君が誰のものか、思い出させてやる。君が誰のものか、あの男に思い知らせてやる」
「ディルグ様……っ」
 
 この一年でディルグに何があったのか、メルティーナは知らない。
 知っているのは、ジュリオから聞いた話だけだ。
 ディルグはヴィオレットと結婚をする。穏やかに愛を育んでいる。
 メルティーナのことはようやく忘れて、ヴィオレットを愛することができている。

 もちろん、心は痛んだ。けれど同時に安心していた。
 自分の行動は、無駄ではなかったのだと思うことができた。ディルグが幸せになるために、無駄ではなかったのだと──。
 
 けれど、今のディルグはどうだ。
 摩耗して捨てられた家具のように、その心も体もすり切れている。長い間暗い闇の中を彷徨っていたかのように、その瞳からは光が消え失せている。
 かつての快活で優しかったディルグは、そこにはいない。

 何があったのかはわからない。だが、ディルグには──人の温もりが必要だ。
 擦り切れた心を、疲れ果てた体を、全てを受け入れる誰かが──。

 ここでディルグとの邂逅に喜べば、メルティーナの一年は全て無駄になってしまう。
 身を退いた意味を、なくしてしまう。
 ──けれど、それでも。
 今のディルグを拒絶することは、メルティーナにはできなかった。

 どんなに残酷なことを言ったとしても、どんなに残酷なことをしたとしても、ディルグはメルティーナの、心から愛する人だ。

「……ディルグ様。私は、あなたをずっと思っています。誰よりも、あなたを……!」
「ならば何故、俺の前から姿を消した!? 母に脅されていたのか、ジュリオに、弱みを握られていたのか!?」
「そのどちらも違います。私は私の意志で、あなたの前から消えることを願いました」
「何故だ……何故だ、ティーナ。違うと言ってくれ」

 縋るような声音で、ディルグは言う。
 彼の憔悴は、メルティーナへの罪悪感からくるものなのだろうか。
 メルティーナが姿を消したことをずっと、気に病み続けて、苦しんで、こんな──痛々しい姿になってしまったのだろうか。

「ディルグ様、私は……あなたのつがいではないのです。あなたのつがいには、なれないのです」

 はっきりと、そう告げた。
 彼への愛はある。けれど、拒絶をしなくてはいけない。共にいることはできない。
 その気持ちを全て込めた。

「殿下、あなたの居場所はここではない。……メルティーナの努力を、全て無駄にするつもりですか!?」

 壁に手をついて、ジュリオは立ち上がる。
 いつも淡々としている彼の激高を、メルティーナははじめて耳にした。

「黙れ、ジュリオ! あのけだものどもと、お前も仲間なのだろう。裏切り者め、殺してやる……!」
「私を殺したところで、何も変わらない。あなたは人獣で、メルティーナを傷つける」
「……そうか。では、人獣でなければいいのだな」

 ディルグはメルティーナの腕から、自分の手を離した。
 指の跡の残る腕を、メルティーナは隠すように抱きしめる。ディルグに見られたくなかった。
 メルティーナを自分が傷つけたと気づけば、彼の方がきっとずっと深く傷つくはずだ。

 ディルグはぐるりと、室内を見渡す。
 何をするつもりだろう。何と声をかけていいかわからず、メルティーナは口をつぐむ。愛しいのに、おそろしい。
 ディルグはメルティーナの家の棚にある、紙切り用の小さなナイフを手にした。
 そしてそのナイフを、自分の頭からはえている尖った獣の耳にあてる。
 
 ナイフが耳の付け根に食い込んで、すぐに皮膚がすっぱりと切れた。
 銀の髪に、血の赤が滴った。

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