48 / 56
獣の王 2
しおりを挟む
本能的に逃げなくてはと察知して、ざばざばと川の中に足を進める。
水で足を取られて、うまくすすめない。もがくように、水飛沫をあげながら逃げるメルティーナの腕を、うさぎ耳をしたアルバが捻りあげた。
「まるで、狩人に追われるうさぎだ。うさぎは、僕のほうだけれど。ヴィオレットも僕と同じ、可愛いうさぎ耳をしていただろう? 可哀想なヴィオ、あの子は心臓が弱いんだ。それなのに、辛い目にあわなくてはいけないなんて」
虎の耳をしたライオスが、メルティーナの正面に回り込み、顎を掴んで顔を持ち上げ覗き込んだ。
「可愛い、弱い、人間の女。殺してしまうのはもったいないな、連れて帰って俺のものにしてやってもいい。ここで遊んでやってもいいな、ヴィオレットを傷つけた罰だ」
「どんな手を使って殿下を籠絡したかは知らないけれど、君が死ねば殿下も目を覚ますだろう。……つがいのヴィオよりも君を選んだ殿下にも、君にも、悪いとは思うけれど。妹を守るために……君には、消えてもらわなくてはいけない」
好色な笑みを浮かべるライオスを、アルバが咎めるように睨む。
ライオスの瞳はメルティーナへの怒りと好奇で満ちているが、アルバは同情的だった。
メルティーナは腕をひねりあげているアルバに、視線を向ける。
「離してください、お願いです……! ヴィオレット様には申し訳ないと思っています、けれど、それでもディルグ様は私を選んでくださった。人獣は、つがい以外を愛してはいけないのですか……!?」
「可哀想だけれど、その愛はまやかしだよ」
「つがいがみつからなければ、人獣はつがい以外と生涯を共にすることもあるだろう。すべての人獣が、運良くつがいをみつけることができるわけではない。みつかるかどうかもわからないつがいだけを思い、霧の中を歩くように人生を終える必要などないからな」
それは──そうなのだろう。
ただ一人の運命の人と、全ての人獣が広い王国の中で運良く巡り会えるわけではない。
生涯、一つの街から外に出ずに一生を終える者のほうが多いのだから。
「殿下は、ヴィオレットと会えて幸運だった。それなのに、可愛い我が妹を捨てるつもりらしい。それは困る、イルマール家の名誉のためにも、ヴィオレットの名誉のためにもな」
「君の家は……どこかの伯爵家、だったかな。小さな家のことなんて全て覚えているわけじゃないから、わからないけれど。イルマール家の名は皆が知っているだろう? ヴィオレットに恥をかかせるわけにはいかないんだ。あの子の将来のためにも。つがいに捨てられるなんて不幸、味わって欲しくない」
「離して! 離しなさい! 私は、ディルグ様の婚約者。メルティーナ・リュデュックです。軽々しく触れないで、不敬です!」
説得は通用しないのだろう。
彼らに、貶められる謂われはない。今まで感じたことのない怒りが込みあげてくる。
家名が、それほど大事なのだろうか。
名誉が、それほど大事なのだろうか。
そのためなら──なにをしてもいいというのか。
メルティーナもヴィオレットと同じだ。両親に愛されて、育てられた。
確かにリュデュック家は小さな家だが、それでも貴族の端くれ。
そして、メルティーナを選んでくれたのは、そして今も選んでくれているのは、ディルグの意志だ。
その意志を踏みにじってまで、ヴィオレットの想いを優先するのは、違う。
愛を貫けば屍の山が築かれるのかもしれない。その屍になるつもりは、今のメルティーナにはない。
ディルグのため、なによりも自分自身のために。
「案外、気が強い、嫌いじゃない」
「兄上、時間がない。この子は、ここで殺す。川で溺れたのだと見せかけて。それで、僕たちの役目は終わりだ」
「そうだな。殿下に恨まれたいわけじゃない」
ライオスの大きな手が、メルティーナの頭を掴む。
無造作に、思いきり、顔を川の中に押しつけるようにされる。
突然の衝撃に、息を止めるのを忘れて思いきり水を飲んだ。ごぼごぼと、水が口の中に入ってくる。
酸素が、急速に失われていく。
きつく口を結んだが、数秒と待たずにすぐに、こらえきれないほどの苦しさが体を襲った。
「……っ」
「ティーナ!」
片耳のない白い獣が、ライオスをその太い前足で、軽々と弾き飛ばした。
アルバの胴体に噛みつき、川の外へと吐き出すように投げつける。
圧迫感から解放されて、川の中から顔をあげるとげほげほと水を吐き出したメルティーナを、人間の姿に戻ると支えて、その背をさすった。
「ディルグ様……」
「すまない、気づくのが遅れた。ティーナ、無事か?」
「大丈夫です、私は、大丈夫……」
水を少し飲んだが、すぐに助けられたせいで、その程度ですんだ。
ディルグはメルティーナを抱き上げると、川辺に叩きつけられてうめいている二人の男の前に向かう。
ディルグに向かい敵意を露わに、牙を剥き出しにしたライオスと、毛を逆立てたアルバは──ディルグの姿を見てすぐに、怯えたように体の力を抜いた。
獣王を前にした、弱い獣のような姿で。
「愚かなことをしてくれたな、ライオス、アルバ。……どこまでの罪を、どこまで許すのか、ずっと考えていた。だが、お前たちもヴィオレットも、人の道を外れた。それは人獣を、貶める行為だ」
かつて人間が、人獣をただの獣だと嘲っていたように。
人獣が王になり、知らず人獣も、いつの間にか人間を嘲るようになっていた。
「全ての人獣がそうだというわけではない。だが、父も母もそしてお前たちも、立場に驕った。……俺は、お前たちを許さない。今、そう決めた」
ライネルとアルバは、怯えている。
ディルグの冷たい声に、冷酷な瞳に。そして、その王としての威圧に。
それは、獣の本能なのだろう。
圧倒的な力を前に、牙を抜かれて──ただその場に、青い顔で座り込んでいた。
水で足を取られて、うまくすすめない。もがくように、水飛沫をあげながら逃げるメルティーナの腕を、うさぎ耳をしたアルバが捻りあげた。
「まるで、狩人に追われるうさぎだ。うさぎは、僕のほうだけれど。ヴィオレットも僕と同じ、可愛いうさぎ耳をしていただろう? 可哀想なヴィオ、あの子は心臓が弱いんだ。それなのに、辛い目にあわなくてはいけないなんて」
虎の耳をしたライオスが、メルティーナの正面に回り込み、顎を掴んで顔を持ち上げ覗き込んだ。
「可愛い、弱い、人間の女。殺してしまうのはもったいないな、連れて帰って俺のものにしてやってもいい。ここで遊んでやってもいいな、ヴィオレットを傷つけた罰だ」
「どんな手を使って殿下を籠絡したかは知らないけれど、君が死ねば殿下も目を覚ますだろう。……つがいのヴィオよりも君を選んだ殿下にも、君にも、悪いとは思うけれど。妹を守るために……君には、消えてもらわなくてはいけない」
好色な笑みを浮かべるライオスを、アルバが咎めるように睨む。
ライオスの瞳はメルティーナへの怒りと好奇で満ちているが、アルバは同情的だった。
メルティーナは腕をひねりあげているアルバに、視線を向ける。
「離してください、お願いです……! ヴィオレット様には申し訳ないと思っています、けれど、それでもディルグ様は私を選んでくださった。人獣は、つがい以外を愛してはいけないのですか……!?」
「可哀想だけれど、その愛はまやかしだよ」
「つがいがみつからなければ、人獣はつがい以外と生涯を共にすることもあるだろう。すべての人獣が、運良くつがいをみつけることができるわけではない。みつかるかどうかもわからないつがいだけを思い、霧の中を歩くように人生を終える必要などないからな」
それは──そうなのだろう。
ただ一人の運命の人と、全ての人獣が広い王国の中で運良く巡り会えるわけではない。
生涯、一つの街から外に出ずに一生を終える者のほうが多いのだから。
「殿下は、ヴィオレットと会えて幸運だった。それなのに、可愛い我が妹を捨てるつもりらしい。それは困る、イルマール家の名誉のためにも、ヴィオレットの名誉のためにもな」
「君の家は……どこかの伯爵家、だったかな。小さな家のことなんて全て覚えているわけじゃないから、わからないけれど。イルマール家の名は皆が知っているだろう? ヴィオレットに恥をかかせるわけにはいかないんだ。あの子の将来のためにも。つがいに捨てられるなんて不幸、味わって欲しくない」
「離して! 離しなさい! 私は、ディルグ様の婚約者。メルティーナ・リュデュックです。軽々しく触れないで、不敬です!」
説得は通用しないのだろう。
彼らに、貶められる謂われはない。今まで感じたことのない怒りが込みあげてくる。
家名が、それほど大事なのだろうか。
名誉が、それほど大事なのだろうか。
そのためなら──なにをしてもいいというのか。
メルティーナもヴィオレットと同じだ。両親に愛されて、育てられた。
確かにリュデュック家は小さな家だが、それでも貴族の端くれ。
そして、メルティーナを選んでくれたのは、そして今も選んでくれているのは、ディルグの意志だ。
その意志を踏みにじってまで、ヴィオレットの想いを優先するのは、違う。
愛を貫けば屍の山が築かれるのかもしれない。その屍になるつもりは、今のメルティーナにはない。
ディルグのため、なによりも自分自身のために。
「案外、気が強い、嫌いじゃない」
「兄上、時間がない。この子は、ここで殺す。川で溺れたのだと見せかけて。それで、僕たちの役目は終わりだ」
「そうだな。殿下に恨まれたいわけじゃない」
ライオスの大きな手が、メルティーナの頭を掴む。
無造作に、思いきり、顔を川の中に押しつけるようにされる。
突然の衝撃に、息を止めるのを忘れて思いきり水を飲んだ。ごぼごぼと、水が口の中に入ってくる。
酸素が、急速に失われていく。
きつく口を結んだが、数秒と待たずにすぐに、こらえきれないほどの苦しさが体を襲った。
「……っ」
「ティーナ!」
片耳のない白い獣が、ライオスをその太い前足で、軽々と弾き飛ばした。
アルバの胴体に噛みつき、川の外へと吐き出すように投げつける。
圧迫感から解放されて、川の中から顔をあげるとげほげほと水を吐き出したメルティーナを、人間の姿に戻ると支えて、その背をさすった。
「ディルグ様……」
「すまない、気づくのが遅れた。ティーナ、無事か?」
「大丈夫です、私は、大丈夫……」
水を少し飲んだが、すぐに助けられたせいで、その程度ですんだ。
ディルグはメルティーナを抱き上げると、川辺に叩きつけられてうめいている二人の男の前に向かう。
ディルグに向かい敵意を露わに、牙を剥き出しにしたライオスと、毛を逆立てたアルバは──ディルグの姿を見てすぐに、怯えたように体の力を抜いた。
獣王を前にした、弱い獣のような姿で。
「愚かなことをしてくれたな、ライオス、アルバ。……どこまでの罪を、どこまで許すのか、ずっと考えていた。だが、お前たちもヴィオレットも、人の道を外れた。それは人獣を、貶める行為だ」
かつて人間が、人獣をただの獣だと嘲っていたように。
人獣が王になり、知らず人獣も、いつの間にか人間を嘲るようになっていた。
「全ての人獣がそうだというわけではない。だが、父も母もそしてお前たちも、立場に驕った。……俺は、お前たちを許さない。今、そう決めた」
ライネルとアルバは、怯えている。
ディルグの冷たい声に、冷酷な瞳に。そして、その王としての威圧に。
それは、獣の本能なのだろう。
圧倒的な力を前に、牙を抜かれて──ただその場に、青い顔で座り込んでいた。
887
あなたにおすすめの小説
【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。
しかし、仲が良かったのも今は昔。
レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。
いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。
それでも、フィーは信じていた。
レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。
しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。
そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。
国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。
いっそあなたに憎まれたい
石河 翠
恋愛
主人公が愛した男には、すでに身分違いの平民の恋人がいた。
貴族の娘であり、正妻であるはずの彼女は、誰も来ない離れの窓から幸せそうな彼らを覗き見ることしかできない。
愛されることもなく、夫婦の営みすらない白い結婚。
三年が過ぎ、義両親からは石女(うまずめ)の烙印を押され、とうとう離縁されることになる。
そして彼女は結婚生活最後の日に、ひとりの神父と過ごすことを選ぶ。
誰にも言えなかった胸の内を、ひっそりと「彼」に明かすために。
これは婚約破棄もできず、悪役令嬢にもドアマットヒロインにもなれなかった、ひとりの愚かな女のお話。
この作品は小説家になろうにも投稿しております。
扉絵は、汐の音様に描いていただきました。ありがとうございます。
あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
「妹の方が可愛い」と不倫夫に捨てられた私。どうぞ借金まみれの実家ごと引き取って。私が肩代わりしていた負債、すべてお二人に引き継いでおきました
唯崎りいち
恋愛
「お前より妹の方が可愛い」
不倫した夫は私を追い出し、略奪した妹と笑った。
どうぞ、その「可愛い妹」と地獄までお幸せに。
私が肩代わりしていた実家と店の多額の借金、すべてお二人に引き継いでおきましたから。
「財布」を失った元夫と、逃げ場を失った妹。
身の丈に合わない贅沢を望んだ寄生虫たちの、惨めな末路を特等席で眺めさせていただきます。
結婚したけど夫の不倫が発覚して兄に相談した。相手は親友で2児の母に慰謝料を請求した。
佐藤 美奈
恋愛
伯爵令嬢のアメリアは幼馴染のジェームズと結婚して公爵夫人になった。
結婚して半年が経過したよく晴れたある日、アメリアはジェームズとのすれ違いの生活に悩んでいた。そんな時、机の脇に置き忘れたような手紙を発見して中身を確かめた。
アメリアは手紙を読んで衝撃を受けた。夫のジェームズは不倫をしていた。しかも相手はアメリアの親しい友人のエリー。彼女は既婚者で2児の母でもある。ジェームズの不倫相手は他にもいました。
アメリアは信頼する兄のニコラスの元を訪ね相談して意見を求めた。
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します
スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」
眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。
隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。
エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。
しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。
彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。
「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」
裏切りへのカウントダウンが今、始まる。
スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる