あなたのつがいは私じゃない

束原ミヤコ

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 獣の王 2

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 本能的に逃げなくてはと察知して、ざばざばと川の中に足を進める。
 水で足を取られて、うまくすすめない。もがくように、水飛沫をあげながら逃げるメルティーナの腕を、うさぎ耳をしたアルバが捻りあげた。

「まるで、狩人に追われるうさぎだ。うさぎは、僕のほうだけれど。ヴィオレットも僕と同じ、可愛いうさぎ耳をしていただろう? 可哀想なヴィオ、あの子は心臓が弱いんだ。それなのに、辛い目にあわなくてはいけないなんて」

 虎の耳をしたライオスが、メルティーナの正面に回り込み、顎を掴んで顔を持ち上げ覗き込んだ。

「可愛い、弱い、人間の女。殺してしまうのはもったいないな、連れて帰って俺のものにしてやってもいい。ここで遊んでやってもいいな、ヴィオレットを傷つけた罰だ」
「どんな手を使って殿下を籠絡したかは知らないけれど、君が死ねば殿下も目を覚ますだろう。……つがいのヴィオよりも君を選んだ殿下にも、君にも、悪いとは思うけれど。妹を守るために……君には、消えてもらわなくてはいけない」

 好色な笑みを浮かべるライオスを、アルバが咎めるように睨む。
 ライオスの瞳はメルティーナへの怒りと好奇で満ちているが、アルバは同情的だった。
 メルティーナは腕をひねりあげているアルバに、視線を向ける。

「離してください、お願いです……! ヴィオレット様には申し訳ないと思っています、けれど、それでもディルグ様は私を選んでくださった。人獣は、つがい以外を愛してはいけないのですか……!?」
「可哀想だけれど、その愛はまやかしだよ」
「つがいがみつからなければ、人獣はつがい以外と生涯を共にすることもあるだろう。すべての人獣が、運良くつがいをみつけることができるわけではない。みつかるかどうかもわからないつがいだけを思い、霧の中を歩くように人生を終える必要などないからな」

 それは──そうなのだろう。
 ただ一人の運命の人と、全ての人獣が広い王国の中で運良く巡り会えるわけではない。
 生涯、一つの街から外に出ずに一生を終える者のほうが多いのだから。

「殿下は、ヴィオレットと会えて幸運だった。それなのに、可愛い我が妹を捨てるつもりらしい。それは困る、イルマール家の名誉のためにも、ヴィオレットの名誉のためにもな」
「君の家は……どこかの伯爵家、だったかな。小さな家のことなんて全て覚えているわけじゃないから、わからないけれど。イルマール家の名は皆が知っているだろう? ヴィオレットに恥をかかせるわけにはいかないんだ。あの子の将来のためにも。つがいに捨てられるなんて不幸、味わって欲しくない」
「離して! 離しなさい! 私は、ディルグ様の婚約者。メルティーナ・リュデュックです。軽々しく触れないで、不敬です!」

 説得は通用しないのだろう。
 彼らに、貶められる謂われはない。今まで感じたことのない怒りが込みあげてくる。
 家名が、それほど大事なのだろうか。
 名誉が、それほど大事なのだろうか。
 そのためなら──なにをしてもいいというのか。

 メルティーナもヴィオレットと同じだ。両親に愛されて、育てられた。
 確かにリュデュック家は小さな家だが、それでも貴族の端くれ。
 そして、メルティーナを選んでくれたのは、そして今も選んでくれているのは、ディルグの意志だ。
 その意志を踏みにじってまで、ヴィオレットの想いを優先するのは、違う。

 愛を貫けば屍の山が築かれるのかもしれない。その屍になるつもりは、今のメルティーナにはない。
 ディルグのため、なによりも自分自身のために。

「案外、気が強い、嫌いじゃない」
「兄上、時間がない。この子は、ここで殺す。川で溺れたのだと見せかけて。それで、僕たちの役目は終わりだ」
「そうだな。殿下に恨まれたいわけじゃない」

 ライオスの大きな手が、メルティーナの頭を掴む。
 無造作に、思いきり、顔を川の中に押しつけるようにされる。
 突然の衝撃に、息を止めるのを忘れて思いきり水を飲んだ。ごぼごぼと、水が口の中に入ってくる。
 酸素が、急速に失われていく。
 きつく口を結んだが、数秒と待たずにすぐに、こらえきれないほどの苦しさが体を襲った。

「……っ」
「ティーナ!」

 片耳のない白い獣が、ライオスをその太い前足で、軽々と弾き飛ばした。
 アルバの胴体に噛みつき、川の外へと吐き出すように投げつける。
 圧迫感から解放されて、川の中から顔をあげるとげほげほと水を吐き出したメルティーナを、人間の姿に戻ると支えて、その背をさすった。

「ディルグ様……」
「すまない、気づくのが遅れた。ティーナ、無事か?」
「大丈夫です、私は、大丈夫……」

 水を少し飲んだが、すぐに助けられたせいで、その程度ですんだ。
 ディルグはメルティーナを抱き上げると、川辺に叩きつけられてうめいている二人の男の前に向かう。
 ディルグに向かい敵意を露わに、牙を剥き出しにしたライオスと、毛を逆立てたアルバは──ディルグの姿を見てすぐに、怯えたように体の力を抜いた。

 獣王を前にした、弱い獣のような姿で。

「愚かなことをしてくれたな、ライオス、アルバ。……どこまでの罪を、どこまで許すのか、ずっと考えていた。だが、お前たちもヴィオレットも、人の道を外れた。それは人獣を、貶める行為だ」

 かつて人間が、人獣をただの獣だと嘲っていたように。
 人獣が王になり、知らず人獣も、いつの間にか人間を嘲るようになっていた。

「全ての人獣がそうだというわけではない。だが、父も母もそしてお前たちも、立場に驕った。……俺は、お前たちを許さない。今、そう決めた」

 ライネルとアルバは、怯えている。
 ディルグの冷たい声に、冷酷な瞳に。そして、その王としての威圧に。

 それは、獣の本能なのだろう。
 圧倒的な力を前に、牙を抜かれて──ただその場に、青い顔で座り込んでいた。

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