あなたのつがいは私じゃない

束原ミヤコ

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誰かを傷つけるということ

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 前例のない式典の途中で、メルティーナとディルグは皆に礼をすると大広間からさがった。
 二人に挨拶をしたいという貴族たちはあとをたたなかったが、その相手は兄や、堂々とした立ち振る舞いが板についている兄嫁が変わってくれていた。

 リュデュック伯爵家の家名は有名ではなかったのだが、その娘が王妃となったのであれば話は別だ。
 皆の相手をしてくれている家族に、メルティーナは感謝をした。

「まるで、昨日と今日が、まったく別の日になってしまったような気がします。立場が変わるだけで、皆の態度もまるで変わってしまうものなのですね」

 メルティーナは胸をおさえて呟いた。
 この一年──小さな村の片隅で、一人静かに生活をしていた。
 人と関わることはあったものの、これだけ多くの者たちに囲まれたことはなかった。
 ディルグの婚約者だった時でさえ、メルティーナは人獣たちには仮初の婚約者だと侮られていた。
 そうした態度だった者たちが、メルティーナに阿るような笑顔を浮かべて、我先にと躍起になって挨拶をしようと近づいてくるのだ。

 メルティーナはずっと、貴族令嬢としての立ち振る舞いを忘れてはいないか、どこか言動におかしなところはなかったか、緊張していた。

 なによりも──メルティーナを殺そうとまでしたヴィオレットの、悲哀と憎悪に満ちた表情が忘れられなかった。
 覚悟は、していた。
 だが本当にこれでよかったのか。
 メルティーナの心に、彼女の存在は暗い影を落としていた。

 ディルグは、メルティーナの手を引いて城の奥にゆっくり歩いている。
 回廊から見える庭園には、色とりどりの花が咲いている。
 春の日差しが柔らかく、草木を青々と照らしていた。

 メルティーナはディルグと昔、庭園で挨拶を交わした。
 その時ディルグは、子犬の姿から戻ることができなかったのだと、彼の秘密を打ち明けてくれた。
 それは──もしかしたらと、メルティーナは思う。

 ディルグは言った。父に捨てられた恋人が哀れだったと。
 
「ティーナ」

 ふと、ディルグが足を止める。
 メルティーナは、頭一つ分以上高い場所にある彼の顔を見あげた。
 失った片耳と、ぴんと尖った残された耳と。白に近い銀の髪が、春風に揺れる。

「立場によって人の態度は変わる。俺が子犬の姿から戻れなくなった時、皆が俺を哀れみ、そして忌避したことを覚えている。人獣は、獣の姿を嫌うものだ」
「ディルグ様……」
「だが、変わらないものもある。俺の、君への感情は変わらない。これからもずっと、君を愛している」

 ディルグはメルティーナの手の甲に、唇を触れさせた。
 今まで耐えてきたものがあふれるように、メルティーナは瞳を潤ませる。

「私が……こんなことを、言うのは、間違っているのだとわかっています。でも、私は……私の存在は、ディルグ様やヴィオレット様の、邪魔をしたのではないのでしょうか。私がいなければ……」

 今まで口にしないようにしていた。
 ずっと、堪えていたのに。
 震える小さな声で悔恨を口にするメルティーナを、ディルグは強く抱きしめた。

「すまない、ティーナ。……君には辛い思いや、おそろしい思いばかりをさせる。全ては、俺の責任だ。俺の我儘だ。だが……ティーナ、これだけは、わかってほしい」

 メルティーナはディルグの胸に顔をおしつけるようにしながら頷いた。

「俺は、あの女を一度も受け入れなかった。メルティーナを愛しているとはっきり告げた。拒絶もし続けた。……それでも彼女が諦めなかったのは、俺への愛情ではない。ただ愛されたかっただけだと言っていたが、それが全てではないだろう」

 ──そうなのだろうか。
 愛されたかったという叫びは、外の世界を知らなかった悲痛な少女の願いではなかったのか。

 メルティーナはしばらくディルグの背に腕を回して、規則正しい鼓動の音を聞いていた。
 この温もりを、離したくない。
 愛とは綺麗な感情だけではない。ヴィオレットのことを考えている今も、メルティーナは彼女の欲していたディルグの腕の中で、その甘さを享受しているのだから。
 そこにあるのは罪悪感だけではない。

「……私も、我儘です。一度はあなたを諦めたのに……あなたの傍にいたいと、願ってしまいました」

 罪も、後悔も全て受け入れて、前を向いて生きていかなければ。
 この国に暮らす多くの民のためにも。そして、ディルグや、メルティーナたちを支えてくれた人々のためにも。

「我儘でいてくれ、ティーナ。罪は俺だけにある。どうしても君がいいと望んでしまった俺を、責めていい」
「……ディルグ様は、変わりませんね。いつも真面目で優しい、私の大好きなディルグ様です」

 甘えるように、ディルグの服をぎゅっと掴んで体を寄せる。
 ディルグの尾がメルティーナの背を撫でた。ふるりと震えて、メルティーナは潤んだ瞳でディルグを見つめる。

「……邪魔でしたか」
「ファティマ卿──いや、イルマール辺境伯。大丈夫だ」

 回廊の向こう側から、ファティマ卿とジュリオがやってくる。
 ディルグはメルティーナの体をそっと離した。
 ライオスは爵位を剥奪され、一線を引いていたファティマ卿がイルマール辺境伯に戻っていた。
 ライオスとアルバはイルマール辺境伯の預かりとなり、領地で懲罰をうけることになっている。
 イルマール辺境伯は、その時がきたらライオスの息子に継がせる。ライオスの息子はまだ幼いが、父が罪を犯したことをよく理解しているという話だ。
 ファティマ卿が教育係としてしっかりと育てていくと言う。

「罪人の処遇について、相談したく思いましてな。娘をあんな風に育てたのは、儂の責任です。体が弱かったヴィオレットを、甘やかしすぎたのだと思っています。といっても、てとても償いきれない罪を、あれは犯しました。殿下が極刑をお望みなら……」
「もう二度と、彼女には関わりたくないと考えている。……だが、だから死ねとは、口にできない」
「メルティーナ様は」
「私は……ヴィオレット様のことは、何も申し上げられません。私の立場からは、何も。ただ……その心が、穏やかであればいいと願います」

 メルティーナに言えることは、ただそれだけだ。
 ファティマ卿は胸にてをあてて、深々と礼をした。

「ヴィオレットがこの場所にいることは、お二人のためにもあれのためにもいいとは思えません。責任をもって、三人を領地に連れて帰ります。領地から外には二度と出さないと約束しましょう。どれほどの罪に問われるのかは、また、陛下や他の者たちと時間をとって話し合いたいと考えています」
「そうしてくれ、イルマール辺境伯。此度のこと、ありがたく思う。苦労をかけるな」
「いえ。全ては身から出た錆というものです」

 ファティマ卿が去っていくと、ジュリオが口を開く。

「前王陛下と前王妃様の身柄は、一旦王都の東の離宮に護送させていただきました。見張りをつけておりますが、お二人とも、静かなものです。二人に申し訳なかったと伝えて欲しいとのことでした」
「……そうか。ジュリオ、怪我は大丈夫か」
「はい。この程度、問題ありません。……陛下、メルティーナ様、今日は祝いの日です。後顧の憂いは我らに任せて、ゆるりとお過ごしください。あとのことは、お任せを」

 ジュリオは表情を変えることなく立礼すると、しっかりとした足取りで背筋を伸ばして去っていく。
 メルティーナとディルグはそっと目配せした。

「気をつかわせてしまったな」
「……そうですね。……皆、心配をしてくれているのですね。本当に、ありがたいことです」
「ティーナ、皆に甘えよう。今日は……確かに祝いの日だ」

 ディルグはメルティーナを抱きあげる。
 それから「今から、花嫁を攫おう」と言って、明るく笑った。


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