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1章 再生の時
第9話 引き継ぐために
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俺がやります。
祐ちゃんが強く言い切り、その眼差しが松村さんと交差する。松村さんも驚いた様で目を丸くしたが、次第に挑む様に細められる。
「料理の経験は?」
「今は家事程度です。でもこれから習うなりして励みます」
「簡単なことや無いよ。解ってる?」
「もちろんです」
祐ちゃんと松村さんは互いに一歩も譲らないと言う様に睨み合う。守梨は口を挟むこともできず、はらはらしながら見守るしか無かった。
「……祐樹くん、それがどういうことか、解ってる?」
「はい」
祐ちゃんの意思は固い様に思える。守梨は祐ちゃんとの付き合いは長いが、お料理の腕前は判らない。学校の授業以外に知る機会は無かった。だがこう言い切ることができるのは、自信があると言うことなのだろう。
守梨としては、これからも祐ちゃんがそばにいてくれるのは心強い。これまでも、特にここ最近は特に甘えてしまっている自覚はあるが、まだひとりで立っていられる自信が無いのだ。
そしてかけがえのないドミグラスソースを祐ちゃんが引き継いでくれるのなら、守ってくれるのなら、それは守梨にとって何よりも嬉しいことである。
また頼ってしまって申し訳無いと思うのだが、心が弱ってしまっている今は、どうしても寄りかかれるところが欲しいと思ってしまうのだ。それを祐ちゃんひとりに覆い被せてしまうのは、本当に不甲斐無いのだが。
「祐ちゃん、ほんまにええの? でもそれって」
守梨がおずおずと聞くと、祐ちゃんは守梨を見て、口の端をゆるりと上げた。
「大丈夫や。俺ができる限りのことをするから」
そう言われ、守梨はまた安堵する。お父さんのドミグラスソースを取り戻せるかも知れない。それは守梨にとって大きな希望だった。
駄目だと解っているのに、どうしても祐ちゃんに縋る様な目を向けてしまう。本当に情けない。お料理下手であっても、自分で食らいつかなければならないのでは無いだろうか。
守梨がそう思い始めた時、松村さんが「よっしゃ」と声を上げた。
「それやったら祐樹くん、良かったら土曜日にうちに修行に来るか? 平日は仕事やろうし、週に1日の休みは最低限要るからな。それでも大変になるやろうけど、やるか?」
「それはありがたいですけど、でも」
祐ちゃんは戸惑っている様子である。
「祐樹くんやったら信用できるし、家事並みに料理できるんやったら、仕込みの時に役に立ってくれそうや。土曜日はこの界隈休みの会社も多いから、営業は夜だけやし、それもそんな混むことも無いから、いろいろ教えられると思う。もちろん春日さん直伝のデミグラスソースの継ぎ足し方もな。あ、給料は小遣い並みにしか出せんけど」
松村さんはきっと面倒見が良いのだろう。でなければいくら既知とは言え、こんなことを言い出さないだろう。祐ちゃんは確かに家事の範疇でのお料理はできるかも知れないが、お店となるとその要領はまるで変わって来ると思う。
ここは松村さんのお城である。コックが松村さんひとりで、言うなれば自分のやりやすい様にできると言うことだ。そこに素人同然の祐ちゃんが入ることは負担だろう。
祐ちゃんもきっとそれが解っているのだろう。
「給料はええんです。むしろいただけません。けど、俺が足引っ張ってしもたら」
祐ちゃんは考え込んでしまう。そんな祐ちゃんを松村さんは笑い飛ばした。
「そんなん、誰かて最初は巧くできひんよ。私かて「テリア」入った時、イタリアンでの経験はあったけど、店によってオペレーションはちゃうからな。慣れるまでは春日さんに迷惑かて掛けてもた。やからこそや。私、春日さんにろくに恩返しもできひんかったからな。祐樹くんを鍛えることが、今私ができる恩返しやわ」
松村さんの声は明るい。懐の深さを感じさせるものだった。それで祐ちゃんも決心したのだろう。
「よろしくお願いします!」
そう言って、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
守梨もしっかりとお辞儀をする。本当にありがたい。これでお父さんのドミグラスソースを手元に置ける可能性が出て来た。正確には祐ちゃんが引き継ぐことになるのだが、食べたい時に気軽にもらいに行けるのは大きい。
「祐ちゃん、ありがとう」
守梨が言うと、祐ちゃんは微笑んで、頭をぽんぽんと撫でてくれた。
松村さんの「マルチニール」を辞し、あびこ駅に帰り着いた時には23時を回っていた。
「暗いし送ってくわ」
「ひとりで大丈夫やで」
「いや、もう遅いし」
守梨も飲み会の後など、これぐらいの時間に帰って来ることは時々あった。そんな時はもちろんひとりで深夜の道を歩く。街灯もあるので平気なのだが。
「行こか」
祐ちゃんは言って、守梨の家の方向に歩き出す。
あびこ駅はあびこ筋沿いにある。それを境に祐ちゃんのマンションはあびこ中央商店街の方向に、守梨の家、要は「テリア」はあびこ観音の方向にあり、逆方向なのである。なので余計に送ってもらうのは心苦しかった。
だが祐ちゃんは守梨を待ちながらゆっくりと歩いて行く。守梨は少し足を早めて祐ちゃんに追い付いた。
「ありがとう」
「うん」
そして数分後、無事家にたどり着く。
「じゃあな、また明日」
「うん。また。ありがとうね。気を付けて」
「おう」
守梨は祐ちゃんの背中を見送る。その背はとても頼もしく見えた。そして明日も来てくれるのかと、そんな嬉しさが胸に広がった。
祐ちゃんが強く言い切り、その眼差しが松村さんと交差する。松村さんも驚いた様で目を丸くしたが、次第に挑む様に細められる。
「料理の経験は?」
「今は家事程度です。でもこれから習うなりして励みます」
「簡単なことや無いよ。解ってる?」
「もちろんです」
祐ちゃんと松村さんは互いに一歩も譲らないと言う様に睨み合う。守梨は口を挟むこともできず、はらはらしながら見守るしか無かった。
「……祐樹くん、それがどういうことか、解ってる?」
「はい」
祐ちゃんの意思は固い様に思える。守梨は祐ちゃんとの付き合いは長いが、お料理の腕前は判らない。学校の授業以外に知る機会は無かった。だがこう言い切ることができるのは、自信があると言うことなのだろう。
守梨としては、これからも祐ちゃんがそばにいてくれるのは心強い。これまでも、特にここ最近は特に甘えてしまっている自覚はあるが、まだひとりで立っていられる自信が無いのだ。
そしてかけがえのないドミグラスソースを祐ちゃんが引き継いでくれるのなら、守ってくれるのなら、それは守梨にとって何よりも嬉しいことである。
また頼ってしまって申し訳無いと思うのだが、心が弱ってしまっている今は、どうしても寄りかかれるところが欲しいと思ってしまうのだ。それを祐ちゃんひとりに覆い被せてしまうのは、本当に不甲斐無いのだが。
「祐ちゃん、ほんまにええの? でもそれって」
守梨がおずおずと聞くと、祐ちゃんは守梨を見て、口の端をゆるりと上げた。
「大丈夫や。俺ができる限りのことをするから」
そう言われ、守梨はまた安堵する。お父さんのドミグラスソースを取り戻せるかも知れない。それは守梨にとって大きな希望だった。
駄目だと解っているのに、どうしても祐ちゃんに縋る様な目を向けてしまう。本当に情けない。お料理下手であっても、自分で食らいつかなければならないのでは無いだろうか。
守梨がそう思い始めた時、松村さんが「よっしゃ」と声を上げた。
「それやったら祐樹くん、良かったら土曜日にうちに修行に来るか? 平日は仕事やろうし、週に1日の休みは最低限要るからな。それでも大変になるやろうけど、やるか?」
「それはありがたいですけど、でも」
祐ちゃんは戸惑っている様子である。
「祐樹くんやったら信用できるし、家事並みに料理できるんやったら、仕込みの時に役に立ってくれそうや。土曜日はこの界隈休みの会社も多いから、営業は夜だけやし、それもそんな混むことも無いから、いろいろ教えられると思う。もちろん春日さん直伝のデミグラスソースの継ぎ足し方もな。あ、給料は小遣い並みにしか出せんけど」
松村さんはきっと面倒見が良いのだろう。でなければいくら既知とは言え、こんなことを言い出さないだろう。祐ちゃんは確かに家事の範疇でのお料理はできるかも知れないが、お店となるとその要領はまるで変わって来ると思う。
ここは松村さんのお城である。コックが松村さんひとりで、言うなれば自分のやりやすい様にできると言うことだ。そこに素人同然の祐ちゃんが入ることは負担だろう。
祐ちゃんもきっとそれが解っているのだろう。
「給料はええんです。むしろいただけません。けど、俺が足引っ張ってしもたら」
祐ちゃんは考え込んでしまう。そんな祐ちゃんを松村さんは笑い飛ばした。
「そんなん、誰かて最初は巧くできひんよ。私かて「テリア」入った時、イタリアンでの経験はあったけど、店によってオペレーションはちゃうからな。慣れるまでは春日さんに迷惑かて掛けてもた。やからこそや。私、春日さんにろくに恩返しもできひんかったからな。祐樹くんを鍛えることが、今私ができる恩返しやわ」
松村さんの声は明るい。懐の深さを感じさせるものだった。それで祐ちゃんも決心したのだろう。
「よろしくお願いします!」
そう言って、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
守梨もしっかりとお辞儀をする。本当にありがたい。これでお父さんのドミグラスソースを手元に置ける可能性が出て来た。正確には祐ちゃんが引き継ぐことになるのだが、食べたい時に気軽にもらいに行けるのは大きい。
「祐ちゃん、ありがとう」
守梨が言うと、祐ちゃんは微笑んで、頭をぽんぽんと撫でてくれた。
松村さんの「マルチニール」を辞し、あびこ駅に帰り着いた時には23時を回っていた。
「暗いし送ってくわ」
「ひとりで大丈夫やで」
「いや、もう遅いし」
守梨も飲み会の後など、これぐらいの時間に帰って来ることは時々あった。そんな時はもちろんひとりで深夜の道を歩く。街灯もあるので平気なのだが。
「行こか」
祐ちゃんは言って、守梨の家の方向に歩き出す。
あびこ駅はあびこ筋沿いにある。それを境に祐ちゃんのマンションはあびこ中央商店街の方向に、守梨の家、要は「テリア」はあびこ観音の方向にあり、逆方向なのである。なので余計に送ってもらうのは心苦しかった。
だが祐ちゃんは守梨を待ちながらゆっくりと歩いて行く。守梨は少し足を早めて祐ちゃんに追い付いた。
「ありがとう」
「うん」
そして数分後、無事家にたどり着く。
「じゃあな、また明日」
「うん。また。ありがとうね。気を付けて」
「おう」
守梨は祐ちゃんの背中を見送る。その背はとても頼もしく見えた。そして明日も来てくれるのかと、そんな嬉しさが胸に広がった。
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