繋がりのドミグラスソース

山いい奈

文字の大きさ
9 / 55
1章 再生の時

第9話 引き継ぐために

しおりを挟む
 俺がやります。

 ゆうちゃんが強く言い切り、その眼差しが松村まつむらさんと交差する。松村さんも驚いた様で目を丸くしたが、次第に挑む様に細められる。

「料理の経験は?」

「今は家事程度です。でもこれから習うなりして励みます」

「簡単なことや無いよ。解ってる?」

「もちろんです」

 祐ちゃんと松村さんは互いに一歩も譲らないと言う様に睨み合う。守梨まもりは口を挟むこともできず、はらはらしながら見守るしか無かった。

「……祐樹ゆうきくん、それがどういうことか、解ってる?」

「はい」

 祐ちゃんの意思は固い様に思える。守梨は祐ちゃんとの付き合いは長いが、お料理の腕前は判らない。学校の授業以外に知る機会は無かった。だがこう言い切ることができるのは、自信があると言うことなのだろう。

 守梨としては、これからも祐ちゃんがそばにいてくれるのは心強い。これまでも、特にここ最近は特に甘えてしまっている自覚はあるが、まだひとりで立っていられる自信が無いのだ。

 そしてかけがえのないドミグラスソースを祐ちゃんが引き継いでくれるのなら、守ってくれるのなら、それは守梨にとって何よりも嬉しいことである。

 また頼ってしまって申し訳無いと思うのだが、心が弱ってしまっている今は、どうしても寄りかかれるところが欲しいと思ってしまうのだ。それを祐ちゃんひとりに覆い被せてしまうのは、本当に不甲斐無いのだが。

「祐ちゃん、ほんまにええの? でもそれって」

 守梨がおずおずと聞くと、祐ちゃんは守梨を見て、口の端をゆるりと上げた。

「大丈夫や。俺ができる限りのことをするから」

 そう言われ、守梨はまた安堵する。お父さんのドミグラスソースを取り戻せるかも知れない。それは守梨にとって大きな希望だった。

 駄目だと解っているのに、どうしても祐ちゃんにすがる様な目を向けてしまう。本当に情けない。お料理下手であっても、自分で食らいつかなければならないのでは無いだろうか。

 守梨がそう思い始めた時、松村さんが「よっしゃ」と声を上げた。

「それやったら祐樹くん、良かったら土曜日にうちに修行に来るか? 平日は仕事やろうし、週に1日の休みは最低限要るからな。それでも大変になるやろうけど、やるか?」

「それはありがたいですけど、でも」

 祐ちゃんは戸惑っている様子である。

「祐樹くんやったら信用できるし、家事並みに料理できるんやったら、仕込みの時に役に立ってくれそうや。土曜日はこの界隈休みの会社も多いから、営業は夜だけやし、それもそんな混むことも無いから、いろいろ教えられると思う。もちろん春日さん直伝のデミグラスソースの継ぎ足し方もな。あ、給料は小遣い並みにしか出せんけど」

 松村さんはきっと面倒見が良いのだろう。でなければいくら既知とは言え、こんなことを言い出さないだろう。祐ちゃんは確かに家事の範疇なんちゅうでのお料理はできるかも知れないが、お店となるとその要領はまるで変わって来ると思う。

 ここは松村さんのお城である。コックが松村さんひとりで、言うなれば自分のやりやすい様にできると言うことだ。そこに素人同然の祐ちゃんが入ることは負担だろう。

 祐ちゃんもきっとそれが解っているのだろう。

「給料はええんです。むしろいただけません。けど、俺が足引っ張ってしもたら」

 祐ちゃんは考え込んでしまう。そんな祐ちゃんを松村さんは笑い飛ばした。

「そんなん、誰かて最初は巧くできひんよ。私かて「テリア」入った時、イタリアンでの経験はあったけど、店によってオペレーションはちゃうからな。慣れるまでは春日さんに迷惑かて掛けてもた。やからこそや。私、春日かすがさんにろくに恩返しもできひんかったからな。祐樹くんを鍛えることが、今私ができる恩返しやわ」

 松村さんの声は明るい。ふところの深さを感じさせるものだった。それで祐ちゃんも決心したのだろう。

「よろしくお願いします!」

 そう言って、深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

 守梨もしっかりとお辞儀をする。本当にありがたい。これでお父さんのドミグラスソースを手元に置ける可能性が出て来た。正確には祐ちゃんが引き継ぐことになるのだが、食べたい時に気軽にもらいに行けるのは大きい。

「祐ちゃん、ありがとう」

 守梨が言うと、祐ちゃんは微笑んで、頭をぽんぽんと撫でてくれた。



 松村さんの「マルチニール」を辞し、あびこ駅に帰り着いた時には23時を回っていた。

「暗いし送ってくわ」

「ひとりで大丈夫やで」

「いや、もう遅いし」

 守梨も飲み会の後など、これぐらいの時間に帰って来ることは時々あった。そんな時はもちろんひとりで深夜の道を歩く。街灯もあるので平気なのだが。

「行こか」

 祐ちゃんは言って、守梨の家の方向に歩き出す。

 あびこ駅はあびこ筋沿いにある。それを境に祐ちゃんのマンションはあびこ中央商店街の方向に、守梨の家、要は「テリア」はあびこ観音の方向にあり、逆方向なのである。なので余計に送ってもらうのは心苦しかった。

 だが祐ちゃんは守梨を待ちながらゆっくりと歩いて行く。守梨は少し足を早めて祐ちゃんに追い付いた。

「ありがとう」

「うん」

 そして数分後、無事家にたどり着く。

「じゃあな、また明日」

「うん。また。ありがとうね。気を付けて」

「おう」

 守梨は祐ちゃんの背中を見送る。その背はとても頼もしく見えた。そして明日も来てくれるのかと、そんな嬉しさが胸に広がった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

Emerald

藍沢咲良
恋愛
教師という仕事に嫌気が差した結城美咲(ゆうき みさき)は、叔母の住む自然豊かな郊外で時々アルバイトをして生活していた。 叔母の勧めで再び教員業に戻ってみようと人材バンクに登録すると、すぐに話が来る。 自分にとっては完全に新しい場所。 しかし仕事は一度投げ出した教員業。嫌だと言っても他に出来る仕事は無い。 仕方無しに仕事復帰をする美咲。仕事帰りにカフェに寄るとそこには…。 〜main cast〜 結城美咲(Yuki Misaki) 黒瀬 悠(Kurose Haruka) ※作中の地名、団体名は架空のものです。 ※この作品はエブリスタ、小説家になろうでも連載されています。 ※素敵な表紙をポリン先生に描いて頂きました。 ポリン先生の作品はこちら↓ https://manga.line.me/indies/product/detail?id=8911 https://www.comico.jp/challenge/comic/33031

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

処理中です...