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第一章

探検① 不審者

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 差し出された手を取った乃愛は、沙奈の先導で扉を開けて廊下に出た。

 肌に触れている間は沙奈のスキルが通用するようになっているため、幻影が機能していることが分かる。認識阻害系の能力も働いているかもしれないが、念のため周囲に張っている常時結界に遮音性を付与しておく。
 扉の左右には黒眼鏡に黒スーツ姿の女性二人がボディガードの如く立っていたが、気付かれることなく抜け出せた。
 廊下を少し進んで振り返る。監視されているかもしれないという先入観があるせいか、一歩引くと看守のようにも見えてきて苦笑する。

 廊下はふかふかの綺麗なワイン色絨毯が敷き詰められていて、踏みしめるたびに緊張感が増していく。
 なぜか窓は少ないが、あちこちに散りばめられている豪華な照明が壁と柱の意匠や装飾品を照らしてキラキラと空間を明るくしていた。どれをとっても高級そうで、何にも触れないように神経を尖らせる。
 なぜこのようなところに自分がいるのか、場違いも甚だしくて早くも気が遠くなってくる。

 人の目を気にすることなく堂々と廊下を進む。それでも誰もこちらに気付かないので、まるで透明人間にでもなったかのようだ。
 物陰に隠れたりといったこともせず、思ったよりコソコソした言動をせずに済みそうで内心ほっとしながらも、やはりなんだか悪いことをしているようで、早まる心臓の鼓動が耳につき始めた。
 繋いでいる手がぎゅっとされたので離れないように握り返すと、温もりを感じて手先が冷えてきていたのを自覚した。そこに意識を集中していると、体温を取り戻していくのがわかって徐々に落ち着いてくる。

 しばらく適当に歩き回るが、警備員と思しき人たちが疎に配置されているだけで人通りは少ない。遠目に見えただけでもこの館は相当に広大な建物だったが、今いるフロアはどの部分になるのだろうか。
 行き先に当てがあるのか沙奈を窺い見れば、人差し指を横に向けて廊下の端に寄っていった。前方で立ち話をする声が聞こえてくる。

「巡回は?」
「問題ない」
「では予定通り交代だ」
「了解。報告してくる」

 立ち去っていく人の跡を追う。上司がいるところへ向かってくれることに期待する。そうやって芋蔓式に重要な人物へと辿っていければ相手の思惑が見えてくるかもしれない。

 階下を降りて結構な距離をそのまま歩いていけば、どん詰まりに差し掛かった。何もないように見える壁に手を触れると、魔法陣が現れてそこへ吸い込まれるようにして人が消えてしまった。

 何が起きたのか全く分からず目を丸くしていると、沙奈がまじまじとその壁を見つめて唸った。

「んー…?ちょっと宙に浮くからしっかり掴まってね」
「う、うん」

 沙奈の腕にしがみついて体を強張らせると、景色が一変して建物の外に出た。すぐ目の前に見える白い建物は先ほどまでいた館だろう。三階建だったようで、その二階部分の建物の端で浮いていた。

「あ、これならいけそう。さっきの人、たぶんこの中にいるんじゃない?」

 沙奈が指差した先を見て頷く。今いる場所が先ほどいた真横なのであれば、その先にはまだ一部屋分はありそうな空間があった。扉を使わない特殊な出入りをしている部屋があるのだろう。

 また廊下に戻ってきて沙奈が壁に触れる。さすがに誰でも出入りできるわけではないようで何も起きない。どうするのだろうと見ていると、腕を離して繋ぎ直した手が少し引っ張られた。
 あ、と声が出た時にはどこかの室内にいた。

「ここって…」
「うん、壁抜けしてみた」

 沙奈はパチンと片目を閉じて悪戯に成功したような笑みを向ける。
 そんなこともできるのかと驚いたが、その軽い調子を見れば気が抜けてきて、ぎこちない笑みを返す。

 辺りを見ればここは執務室のようなところで、奥のデスクに座っている男性に向けて先ほど追っていた女性が立ったまま何事か話しかけていた。
 部屋の端に寄って、会話に耳を傾ける。

「…以上です」
「ふむ。ご苦労だった。それで、例の件の方は?」
「それも滞りなく。…あの、これは本当に上からの指示なんでしょうか」
「そう聞いているが。何かおかしなことでもあったのか?」
「いえ、そういうわけでは…ただあまりにも過剰な気がしまして…」
「まぁそれは確かにな。だがヒューマンであればやむを得まい。賓客扱いなど前例がないことだし、お上も神経質になっているんだろう」
「…ちなみに、何者なんです?召喚された者とは聞いてますが、それだけじゃないですよね」
「それは俺もわからん。どうやらかなりきつい情報統制が敷かれているようでな。何かあるのは間違いないだろうが、あまり嗅ぎ回ると首が飛びかねん。お前も、ここで溢すくらいならいいが、他所では気をつけろよ」
「は…はい。ではこれで失礼します」

 もう用は済んだのか、女性は一礼して踵を返すと、入ってきた時と同様に壁に手を翳して姿を消した。男性の方はそのまま黙々と目の前の書類に手をつけ始めている。

 これからどうするのか沙奈を見れば、眉を寄せて何か考え込む仕草を見せた後、手を引いて廊下側の壁に向かって歩き出した。ここを出るようだ。

「もういいの?」
「うん。動きがないようだし、さっきの人をまた追うことにする」

 真っ直ぐ伸びた廊下の先にはターゲットにされた女性の後ろ姿がまだ見えていた。一定距離を保ちながら跡をついていく。
 また階下を降りて一階へ。あっちこっち歩き回ったあと、ついに外に出てしまった。裏口のようで、庭園を挟んだ門の先には森林が広がっている。

「…」

 裏門に向かっているように見えるが、仕事が終わって帰宅するのだろうか。それにしては制服だろう格好はそのままで、周囲を気にしながら物陰に沿って隠れるように歩いているのが気になる。

 その女性は出口には向かわず、角にある門の柵にぴったりと身を寄せた。
 柵越しに誰かいるのが見えたため、そっと近づいていく。気づけば乃愛が沙奈の手を引いていて首を傾げるが、ぼそぼそとした会話が始まったのでそちらに集中した。

「何か掴めたか」
「いや全く。警護は何も知らされていないようだ」
「…そうか。仕方ない。予定通りにいく」
「本気か。今回のこれはいつもとは違う。うまく言えないがかなり危険な臭いがする。手を引いた方が良い」
「そうしたいのは山々だが、依頼主が相当お冠でな。聞く耳を持たない。いずれにせよ実行ありきなんだ」
「忠告はしたからな。私はここまでだ。これから何があっても知らぬ存ぜぬで通す」
「…わかった。だが邪魔だけはしないでくれ」
「それは約束しよう。…お前と会うのもこれが最後かもな。残念だよ」
「ああ、本当に残念だ」

 柵越しにあった人影がすっと消えると、女性は何事もなかったかのように歩き出して館へと戻っていった。

 今生の別れみたいな会話を聞いてしまい、なんだか空気が重い。話がまだよく見えないが、ここで何かが起こるらしいことはわかった。
 沙奈が動かないのが気になり、顔を窺い見る。

「どっちを追う?」
「…消えた方を追いたかったけど、見失っちゃった。一旦戻ろっか」

 頷くと景色が切り替わって滞在用の部屋に戻ってきた。キラキラして眩しい。
 少しでも落ち着けそうな場所を探してしばらく室内をうろうろする。一番小さな空間が書斎だったので、そこにあるレザーソファに腰掛けて一息ついた。

「うーん…早速当たりを引いたのか何なのか…でもちょっと知りたかったこととは違ったなぁ。別筋っぽいというか」

 背もたれに深く体を沈めた沙奈は、困ったような顔で天井を仰いだ。
 乃愛は疑問に感じていたことを尋ねる。

「あの人を追い続けたのは何か理由があったの?」
「気配遮断のスキルを持ってたから何となく気になってね。始めはそれだけだったんだけど、妙なことを聞き始めるから怪しく思えてきて…そしたら案の定こそこそ悪巧みの話してるし」
「あ。外に出たとき、いつの間にか私が前に出てたのって…」
「そうそう。外に出る手前くらいから気配が消えて少し見失ってたの。でもノアは普通に進んで行くし、スキル効かないあれが働いてるのかなって思って、途中からはついて行ってた」
「そっか…やっぱり誰であっても効かないのかな。自覚もできないし、自分だけ違うのは、なんか、ちょっと恥ずかしいかも…」
「そういうものかな?なら、私がいるときは教えるようにするよ」

 今回のように悪意あるようなら罪悪感も抱かないが、そうではなかった場合、プライバシー的な配慮ができないことが心苦しい。見られたくなくて隠しているのに勝手に見てしまうわけで。しかもそれを知らずに指摘してしまう恐れもあるということだ。

「ま、そこはそんなに気にすることでもないよ。隠そうとするやつなんか大抵碌でもないって。それより力になりたくてもなれないってパターンの方が問題かもね。一部例外はあるみたいだけど」

 例外とは、触れたら通用するというやつだろうか。そういえば沙奈以外の場合にどうなるかはまだ試していなかった。あと念話などのスキル共有や口に入れるようなものも効果があったりしていた。

「これからどうする?まだ続ける?」
「そうだなぁ。続けるにしても方向性をどっちにするか…悪巧みを深追いするか、本来知りたかったこの待遇への思惑の方か。この二つ、話が繋がるようならいいんだけど、今はまだそこまでわからないからねぇ…」
「それなら、先に晩餐会の対策がしたいな。どんな理由があっても、身を守る方を優先したい。結界は便利だけど、自分で口に入れたものまではどうしようもないから、それだけは心配で…」
「確かに。晩餐に毒殺は定番かも」
「そ、そうなの…?」

 沙奈は神妙な面持ちになって頷き始めた。
 何か微妙な認識のずれを感じる気もするが大丈夫だろうか。

「さて。仕切り直して、まずは厨房を探そう」


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