獅子の末裔

卯花月影

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5.桃源郷

5-1. 祖父の思惑

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 元亀二年が終わろうとしているころ、忠三郎は岐阜で年始を迎えるため、日野を出て岐阜へと向かった。

 岐阜城千畳敷では慌ただしい年の瀬とはいえ、重臣たちが集められ、軍議が開かれていた。
(次の戦さの話か)
 江南、比叡山を制圧し、次はいよいよ浅井・朝倉、そして伊勢長島だろうか。
(やはりここは落ち着かない)
 久しぶりに来た千畳敷控えの間では、あちらこちらで話をしている姿が見える。控えの間は一か所ではない。家格により部屋が分けられており、大広間に近い部屋から織田家連枝の部屋、重臣の部屋、譜代家臣の部屋、外様家臣の部屋、そして陪臣の部屋など。
 江南の国衆がいるときはいいが、他の国の国衆が溢れているときはどうにも居心地が悪い。
 落ち着かない忠三郎はさりげなく席を立ち、隣の陪臣の部屋をのぞいてみると、見慣れた者が、退屈そうに欠伸をしている姿が見えた。
(義太夫)
 あの様子では随分と待たされているようだ。退屈しのぎに短刀を取り出し、足の爪を切りはじめた。

 忠三郎が義太夫に声をかけようとしたとき、見知らぬ武将が少し離れた廊下を歩いていくのが見えた。
(おや、あれは…)
 まだ若い。二十歳前後といったところだろうか。
(どこかで見たような…)
 背が高く、色が白く、少し神経質そうな顔をしている。随分、堂々としており、外様には見えない。織田家譜代の臣の誰かだろうか。
(あの顔…見たことがあるような、ないような…)
 対面から来た家臣が平伏しているのが見えた。
(思い出した!)
 あの後姿は信長に似ている。織田家連枝の誰かに違いない。
「義太夫」
 声をかけると義太夫が顔だけこちらを向けた。
「おぉ、鶴。よいところに。ちょうど退屈していたところ」
「あの御仁はどなたじゃ?」
 義太夫が伸びあがって廊下を見る。
「お~。あのお方か」
「上様に似ておる。織田家の御連枝衆か?」
「御連枝?…まぁ、御連枝…ではあるかのう」
 奥歯にものが挟まったような言い方だ。
 義太夫はちらちらと辺りを見回し、近くに誰もいないことを確認すると、一段声を落とし、忠三郎の耳に顔を近づける。
「あの方は尾張・古渡城城主の織田帯刀たてわき様じゃ」
 あの若さで城主とは。しかも尾張・古渡城といえば、信長の父・信秀が築いた城で信長が元服した場所でもある。
 そんな大事な城を任されているのであれば、連枝の中でも信長に近い者だと分かる。

 それにしても義太夫はなぜ、人目を憚るように言うのだろうか。
「上様の弟御か?」
「いやいやいや。そうではない。上様の落し胤じゃ」
「え?」
 信長の長子は忠三郎よりも年下。まだ元服前の奇妙丸だが。
「存じてはおらんかったか?」
「知る筈もない」
「美濃から姫を娶って日も浅く、上様の子として育てることができなかったため、京奉行の村井が引き取って育てた。されど、その前に、もう一人、おる」
「もう一人?」
「昔、先代が美濃のマムシ相手の負け戦で抜き差しならぬときに、上様の傅役もりやくであった平手政秀が美濃と和議を結ぶため、マムシの娘を上様に娶せようと奔走したのじゃ」
 その話は聞いたことがある。美濃のマムシこと斎藤道三。信長の父・信秀の宿敵ともいえる相手だったが、信秀は斎藤道三以外にも、国内に敵を抱えていた。
 この状況を打破するために奔走したのが、当時、信長の傅役もりやくだった平手政秀だ。

「あの平手というは大した爺。なんというても一筋縄ではいかないマムシを説いて、娘を嫁に出させたのじゃ」
 ところが平手政秀が必死に奔走している間、信長が侍女に手を出し、妊娠させてしまった。
「婚儀が整う前に、上様が然様なことを…」
 嫡男は正室が生むと決まっている。このため、家督相続権のある嫡子が生まれるまでは、通常、側室を持つことはできない。
「噂が美濃に伝われば破談になりかねん。誰でも青くなるところではあるが、平手は慌てず騒がず、その侍女を引き取り、己の養子として、信濃で百姓をしていたという馬番に嫁がせた」
「その馬番とは…」
「清須城代の埴原加賀守じゃ」
 百姓出の馬番が城代とは、ずいぶん出世したことになる。
「生まれた和子様は?」
「幸いなことに女子じゃ。されど、マムシの娘との婚儀が整い、輿入れが終わった直後、上様は懲りずに塙九郎の妹に手を出し、今度はよりにもよって男子が生まれた。それが先ほどの織田帯刀様」
 織田家重臣の一人、塙九郎直政。信長から山城を任されるほど信頼されている。妹が信長の側室になったことで、信長に目を駆けられ、出世したという評判だ。

 それにしても当時、信長は今の忠三郎と同じくらい、十代だった筈。若気の至りとはいえ、なんとも驚かされる。
「上様の父親譲りの女癖の悪さを嘆いた平手が、割腹して諫言したという評判じゃ」
 城の侍女たちの好みそうな興味本位の噂話と言えなくもないが、先ほどの織田帯刀はそれほど信長を彷彿とさせる風貌だった。
「おぬしも、町野が腹切ることにならぬように、よくよく心得ておけ」
「何を申すか。遊女であれば大事ない、などというて、傾城屋に誘ってくるのはおぬしではないか」
「それは、鶴が夜、眠れぬというから…。わからぬかのう、このわしの親心が」
「なにが親心じゃ。毎回、傾城屋に金を払わせておるではないか」
 二人が騒いでいると、万見仙千代が慌てたように走り寄ってきた。
「探して居ったぞ。何故、かようなところにおった」
 ここは陪臣用の控えの間だ。
「おぉ、確かに。鶴、何故、かようなところにおるのじゃ」
 義太夫が我知らずという顔をして尋ねる。
「それは、義太夫。おぬしが…」
「戯言は後にいたせ。上様がお呼びじゃ」
「上様が?」
 これは拙い、と慌てて立ち上がる。
「そう慌てるな。上様に咎められたら、厠に籠っていたと申し開きいたせ」
 義太夫が肩を軽くすくめ、ふざけ半分でそういう。
(そんな戯けたことが言えるか!)
 信長は待つことが嫌いだ。忠三郎は大慌てで万見仙千代の後に続いた。

 広間に行くと、信長の左右に佐久間信盛、柴田勝家、そして一益がいた。
(何故、わしが呼ばれたのであろうか…)
 息が詰まるような顔触れだ。
「鶴、左近と共に甲賀を攻略せよ」
 座るか座らないかのうちに、信長にそう言われ、忠三郎は一益を見る。
「畏まってござりまする。して、此度はどのような首尾で?」
 目の前に広げられた図面は江南と甲賀、北勢が描かれている。一益は扇子で地図を指し示し、ひとつひとつ説明する。考え抜かれた計略と、その目にはすべての計算が済んでいるかのような確信が見え隠れしているが、ひと呼吸おくたびに忠三郎が相槌を打つのを待っている。
(義兄上は何やら気乗りしておらぬような…)
 何故だろうか。もしや、忠三郎を足手まといと、そう思っているのではないだろうか。
「間違っても一人で先陣切るようなことはするな」
 厳しく言い渡される。
(次は浅井・朝倉、もしくは長島と思うていたが、甲賀とは…)
 信長や一益の考えはよくわからない。
「降るものは許してとらす。が、天下布武の邪魔をする者は…」
「親兄弟といえども容赦は致しませぬ」
 忠三郎は一瞬、ドキリとして一益を見た。
「その言葉、忘るるなよ、左近」
「ハハッ」
「鶴もよう心得よ」
 念を押すような信長の一言で血の気が引き、一益をちらりと見て、悟られないようにハハッと平伏した。

 一益は以前、滝川三九郎なる甲賀者が六角に通じていると言っていた。今回の甲賀攻めの件で呼び出されたのは、祖父・快幹や滝川三九郎が六角に通じて、策略を巡らせていることに、信長が気づいているからではないだろうか。
(されど、まだ、重丸のことは義兄上しか存じてはおるまい)
 快幹や母・お桐が密かに匿っていたという兄・重丸。甲賀の山奥に隠れているのか、その後も姿を見ることはない。
 城下の屋敷に戻ると、一益は居間に忠三郎だけを呼び出して人払いした。
「家中のあぶり出しは終わったか」
 やはりその話か。一益は祖父の始末をつけろと、そう言いたいのだろうか。
(お爺様をどうしろというのか)
 この一年余り、戦さ続きで日野を留守にすることも多い。祖父の動きは何一つ掴めていない。なんと返事をすべきだろうか。

「いえ。それは…」
 言いにくそうにそういうと、一益は珍しく声を荒げた。
「鶴、そなたはもうよい。後方におれ」
 何か、苛立っているようにも見える。軍議の時から感じていたが、常とは違う様子に忠三郎は戸惑いながらも、取り繕おうとした。
「待て、義兄上。それと甲賀攻めは関係がなかろう」
「そなたには三九郎はおろか、重丸を討つこともできぬ。この戦さが終わるころには墓の中におろう」
 全く相手にされていない。いつにも増して冷ややかな口ぶりだ。やはり今回の戦さで、忠三郎が足手まといだと、そう思っているのではないだろうか。
(義兄上はどこまでもわしを童と侮り、対等に見てはおられぬ)
「いや、必ず討つ」
 ここで引いては面目が立たない。信長からの下知はすでに下っている。
「鶴。そなた、重丸を操っているのが誰か、ずっと以前より気づいていたじゃろう」
 一益は何が言いたいのだろう。かつて祖父が蒲生宗家にしたように、祖父を葬れと、そう言っているのだろうか。
「わしが少し調べればすぐに分かることが、分からなかったとは言わせぬ」
 忠三郎がエッと顔をあげる。
(調べた?)
 やはり一益は蒲生家を調べている。どこまで知っているのだろう。いや、すべてを知ったうえで、快幹を始末しろと、暗に仄めかしているのかもしれない。
「調べたとは何を?何を知ったと?」
 一益は常と変わらず、顔色一つ変えない。瞳には冷たい光が宿っていたが、その奥に潜む感情を読み取ることは、かなり近い者であっても不可能に思われた。
「みなまで言わせるな。全て分かっていながら、認めたくないことに目を背け、逃げて来たそなたに、今更何ができる?できなかったからこうなったのではないのか」
 やはりすべて知っている。

(お爺様がわしを毒殺し、家督を奪おうとしていることも…)
 誰にも知られたくないことだった。小さな領国を巡って、身内同士、血で血を洗う歴史を繰り返してきた蒲生家。そんな醜い争いを厭わしく感じて去っていった家臣もいる。
(それを今もって続けているなどと…)
 由緒正しい蒲生の名に傷がつく。そんな秘めておきたい家の内情を、一益はいとも容易く調べ上げ、そして当たり前のように、祖父を始末しろと示唆してくる。
(逃げていたわけではない。ただ…身内同士の争いを、なんとか収めたいと)
 どうやって収めるべきかと思いあぐねていただけだ。
「我が家のことを嗅ぎまわった挙句、逃げて来たとは聞き捨てならん。わしを臆病者と、そう仰せか」
「さにあらず。鶴、目を覚ませ。つまらぬことで命を落とすな」
 これは家の一大事だ。どこがつまらぬことなのか。
「つまらぬこととは心外な!必ず重丸を討つ」
 勢いでそう言ったが、本音ではなかった。重丸が佐助の言うように、本当に忠三郎の兄なのであれば、争いは避けたかった。
「そなたにはできぬ!未だに母御の仇の快幹を野放しにしているそなたに何ができようか」
 忠三郎は驚き、一益を見る。
(母の仇?)
 そんな話は誰からも聞いたことがないし、忠三郎の口から誰かに話したこともない。忠三郎をかばって死んだお桐。しかし幼すぎてあの時の記憶は曖昧だ。誰に追われていたのかも、何故追われていたのかもわからない。
(されど…)
 佐助の手紙を読んでから、心のどこかでは、あの日、追っ手を差し向けてきたのは祖父ではないかという思いがあった。祖父への疑念は池の鯉が死んだとき、さらに強くなった。
 ただ、それを事実と認めるには、余りに悲しすぎる。

(義兄上の言う、認めたくないことに目を背けて逃げたとは、このことか)
 幼いころから羨望の眼差しで見てきた祖父。その祖父に死を望まれて、嬉しいと思う者がいるだろうか。祖父に命を狙われ、母を失い、なおも毒殺を恐れる日々を送っているのだと、そんなことを簡単に受け入れることができるだろうか。
(一体、わしが何をしたと…)
 耐え難い不条理を突き付けられ、思わず刀を掴もうとした。
「そのようなことまで、調べたのか!」
 ところが、あっと思った瞬間、一益が刀を蹴り、忠三郎の胸倉を掴んで引きずり上げた。
「童の戦ごっこではない」
 一益の剣幕に、閉じ込められたように息苦しくなり、胸の奥で心臓が早鐘のように鳴るのが分かる。一益は怒っているようだが、本気で怒っているわけではないようだ。忠三郎は負けじと一益を睨み返した。
「この半年、何もしてこなかったは義兄上ではないか。妻子を失っても平然と手をこまねいている義兄上にわしの思いがわかるか!」
 分かるわけがない。そう言おうとすると、忠三郎の胸倉を掴む一益の手が怒りに震えているのが分かった。

「待て!お待ちくだされ!」
 俄かに義太夫が襖を開けて飛び出してきた。どうやら最初から隣の部屋にいて、一部始終を聞いていたらしい。
「鶴、やめい。殿の前で刀を抜こうとするな。おぬしが怪我をする」
 止めているつもりかもしれないが、義太夫がいちいち腹の立つことを言う。
「鬼の滝川左近に真面な情があるのか!」
 勢い余ってそう怒鳴った。一益の腕に力が入り、忠三郎が宙刷りにされる。 腕一本で忠三郎を持ち上げる一益の怪力と、目に映る筋肉隆々とした腕の太さに息をのむ。
(これは…)
 袖がずり落ち、あらわになった肩から下に酷い火傷の跡があった。
 一益が突然、手を離したので、忠三郎はドサリと音を立ててその場に落ちた。
「二人とも、ここは落ち着いて。のう、鶴も、かように腹をたてるな。鶴、我が家の御台様と若は三九郎に捕らわれておるのじゃ。殿のお気持ちも察してくれ」
 義太夫が二人の間に割って入り、冷や汗を流しながら忠三郎をなだめる。
「北の方と和子が捕らわれておる?」
 知らなかった。御台様とは吹雪の妹の風花のことだろう。噂によると、一益は随分と風花を大切にしているらしい。
「義兄上、知らぬこととはいえ」
「いや、よい」
 一益はまた、黙り込んでしまう。そうでなくとも言葉数の少ない義兄だ。これではとても口を開いてくれそうにない。
(今宵は引き上げた方がよさそうな…)
 どうにも場が白けてしまった。忠三郎は短く挨拶をすると、一益の居間を後にした。
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