獅子の末裔

卯花月影

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5.桃源郷

5-5. 人の温もり

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 音羽城の一件から数日後、忠三郎の居間に転がり込んできた義太夫が、唐突に一益の練った策を伝えてきた。
「そろそろ動かねば、上様の目尻が吊り上がってしまう。まずは甲賀と六角の間にくさびを打ち、これにより甲賀衆を完全に従わせるのじゃ」
「それが義兄上の策か。そう上手く事が運ぶのか?」
 どんな策をもってすれば、そんな都合のいい展開になるのだろうか。忠三郎が首を傾げると、義太夫は、無論、と自信たっぷりに言う。
「すでに半数以上の甲賀衆が織田家に臣従した。あとは微々たるもの。六角親子を甲賀から誘い出したところで、柴田・佐久間の軍勢が退路を断ち、甲賀衆と引き離す」
「誘い出すとは、いかように?」
「重丸を使って揺さぶりをかけては如何どうか?」
「重丸…」
 策をもって欺けと、そう言っているのだろうか。
「わしが謀略が苦手なことは、存じておろう」
「これは謀略にあらず。…というよりは、謀略が苦手というのであれば、苦手なことをすることもない。代わりに、例えば…まず重丸から誘い出してみては?そのほうが容易かろう。重丸の大切な何かを抑えて誘い出すのじゃ?」
「大切な何か?」
 義太夫の言っていることがよくわからない。
「先ずその愛するところを奪わば、即ち聴かんというではないか。大切な何かを抑えられることによって、相手は動きがとれなくなる」
 それは重丸ではなく、今の一益のことではないか。
「義兄上は如何なされる。風花殿が甲賀に連れ去られたままではないか」
 一益がそう易々と風花を諦めるとは思えない。
「そこは案ずるな。居場所は調べがついた。目を瞑っていても歩けるような、我らの庭のようなところじゃ」
「甲賀へ向けて、伊勢から兵をあげると?」
 兵をあげるとなれば風花の身に危険が及ぶかもしれない。義太夫は、いやいや、と首を横に振る。
「乗り込むと、仰せであったが…」
「乗り込む?」
 まさか一益自らが単身で敵地に乗り込むと、そう言っているのか。
(そのような暴挙。あるはずもなし)
 ではどんな策があるのだろう。
「御台様のことは案ずるな。おぬしは六角親子を誘い出してくれればよい」
 なんとも悩ましいことを簡単に告げると、さっさと伊勢に戻っていってしまった。

(大切な何かとは…)
 思えば重丸のことをほとんど知らない。あれからどうやって過ごしてきたのか、今、どこで暮らしているのか、今になって何故、家督相続にこだわっているのか、自分や祖父をどう思っているのかさえも。
 忠三郎はふと立ち上がり、広縁に出た。
「助太郎、そこにおるのであろう?姿を見せよ」
 一益のことだ。誰かを日野に置いたままだろう。置いていくのであれば、日野への出入りが多く、蒲生家の事情に詳しい滝川助太郎の筈。そう思って声をかけると、思った通り、物陰から滝川助太郎が姿を現した。
「ようお分かりになりましたな」
 忠三郎は苦笑して、
「義兄上のなさることは、だいたい分かる。…で、その義兄上がよう仰せになることの一つに、孫子の『敵の情を知らざる者は不仁の至りなり』という言葉がある。そこで、ちと頼まれてほしいことがあるのじゃが…」
 百金を惜しみて、敵の情を知らざる者は不仁の至りなり。人の将にあらざるなり。主のたすけにあらず、勝の主にあらず、とは孫子の用間篇にある言葉だ。孫子は、金を惜しみ、敵情を調べないものは仁徳がない。人の上に立つ将とは言えず、主の助けにもならず、勝利を得ることもできない、と説く。これは素破が『敵になれ』と教えられることにも通じている。
「確かに、殿はよう仰せになりまする。して、頼みとは?」
 滝川家の者を使うには、一益の名を出すのが効果的だ。
 折角、一益が素破を置いて行ってくれたのであれば、使わせてもらうことにした。

 甲賀・滝城。
 三九郎は一益を恐れた杉谷家から受け入れを拒まれ、やむなく風花を連れて滝城に戻っていた。
 滝城は一益が去ったのちに、祖母の滝御前も隠居所へと引っ越していった。それからは人が少しずつ去っていき、手入れする者もなく、荒れるに任せ、今や廃城に近い。
 時折、重丸や杉谷家の素破が姿を見せるが、それも頻繁ではなく、苦手な風花と二人きりの生活を強いられている。
 風花が餅好きだという情報を得て、杉谷家から餅を入手。早速、風花の元へもっていった。
「これは?」
あわ餅でござるが…」
 不思議そうな顔をしている。やはり普段、風花が食べている餅とは異なるようだ。
(かといって、甲賀を出て、買いに行くわけにもいかぬ)
 三九郎が困っているのを見た風花は明るく笑って餅を手に取って食べた。
「大儀じゃ、三九郎殿」
「は…」
 捕らわれの身というのに、尊大な態度だ。やはり三九郎のことを下人か何かと勘違いしている。
「ときに、三九郎殿は何故、殿に会わぬのじゃ?」
「何故、とは…」
「三九郎殿は滝川左近の子ではないのか?」
 唐突に一益の名を出され、三九郎は驚きを隠せない。世間知らずの姫君にしては意外に鋭い。何故、わかったのか。
「存じておいでとは…」
 三九郎が額に汗をかいていると、風花は可笑しそうに笑う。
「声がよう似ておる。会うてみたいであろう?」
 遠目で見たことはあるが、声を聴いたことはない。
「殿を恐れておるのか?」
「それは無論…」
 信長も一益も、同じくらいに恐ろしい存在だ。
「それもまた致し方なきことやもしれぬな。父上も殿も一見して近寄りがたき面相じゃ。されど、三九郎殿。人を面相だけで判断してはならぬ」
 近寄りがたき面相とは…。風花は思い違いをしている。三九郎は一益の顔も、信長の顔も見たことがない。かろうじて、千草峠で信長を襲った時に、遠目で見ただけだ。
「父上も、殿も、人から誤解されやすいが、とても情け深く、心根の優しいお方じゃ」
 風花は笑顔でそういうが、とてもそうは思えない。
(何を見たら、情け深いなどという言葉がでてくるのやら。情け深い者が、家や田畑に火をかけるものか)
 信長や一益が風花に見せる顔は、世の人が知っている姿とは大きく異なる。そんなことはついぞ知らぬ三九郎は、風花の発言に相槌を打つこともできない。
「三九郎殿は殿に似て情け深い。此度も八郎を解放してくれた」
 誤解がある。思いのほか風花に手がかかり、風花一人を連れ出すのに精一杯だったせいで、八郎と乳母を連れてくることができなかっただけだ。
 風花の思い違いはどこからきているのか。
(わしが滝川左近の子だから)
 風花にとっては一益の子というだけで、信頼に値するのだろう。
「風花殿は何をもって、そのように滝川左近を信じておいでで?」
 ふと疑問に思い、聞いてみた。
 風花は少し考えてから、
「三九郎殿は殿を知らなすぎる。傍におれば、殿が情け深い方じゃと分かる。わらわとともに伊勢へ参らぬか?」
 何を言い出すかと思えば、伊勢に戻りたいと言っているのか。
「それはできぬ。そのような恐ろしいことを…」
 三九郎が信長を狙撃したことを、風花は知らない。三九郎が狙撃犯だと分かれば、信長や一益の仮面は剥がされ、情け深い御仁から、恐ろしい魔王に姿を変える。
「もう少し、この城にいて、おとなしくしていてくだされ」
 風花と話していると疲れる。三九郎は立ち上がり、ため息をついて部屋を出た。

 日野谷に今年最初の雪が降り始めたころ、心待ちにしていた助太郎がようやく戻ってきた。
「よう戻った!待っておったぞ!遅かったではないか」
 忠三郎が大喜びで迎えてくれたので、助太郎は少し心が痛む。これまで重丸がどこで、どうしていたのかを調べてほしいと頼まれて日野・中野城を出たが、それは難なく調べがついた。帰りが遅くなったのは伊勢に戻り、一益に報告をあげていたからだ。
「して、分かったか」
「はい」
 幼い頃、人目につかぬようにと快幹によって音羽城に隠された重丸は、しばらくの間、供を一人、つけられただけで、ひっそりと過ごしていたらしい。
 やがて重丸が生きていることがお桐の知るところとなり、お桐は人目を忍んで重丸に会いに行っていた。
(母上が会いに…では、わしが重丸と会ったのも、その頃か)
 母を失った重丸は、忠三郎が思っていた通り、また、音羽城に閉じ込められた。しかし、快幹は六角家のお家騒動を終息させるために奔走し、重丸にかまけている暇がなくなった。
 お家騒動が決着を見せるまでの数年、重丸は供もつけられず、音羽城で過ごしていたという。
「供も付けられず?…されど、如何にして…」
「あの間道の先にある鎌掛谷。あの辺りは食料となる野草が生えているとかいう話で」
 無論、野草だけで生きていたわけではない。音羽城付近に住む百姓が憐れに思い、重丸を迎え入れてくれたらしい。
「日野の百姓は蒲生のご隠居に大層、恩義を感じておる者が多いとか。それであのあたりの百姓夫婦が重丸の世話を焼いていたという話で」
 なんだろう。その話を聞き、一抹の寂しさを覚えた。最初、話を聞いたときは、忠三郎が孤独のうちに過ごした四年間、重丸も一人だったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
(領民たちから手厚い保護を受けていたのか)
 重丸は知っているのだ。暖かい家の温もりを。家督を継ぎたいと思ったのも、その時の領民たちとの繋がりゆえだ。
(それだけではない。わしを領主としてふさわしくないと、重丸がそう感じる理由は…)
 重丸は気づいているのかもしれない。忠三郎が人を信じないことを。そして、人の温もりを知らずに育った忠三郎には、民を愛して国を守ることなどはできないのだと、そう思っているのではないか。
(それでは如何にわしが訴えかけたとしても、分かりあうことなどはできぬか)
 兄が生きていたと聞いたときの喜びが、少しずつ薄れていく。あの頃のように、二人で手を取り、この日野の町を守っていくことができれば、という淡い期待も崩れ去る。
「相わかった。助太郎、大儀であった。少し休むがよい」
 助太郎が去っていくと、忠三郎は綿向山を見上げる。山頂付近は雪で白く、空は美しく晴れ渡っていた。

 世の中は空しきものと知る時し
               いよよますます悲しかりけり

(万葉集 巻五 七九三)
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