獅子の末裔

卯花月影

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7.手足之愛

7-3. 新たな不安

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 日野に戻った翌日、忠三郎は後藤館に足を向けた。
 喜三郎はもう戻っているはずだ。しかし今回ばかりは喜三郎に隠れておさちに会うわけにもいかない。

 後藤館に到着し、門番に声をかけると、家人たちの態度がこれまでとは違ってどこかよそよそしい。不穏な空気を感じていると、案内されたのは、おさちのいる母屋ではなく、喜三郎が居住している館だった。
(喜三郎に知られてしまったのか)
 家人たちの態度を見るに、怒っているようだ。何と言って話をしたものか。
 あれこれ考えながら広間に入ると、喜三郎がじっとこちらを見て、睨んでいた。
「喜三郎、今日は込み入った話があって参ったが…」
 忠三郎が笑顔を作って声をかけると、喜三郎は無言で立ち上がり、正面中央から左に移ろうとする。
「あ、いや。今日は上意を伝えにきたわけでは…」
 上座を譲ろうとする喜三郎に、忠三郎は戸惑い、留めようとするが、喜三郎は聞こえぬかのように左に片膝を立てて座った。

 織田家の縁戚である忠三郎は宴会の場でも宿老たちのすぐ後ろにいる。喜三郎はそれに倣ったのだろうが、なんとも仰々しい態度だ。これでは気まずく、話しにくい。
 忠三郎は致し方なく儀礼通り、広間の入口に腰を下ろして扇子を置き、一礼すると、苦い思いを噛み締めながら向かって右に座った。
「忠三郎殿。そのようなことをされては…」
 といいつつも、喜三郎の声は無機質で、冷たかった。
「いや、喜三郎。此度は詫びと…その…頼みがあって参ったのじゃ」
 喜三郎と向かい合って話すことが、これほどまでに苦痛だったことはない。
「詫び、とは?」
 軽蔑するように忠三郎を見て、分かっていながら、あえて訊ねてくる。

「おさちのことじゃ。その…さぞや驚いたかと思うて…」
 喜三郎の無言の圧力が重くのしかかり、胸の奥で何かが固まってしまう。
「驚くもなにもござりませぬ。忠三郎殿が姉を側室に迎えてくださるのであれば、我が家にとっては目出度き事」
 それができないことを知っていながら、わざわざ口に出して言うとは。
(これは相当、怒っておる)
 ここまでとは。こんなことなら誰かに仲介を頼めばよかった。
「それは…今はできぬが、生まれた子は引き取る。おさちも…。あと三・四年…いや、四・五年程、待ってくれぬか。我が家に嫡子が生まれた後であれば…」
 忠三郎がなんとか事を収めようとすると、喜三郎は怒りに満ちた目で忠三郎を睨む。
「忠三郎殿。そのような戯言を言うために参られたか」
「戯言ではない。わしはまことに…」
 途切れ途切れに話し続けるが、その言葉の先に何があるか、忠三郎自身もわからない。

「もう結構。姉には金輪際、会わずにいただきたい」
 と畳みかけ、家臣を呼んで忠三郎を強引に帰そうとする。忠三郎は慌てて喜三郎を制し、
「待て待て!しばし、待ってくれ!では、男子であれば、生まれた子を嫡子とする。それで収めてはくれぬか」
 おさちを失えば、この世は色彩を失ってしまう。忠三郎は追い詰められ、咄嗟にそう口走った。
 喜三郎は驚いて大きく目を見開き、忠三郎を見る。
「織田家の姫が生んだ子を嫡子とするのでは?」
 当然のことながら、誰もがそう思っている。
「い、いや。おさちの子を嫡子とする」
「それはまことのことで?」
「武士に二言はない」
「では花押付きで誓詞を書いてくだされ」
「誓詞?…よかろう」

 起請文を書かせた上に花押までしろとは、よほど忠三郎が信用ならないらしい。
 疑心に満ちた目で忠三郎を見る喜三郎の鋭い視線を感じながら、針の筵に座る思いで起請文を書いて渡した。
「これで分かってもらえたか?」
「はい。では無事に子が生まれた暁には、日野へ使いを送りましょう」
 ようやく喜三郎の怒りが少し解けたようだ。先ほどよりも声色に柔らかさを感じる。
「承知した。では…おさちに会うてもよいか?」
「ご自由になされませ」
 喜三郎は呆れたようにそういうと、忠三郎の書いた起請文を手にして広間をでていった。

 裁きの場に立たされたかのような時を無事に終えることができた。
 これからは喜三郎に対して後ろめたい思いを抱えずに、おさちに会うことができる。そう思うとおさちのいる母屋に向かう足取りも軽い。
(男、女、どちらであろうか)
 その差は大きい。これはおさちに確かめる必要がある。

 母屋へ行くと、おさちのいる奥座敷に通された。
「鶴殿」 
 おさちが嬉しそうに顔をあげる。常と変わらぬその笑顔に、忠三郎は息をつき、胸をなでおろした。
「おさち。大事ないか。何故、早う知らせなんだ?」
「鶴殿がお困りになるかと…」
 おさちが遠慮がちに言う。随分と心苦しい思いをさせてしまった。
「何を申す。困ることなどは何もない」
 実際、困ることばかりだが、忠三郎の返事を聞き、おさちもようやく安心してくれた。

「で、左の脈は如何なものじゃ?」
 左の脈が早ければ、生まれる子は男と言われている。
「右も左も変わらぬような…」
 忠三郎がどれどれとおさちの右の手を取り、左の手を取る。
(よう分からぬ…)
 確かに変わらないようにも思えるし、右が早いような、いや左の方が早いかもしれない、と何度も脈を取るが、やはりよくわからない。
「あまり公にはできぬが、綿向神社に知らせを送り、着帯の儀の支度を整えさせよう」
「されど、織田家の姫には何と申し開き致すのじゃ?」
「それは…案ずるな。喜三郎もわしも、十月には戦さにいかねばならぬが、留守の間、おさちが困らぬように家人をここへ送る。何かあったら我が家の家人に話すがよい」
 おさちは腑に落ちないような顔をして頷く。

「鶴殿こそ、何を案じておいでじゃ?」
 おさちが忠三郎の顔色を伺うように覗き見る。
「案じる…とは?」
 なんのことかだろうか。
「隠していても分かる。鶴殿は何かを恐れておる。上様や織田家の方々を恐れておるのではないのか?」
 忠三郎は曖昧な笑顔をかえして、いやいや、と首を振った。
 おさちの言うように、懐妊を知ってから不安に思っていることがある。それは信長ではなく、祖父・快幹のことだ。
(お爺様がこのことを知ったら…)
 自分ばかりか、おさちにまで危険が及ぶのではないか。
 父のために薬を煎じている祖父。祖父が父と和解したのであれば、もう忠三郎の命を狙うことはないかもしれない。しかし、これまで散々、命を狙われてきた。不安はぬぐえない。戻ってからはまだ一度も、父とも、祖父とも話をしていない。二人が本当に和解したのか。これから手を携えて家を守るつもりがあるのか、本心は何一つ確認できてはいなかった。
(男が生まれても、日野には連れ帰らず、ここに置いておくほうが、よいのかもしれぬ)
 先ほどから、そんなことを考えていた。

 ほかにも不安に思うことがある。出産後、産後の肥立ちが悪く、命を落としてしまうことは珍しくはない。身近では、信長の側室・生駒吉乃がそうであり、出産直後から寝たきりになり、それを知った信長は祈祷師を集めて大掛かりな祈祷をさせたらしい。しかしその後、一年もたたぬうちに命を落とした。無論、集められた祈祷師は全員、処刑されている。

 これまでどれほど大切な人たちを失ってきたことだろう。忠三郎を庇って死んだ母・お桐。生涯の友だった三雲佐助。陰に日向に忠三郎を支えてくれた叔父・青地駿河守。そして、たった一人の兄・重丸。櫛の歯が欠けるように、一人、また一人と目の前から姿を消し、そのたびに言い知れない寂寥感に襲われてきた。
 おさちの存在は、忠三郎にとってはかけがえがない。戦場で疲弊した心を癒し、荒ぶる魂を静め、そして勝利の果てに感じる虚しさを唯一埋めてくれる存在だ。
(万が一にも、おさちを失うようなことあらば…)
 ふとそんな考えが脳裏を過ると、まるで凍りつくような恐怖が全身を駆け巡った。おさちの笑顔、おさちの声、おさちの優しい手のぬくもり。それらが幻のように脆く、儚く消え去ってしまうのではないかという恐れに、忠三郎の胸はさらに重くなった
 そんな不安を抱えていることを、おさちは敏感に察したようだ。

「鶴殿、如何した?ここに来てからずっと黙ったままじゃ。やはり、子ができたことが悩ましいか」
「そうではない。ただ…」
 おさちを失うのが怖いのだ、そう言いたかったが、一軍の将として口に出すのは憚れる。
 おさちが不安そうな顔をしている。余計な心配をかけてしまったな、と忠三郎はおさちに笑いかけた。
「乳母を誰にするか考えておったまで」
 不安を振り払い、話をすり替えた。
 生まれた子にとって、乳母と乳母の実家は生涯に渡って影響を及ぼす重要な存在だ。子が大きくなれば、子の後ろ盾となり、時として親代わりともなる。信長が嫡男・奇妙丸の乳母に滝川一益の妹を選んだ例からも分かるが、主君に対して揺ぎ無い忠誠心を持つ者を選ばなければならない。

「何というても我が家の嫡子が生まれるのじゃ。いろいろと思案せねばならぬことが多い」
「まだ男子と決まったわけではあるまい」
 おさちが可笑しそうに笑うが
「いや、男子。男子に決まっておる」
 生まれてくる子は思いを残して死んだ兄・重丸の生まれ変わりに違いない。重丸が忠三郎を助けるために、生まれ変わろうとしていると、そう感じている。だからこそ、喜三郎にも、生まれた子を嫡子とすると、そう明言した。
(信楽院に行かねば…)
 滝川家の家人たちによって手厚く葬られた重丸。本来の重丸の墓に入れられたと聞いたが、まだ足を運んでいない。
「また来る」
 忠三郎は短くそういうと、後藤館を後にした。
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