獅子の末裔

卯花月影

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7.手足之愛

7-2. 裏切りの結末

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 一益の本陣では、物見の知らせを受けた佐治新介が慌てふためいていた。
「上様が朝倉勢を追って行かれました。今すぐ兵をまとめて朝倉勢を追撃せねば、上様に遅れを取ることになるかと」
 義太夫と忠三郎の帰りを待っていたため、すっかり後れを取ったようだ。
「上様はまた、馬廻りのみ連れて先へ行かれたのか」
 馬廻りだけを連れて行ったのであれば、軍勢を連れて後を追っても追いつくことはできない。

「蒲生勢にも先手が命じられていた。町野左近に知らせを送り、鶴の帰りを待たず、賢秀を促し、敵を追撃せよと伝えよ」
「ハハッ。委細承知仕りました」
 信長は激怒しているだろう。これは後で詫びを入れに行かねばならない。そう思いつつ、一益は軍勢を引き連れて信長が進んでいった方角に向かってひたすら走り抜けた。いつにも増して信長の動きが早い。信長としてはここで追いつき、一気に方を付けるつもりらしい。
 夕暮れ時になり、人馬に疲れが見えてきたころ、激しく戦う一群が見えてきた。
「殿!前方に敵でござります」
「よし、首取るに及ばず。なで斬りにせよ。朝倉勢を逃すな!」
 朝倉勢の中で踏みとどまって戦う者はごくわずか。全軍総崩れとなり、越前目指して逃げようとしているところを追いつかれ、斬り伏せられている。
(栄華を誇った朝倉も、この為体か)
 数年かけた調略が功を奏しているようだ。朝倉家にはもはや浅井を助けるどころか、己が家を守る力さえ残されてはいない。

「左近様!」
 町野左近が馬を走らせてきた。心配していた蒲生勢がようやく追い付いてきたようだ。
「若殿が…」
「案ずるな。義太夫を送っておる。後から追ってくるであろう。このまま追撃を続けよ。我らは地蔵山麓の上様本陣へ行き、詫びを入れねばならぬ」
 日が沈み、辺りが真っ暗になったところで追撃が終わり、兵が陣所に引き上げてきた。一益は柴田勝家、佐久間信盛、羽柴秀吉らの主だった諸将に声をかけ、信長本陣へと向かった。

 家臣たちが二十名ほど雁首を揃えて信長の前に伺候すると、信長は激しく叱責した。
「幾度も先懸を申し付けおきしところ、かかる比興曲事ひきょうくせごとは言語道断。なんたる痴れ者どもじゃ!」
 皆、ただひたすらに面目次第もござりませんと平謝りに謝った。それでも信長の怒りは収まらず、罵声が響く。ここでつまらない言い訳をすると嵐が暴風雨になる。じっと耐え、嵐が静まるのを待つしかない。誰もがそう思っていた。
 ただ一人、佐久間信盛を除いては。
(右衛門、なんのつもりか…)
 信盛がもの言いたげに、何度か顔をあげようとするのが分かり、一益はハラハラした。今、余計なことを言って逆らえば、皆で頭をさげているのが無駄になる。
 そんな心配をよそに、信盛はいつまでも怒り冷めやらぬ信長に対し、たまりかねたように口を開いた。
「然様に…然様に仰せられましても…我々程の者を家臣としている者は、そうはおりませぬ!」
 信長に訴えかけるように、途切れ途切れにそう言う信盛の声が震えている。おや、と思い、顔を見ると、なんと信盛が泣いている。
(右衛門…これは拙い)

 重臣筆頭として何か言わなくてはと思ったのかもしれないが、謝るために来ているのに、感情に訴えても火に油を注ぐだけだ。勝家も一益も慌てて信盛の腕を引いたが、すでに信長の耳にはハッキリと届いている。
「右衛門!」
 雷が落ちたかと思うような怒声が轟いた瞬間、場の空気が一気に凍りついた。 居並ぶ者が震え上がって即座に背筋を正し、石のように硬直する。
 ちらりと見ると、信盛を睨みつけていた信長がにわかに立ち上がった。一瞬、信長の手が刀に伸びる。さすがの一益もヒヤリとしたが、思い直したらしく、つかつかと歩み寄り、佐久間信盛の前に仁王立ちになった。
「その方は予に遅れを取りながら、何をもって己の自慢をするか!まこと片腹痛いわ!」
 信長の眉間には深い皺が刻まれ、鋭い瞳で家臣たちを睨みつける。 怒りと憤りが渦巻き、信長の周囲の空気さえ冷たく凍り付く。
 そんな中、信盛は言い返すこともできなくなり、スクッと立ち上がると憮然として帷幕を出て行ってしまった。
(拙い手を打ってくれたな…)
 激怒する主君を更に怒らせて、さっさと席をたつとは…。
 信長はしばしのとき、怒りを抑え込むように口元を震わせていた。声を荒げる衝動が喉元までせり上がるも、それを飲み込み、矢のような鋭い瞳で一同を睨みつける。嵐の前の静けさのように、その場の空気は張り詰めたままだ。
 信盛が出ていってしまったため、怒りの炎は心の奥底で燃えさかるものの、外へ漏らさぬよう自らの感情を押し留めているようだ。こんなときは余計な声掛けをせず、黙って嵐の過ぎ去るのを待つしかない。
 やがて信長が音を立てて床几に座った。
「よいか者ども!此度の戦さで必ず朝倉左京太夫の首を挙げよ!」
 息を詰めていた家臣たちは、誰一人として動けないまま、ハハッと短く返事をした。

 どうなることかと思ったが、かろうじて事なきを得た。やれやれと馬に乗り、自陣に戻ろうとすると、落ち武者さながらに肩を落として歩く蒲生賢秀の姿が見えた。供に謝りに来ていたようだ。
「左兵衛大夫」
 声をかけると、やつれた顔をした賢秀が振り返った。
「これは…滝川殿。常より忠三郎が世話になっておるとかで、まこと忝き次第」
 かろうじて聞こえるような、消え入るような擦れた声だ。随分と顔色が悪い。
(病はまことであったか)
 どこが悪いのだろう。
「なにやら顔色が優れぬ。大事ないのか」
「ちと腹具合が悪く…常のことなれば、お気遣いなく…」
 賢秀は軽く頭を下げると、自陣へ戻っていった。
 戦さ嫌いと聞いていた。出陣命令が下るたびに、病が悪化するという話だったが、どうやら仮病でもなさそうだ。
 あの顔色は尋常ではない。忠三郎はそんな父に代わって自分が前に出て、手柄をたてようと必死なのだろう。
(されど、あやつはどうにも危うい)
 どうしたものかと考えながら自陣に近づくと、幔幕の中がやけに賑やかだ。
(義太夫が鶴を連れて戻ったか)
 あの二人がいると、たとえ戦さ場であったとしても、華やいだ空気が流れる。
「皆、今宵は休め。明日は朝が早い」
 将兵に声をかけた。
 明日には朝倉勢を追って刀根坂を越え、敦賀へ向かわなくてはならない。

 翌日から朝倉勢の追撃が再開された。やっと追いついた忠三郎もさりげなく合流し、街道沿いに馬を走らせると、越前の入り口、刀根坂で朝倉勢に追いついた。
 士気の低い朝倉勢は雪崩をうって逃げまどい、朝倉一門の将をはじめとして、名だたる将が次々に討たれていった。
 朝倉勢が三千の死者を出して退却すると、信長は将兵を休ませるため、敦賀まで来てようやく進軍を留めた。
「鶴、兜首はとったか?」
 ふらりと陣営に現れた義太夫が問うと、忠三郎は寂しそうに首を横に振る。重丸を失ったばかりで、どうにも闘志が湧いてこない。
「これはもはや戦さではない気がする」
「戦さではない?」
 戦さとは、相手に戦う意志があって成り立つもの。相手が戦意を喪失した時点で勝敗は決している。これは逃げまどう者を討っているだけの、単なる殲滅戦だ。

「上様は朝倉を滅ぼすおつもりであろう。家が滅ぶ時とは、このようなものかもしれぬのう」
「これが叔父上を討った朝倉の末路とは、世はまさしく無常なもの。そうは思わぬか」
 忠三郎の心の奥にある深い憂いが、若さに似つかわしくない無常感を醸し出している。
「戦わずに逃げる者どもを見てそう思うたか?皆が皆、死を恐れて逃げるから、ああなるのであろう。生を必するときんば即ち死し、死を必するときんば即ち生く。死を覚悟しておくほうが、生き残るものかもしれぬ。敵と相まみえるときは、生きたいと思う気持ちを捨てよとも言う」
 どこかで聞いたような言葉だ。
「それは?」
「呉子じゃ」
 呉子は孫子と並ぶ武経七書の一つだ。

「おぬし、漢文が読めるようになったか」
 意外な成長ぶりに驚くと、
「いや、単なる聞きかじりじゃ」
 可笑しいと思えば、やはりそんなところか。
「ではおぬしは、敵とまみえるときは生きたいとは思うてはおらぬのか」
 そんな潔い義太夫はどうにも想像ができない。義太夫は少し考えて、
「然様。そのようなことよりも…」
「そのようなことよりも?」
「戦さが終わったら、何を食おうかとか、そんなことを考えておるかのう」
 聞く相手を間違えたようだ。忠三郎が笑って頷くと、義太夫は烏帽子を脱いで頭を掻いた。

「このまま朝倉の居城・一乗谷まで敵はおらぬようじゃ」
「まだ朝倉義景の従弟なるものが途中にある城を守っていると聞き及んだ」
 朝倉義景の従弟・朝倉景綱。峠では主君を見捨てて逃げたらしいが、城に籠って籠城しているという話だった。
「そやつは木下が調略して、内応しておる。戦うことなく城を開けるであろう」
「それはまことか。では、朝倉家で残っておるのは当主の朝倉義景と、その従弟の朝倉景鏡だけか」
 朝倉景鏡。志賀の陣で忠三郎の叔父・青地駿河守を討った将の一人だ。
「そやつも内応済み。何食わぬ顔をして一乗谷で朝倉義景を出迎えたというが、直に手柄顔をして義景の首を持って現れるやもしれぬ」

「如何に落ちぶれたとはいえ、そのようなことが…」
 南北朝時代から続く名門・朝倉氏。その朝倉が内部から音を立てて滅びようとしている。
「最後は身内に裏切られるとは…」
 他人事とも思えない。この戦乱の世において、血縁は重要だ。しかし信頼すればするほど、裏切られたときの痛手は大きい。
「源平の頃より主殺しをして栄えた家はないが、おぬしも身内にはよくよく気を付けておけ。そういえば、従姉とかいう女子。どうしようと思うておる?」
 おさちのことを言っているようだ。
「おさちは、わしにとっては…」

 何だろうか。改めて考えると容易に答えが浮かばない。身ごもったと聞いたときは、すぐにでも会いにいかねばと思っていた。しかし、よくよく考えると迂闊に行くことも憚られる。正室の吹雪との間に子を生せていない以上、側室にすることもできないのだから。
「生まれた子を引き取ってはどうじゃ。上様だとて身に覚えのあること。そう取沙汰するとは思えぬが」
 これは義太夫の考えではなく、一益の考えだろう。
「大事ないであろうか」
「奥方に頭を下げれば、大事には至るまい」
 気休めでもそう言ってくれると気が楽になる。

「明日には進軍再開となる。かつて北ノ京とも呼ばれた一乗谷。人が一万人も住んでおるとか。あの辺りであれば、都よりも安く、美味いものが手に入るかのう。あるいは落城間近となれば、言い値で買うこともできるかもしれぬ」
 義太夫は嬉しそうに言う。敵とまみえている間も何を食べようかと考えているとは、あながち戯れではないようだ。
(にしても言い値で買うとは…)
 忠三郎はふと気づいて、可笑しくなって笑いだした。皆、乱捕り目当てというのに、義太夫は商人から値切って買うつもりらしい。
「北ノ京なれば、上手いものもあろうて」
「おぬしもそう思うか。これはますます楽しみじゃ」
 明日、いよいよ越前へ入る。はじめて見る越前の地はどんなところだろうか。

 八月十八日、織田勢の先陣はついに越前・一乗谷に到達した。信長は朝倉家から寝返った富田長繁のいる龍門寺城を本陣とし、忠三郎は柴田勝家とともに一乗谷の城下に向かった。
 人口一万を超えるという話だったが、すでに城下は焼き払われ、人はおろか、獣一匹、姿が見えない。石垣はひび割れ、城門は無惨に燃え落ちている。
「北ノ京と呼ばれていたと聞き及んでいたが…」
 一時期は都から多くの公家が戦火を逃れて避難し、さながら都を思わせるような華やかな町だったという。かつては将軍・足利義昭や明智光秀も在所していたことがある一乗谷。
 織田勢の乱捕りを恐れた町の人々は逃げ去り、朝倉勢は城下をことごとく焼き払って退却した。

 忠三郎は町野左近らとともに焼け跡を見て回る。無残な焼け跡には往時を偲ばせる庭園の石組が残されていた。焼け焦げた石に座り、辺りを見回すと、城があるという一乗城山が目に入った。頂上付近は樹木が見えない。城下と同じように焼き払ったようだ。ここにはもう荒廃と破滅しかない。信頼を寄せ、共に歩んできた者たちに裏切られた結末が目の前に広がる惨状なのだろう。多少の混乱はあると思っていたが、ここまでとは。忠三郎の中では未だ消化しきれぬまま、苦々しい空虚さを残す。

「朝倉義景はわずかな供回りを連れ、この先の大野・東雲寺に逃れたとか」
 町野左近もこの荒廃ぶりに驚きを隠せないようだ。
「兵が見切りをつけ、離散したのであろう。東雲寺で援軍を募り、最後の一戦を挑むつもりではなかろうか」
 朝倉義景は覚悟を決め、華々しく散ろうとしているのかもしれない、そう思った時、
「その東雲寺にはすでに追手が差し向けられた。更に奥へと逃げるかもしれぬ」
 ふいに声がして、横を見ると、義太夫が立っていた。

「早、追いついたか?」
「いや、わしだけ先に来た。もはや朝倉の命運尽きた。我らは先に敦賀まで引き上げ、戦後処理せねばならぬ」
「江北は如何なったであろうか。浅井も同じ末路か」
「まぁ時間の問題であろう。まだまだ国には戻れぬがのう」
 義太夫はそれだけ言うと、踵を返して去っていった。

 朝倉義景が討たれ、朝倉氏が滅びたのは八月二十日。信長は首実験を終えると浅井氏と決着をつけるため、本隊を率いて江北へと戻っていった。
 忠三郎は朝倉氏の残党狩りを命じられ、柴田勝家、滝川一益、丹羽長秀らとともに越前に残った。
 義景の母、側室、嫡男が次々に捕らえられ、処刑されている中、ついに小谷城が落ちて浅井氏を滅ぼしたとの知らせが入った。
「あちらの処遇は朝倉とは比較にならぬほど厳しいらしい」
 義太夫に耳打ちされ、なんのことかと尋ねると、
「浅井は織田家に寝返ったものも皆、斬首されておる」
「そうなのか」
 朝倉家の旧臣で織田家に臣従したものは皆、旧領を安堵されている。しかし浅井家の家臣は違うようだ。信長は、信長の妹と婚姻を結びながら、敵対した浅井長政を憎んでいるのだろう。全ては浅井長政の裏切りから始まったのだ。
(これでようやく叔父上の無念を晴らすができた)
 叔父・青地駿河守が討死してから、この九月でちょうど三年。戦さ続きの三年だった。比叡山延暦寺、上京、百済寺をはじめ、多くの寺を焼き払い、そして兄・重丸も失った。
(多くのものを失ってもなお、終わりではない)
 祖父がいる。重丸を裏で操り、度々忠三郎の命を狙ってきた祖父・快幹。将軍義昭は都落ちし、浅井・朝倉が滅びたというのに、快幹は今も日野でそしらぬ顔をして、平穏な日々を過ごしている。

「若殿!急ぎお戻りくだされ。殿がお倒れになりました!」
 町野左近が慌ててかけてきて告げる。
「父上が?」
 出陣前から体調が優れないという話は聞いていた。それでも今回は供に出てきてくれたので、内心安堵していたのだが。
「急ぎ戻ろう」
 父の元へ行こうとする忠三郎を、義太夫が呼び止める。
「待て、鶴。おぬしもしや…」
「もしや…?」
「いや、よい。親父殿の元へ急げ」
 義太夫は何を言いかけたのだろう。気にはなったが、忠三郎は町野左近に伴われて自陣に向かった。

 賢秀は突然、発作を起こしたように苦しんだが、持参の薬で症状が落ち着いた。当初、想定していたよりも戦さが長引いたため、飲んでいた薬の量を減らしていたことが原因だったらしい。
 ちょうど江南衆に退却命令が出たので、忠三郎はいち早く兵を纏め、父とともに日野へと戻った。
(父上が飲んでいる薬は…)
 どうにも気になり、さりげなく賢秀に聞いたところ、医薬に精通している快幹から入手しているらしい。
 常日頃から仲の悪い快幹が薬を作り、それを賢秀が飲んでいる姿を見て、二人はやはり親子なのだなと思う。

 祖父・快幹と父・賢秀は同じ城に住んでいながら、正月と先祖供養のときくらいしか顔をあわせることがなかった。その限られた時、二人は互いにそしらぬ顔をして挨拶を交わすが、二人が同じ場にいると緊張が走り、家臣たちはやきもきしていた。
 忠三郎が幼い頃から、その異様な光景は当たり前のように繰り返されてきた。
(されど発作が収まったのは、お爺様の薬のお陰)
 祖父の薬がなければ、父は命を落としていたかもしれない。賢秀の具合が悪いと聞き、快幹は手づから父のために薬を煎じ、調合した。

 その話を聞いたとき、忠三郎の心は揺れた。幼い頃から見てきた祖父は、冷徹で厳格なだけの人間だった。しかし、今、祖父の奥に宿る温かさを垣間見た。
 長年の確執の裏に潜んでいた感情は、敵意ばかりではなかった。そこには、この戦乱の世を共に戦い抜いた祖父と父の絆、血がつながる親子ならではの強い繋がりがまだ残っていたのだ。

 忠三郎は心のどこかで温かな感情が広がっていくのを感じた。戦さで敵に勝つことだけがすべてではない。祖父と父の和解は、蒲生家が呪いに打ち勝った証しのように思えた。
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