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7.手足之愛
7-5. 生を忍ぶ者
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どのくらいの時がたったのか。目を開けると、どこかに寝かされていた。
「忠三様!お目覚めで!」
助太郎が心配そうに忠三郎の顔をのぞき込んでいる。
「助太郎。ここは…」
「音羽城の本丸館。殿が大層、案じておいででした」
ゆっくりと体を起こすと、眩暈が治っていた。
「ご安堵くだされ。もう毒は抜けておるはずで」
そうなのか。よかった。毒を飲んだと分かった時は、あのまま命を落とすのかと覚悟を決めたほどだった。
「わしも、そう易々と死ぬわけにはいかぬな」
忠三郎は心配する助太郎に笑顔を向ける。疲労が顔に滲み出てて、助太郎の心配を軽くなだめようとしているのか、それとも自分を納得させようとしているのか、見分けがつかない微妙な笑いだった。
「上様のお命を狙ったものは?」
「すでに捕らえておりまする」
ふと不安になった。詮議を受ければ、狙撃に使った火縄銃の出どころを明かしてしまうのではないか。
忠三郎がそんな不安を抱えていることを察したらしい。助太郎が安心させるように、大丈夫だと言う。
「何も案ずることはありませぬ。曲者はもの申すことのできぬ身体となりました。あとは全て殿にお任せあれ」
もの申すことのできぬ身体とは。助太郎の言う意味がわからない。
「痛っ」
手を動かすと、右の拳にズキッと痛みが走った。見ると皮が剥け、赤く腫れている。
「これは一体…」
いつ怪我をしたのか覚えていない。はて、と首を傾げると、助太郎が気づき、
「忠三様が床を殴ったとか。覚えてはおられぬので?」
「わしが?そのようなことをしたと?」
そんな無法なことはしたこともない。
「義兄上と義太夫は?」
「殿はいずこかへ参られ、義太夫殿はすぐそばの部屋で三九郎様と…」
「三九郎?」
一益が甲賀を飛び出したのちに甲賀で生まれ、そのまま甲賀で育ったという滝川三九郎。
甲賀五十三家の一つ、杉谷家の世話になっていたことから、杉谷家へ恩を返すため、六角親子に手を貸していたのだと、助太郎はそう説明した。
「たしか忠三様の二つ年下かと」
「おぉ、然様か。では話が合うかもしれぬな」
にわかに興味が湧いてきた。挨拶でもしようかと思い、立ち上がって静かに襖を開けると
「滝川の者どもに関わっていると、気分が悪うなるわ」
三九郎らしき人物が、いきなりそう言った。忠三郎は訳が分からず、二人の顔を見る。三九郎らしき若者は怒っているらしく、義太夫は気まずそうな顔をしている。
(仲が悪いのであろうか…)
一益が義太夫に任せて席を立ったことを鑑みても、扱いに困っていることは伝わってきた。
「では、わしの元へ参れ」
忠三郎が笑みをたたえてそういうと、三九郎が顔をあげる。
(どこかで見たような…)
どこだっただろうか。思いだせない。
「わしは蒲生忠三郎じゃ。三九郎、甲賀に戻る気がないのであれば、我が城へ参れ」
忠三郎は屈託ない笑顔で三九郎に話しかけた。
「鶴…。目が覚めたか。大事ないか」
普段は飄々としている義太夫も、一応、心配してくれていたようだ。忠三郎は笑って頷き、
「異存はなかろう、三九郎。日野の水はうまいぞ。わしは滝川左近の義弟ゆえ、いうなればおぬしの叔父。助太郎もおるし、義兄上にはわしから話しておく」
三九郎は当惑した顔をしており、義太夫は何か言いたげにしている。
(なにやら急に腹が減ってきた)
少し眠って吐き気が収まったせいか、夕餉を食べそびれたことを思い出した。
そういえば、義太夫は大抵、何かしら食べるものを持ち歩いている。
「空腹じゃ。義太夫、何かないか?」
聞いてみると、義太夫が苦笑して懐から干餅を取り出した。
一益は三九郎を残して先に伊勢へ戻って行った。義太夫は、三九郎を城まで送り届けると言い、忠三郎とともに中野城へと向かう。
「上様のお命を狙った不届者は如何した?」
ずっと気がかりだった。助太郎の話は的を得ぬ話ばかりで、何が起きているのか分からなかった。
「そう案ずるな」
義太夫は軽く流そうとした。普段の饒舌ぶりとは打って変わって、随分と言葉数が少ない。助太郎といい、義太夫といい、不審な態度だ。
「城に行ったら、酒でも馳走になろうかのう」
そしらぬ顔で言うが、明らかに話を逸らそうとしている。
(何かを隠しておる)
言いたくなさそうにされると、ますます気になる。
「義太夫、胡麻化すな。その者の口から万が一にもお爺様の名がでるようなことがあれば…」
「それはない」
義太夫はきっぱりと否定する。何をもってそう言い切るのか。助太郎は、もの言えぬ身体になったと、そう言っていたが何のことやら、さっぱりわからなかった。
「もの言えぬ身体とは?」
「おぉ?助太郎がそう言うたか」
「何を隠しておる。わしとおぬしの仲ではないか。有体に申せ」
義太夫はうーんと唸り、口を開くことを躊躇うかのように悩んでいる。この件に関しては、口を閉ざすようにと命じられているようだ。
「これはわしから聞いたと言わんでほしいのじゃが…」
「他言無用とする。…で?」
義太夫はなおも、躊躇うように口をもごもごと動かしたあと、思い切ったように、
「上様を狙うた刺客は三九郎様じゃ」
と驚くべきことを告げた。
「な、なに、それはまことのことか」
それが本当であれば大変なことだ。三九郎はもちろん、一益の立場まで危ういものになる。
「そのことを知っている者は?」
「秘密を知る者は我等だけ。杉谷衆は一人を残して、皆、始末した。その一人は物言えぬようにしたうえで簀巻きにして、江北・堀川の阿弥陀寺に放り投げてきた。奉行に知らせを送ったゆえ、直に処刑されるであろう」
「物言えぬようにしたとは?」
忠三郎が執拗に問うと、義太夫が頭を掻く。明らかに何かを秘めている。その視線には、言葉にできない重みが漂い、口を開くことを恐れているかのように、微妙に歪んだ笑みを浮かべていた。
「そこまで聞かんでくれ。これ以外、方法がなかった」
ここまで聞いても義太夫が口を割らないのは余程のことだ。まさかとは思ったが、おおよその想像がついた。
(素知らぬ顔をして、恐ろしい奴)
昔、聞いた話を思い出す。素破とは、命を捨て、名を惜しむ誇り高き武士とは大きく異なると、誰かがそう言っていた。人を騙し、博打を好み、盗みを生業とし、闇から闇へ人を葬る忌まわしき不浄のものなのだと。
忠三郎が黙っていると、何を考えているのか薄々察したのか、義太夫は急に割れるような声で笑いだした。
「驚いたか。おぬしら武士が我らを穢れたものと言うて見下し、毛嫌いするのも無理からぬこと。かようなことは朝飯前。応仁の乱このかた、素破は武士から金を貰い、汚れ仕事を請け負って生きてきたのじゃ」
自嘲するように薄く微笑みを浮かべる。その笑みの裏には、己を嘲る苦さが滲んでおり、自らを軽蔑するかのような言葉の裏にある悲しみを覆い隠している。
「義太夫…。そのようなことを…」
「我らは恥を厭わず、死を避け、生を忍ぶ」
「生を忍ぶ?」
「然様。百戦百勝、一忍に及ばず。いかなる誹りを受けようと、生き恥を晒してでも生きる。それが素破じゃ」
義太夫の乾いた笑い声を聞いていると、何故か胸が締め付けられてくる。この笑いは何だろう。一益が自分を守るために、杉谷衆に罪を擦り付けたと、そう言いたいのだろうか。
「それは違う」
忠三郎がはっきりとそういうと、義太夫は驚いて忠三郎を見る。
「如何した急に」
「わしと三九郎を守るためであろう?義太夫、わしをそのようなことも分からぬほどの童と侮るな。義兄上は全て任せろと、そう言うたときから…」
あらゆる恥も誹りも身に負う覚悟で、忠三郎に対し、すべてを任せろと、そう言ったのではないか。
「恥じ入ることなどあろうか。我らは同じ。人を斬ることを生業とする者。比叡山、百済寺、そして多くのものが住む都にまで火を放ち、女子供まで殺めてきた。その罪が緋のように赤いのは同じではないか。ましてわしを守ろうと粉骨砕身するおぬしらを見下すはずもない。むしろ恥じ入るべきは…」
自分自身だ。己の身一つ守れず、一益や義太夫にこんなことをさせてしまう無力な自分こそ、恥じ入るべきではないか。
「許せ、義太夫!」
忠三郎が感極まり、俄かに涙ぐんだので、義太夫は驚き、目を瞬かせる。
「い、如何した、唐突に。もしや、わしが隠し持っていた餅を盗み食いしたのか?」
どこまで本気で、どこからが戯言なのか、義太夫が懐を探り始めた。先ほどとは打って変わったその姿はなんとも滑稽で、急に可笑しさがこみあげてくる。
「また餅を懐に忍ばせておるのか。生を忍ぶのではのうて、餅を忍ばせるの誤りであろう」
忠三郎が笑いをこらえてそういうと、義太夫が懐の餅を取り出して、笑顔を見せる。
「わしの餅は無事じゃ」
「懐の餅を盗むほど、盗みに長けてはおらぬ」
だいたい素破が懐から餅を盗まれて気づかぬ筈がない。義太夫はどこへ行っても、何をしていても、食べ物のことばかり心配している。
(されど、元の義太夫に戻ってくれてよかった)
先ほどの義太夫は、普段のおどけた義太夫とはどこか異なっていた。笑い声の裏に潜んだ深い闇が、心の奥に秘めた悲しみが、忠三郎の胸に迫ってきた。
(義太夫、すまぬ…。わしは何故、こんなにも無力なのであろう)
人はいかなる努力をしても、誰かの犠牲の上にしか国を建てることはできないのだろうか。そうであれば、あとどれだけの人を犠牲にすれば、この天下に泰平が訪れると言うのだろう。
空が白々と明るくなり、綿向山の影が浮かび上がる。急に黙り込んだ忠三郎に、義太夫は笑って、
「腹減って物言うこともできぬのであろう?」
「然様なことは…」
おぬしとは違う、と否定しようとしたが、言われてみるととても空腹だ。結局、酒すら飲みそびれたまま朝を迎えてしまった。
「ほれ」
義太夫は手にした干餅を忠三郎の前に突き出す。
忠三郎が干餅を受け取ると、義太夫は得意気な顔をして、もう一つ、干餅を取り出した。
「忠三様!お目覚めで!」
助太郎が心配そうに忠三郎の顔をのぞき込んでいる。
「助太郎。ここは…」
「音羽城の本丸館。殿が大層、案じておいででした」
ゆっくりと体を起こすと、眩暈が治っていた。
「ご安堵くだされ。もう毒は抜けておるはずで」
そうなのか。よかった。毒を飲んだと分かった時は、あのまま命を落とすのかと覚悟を決めたほどだった。
「わしも、そう易々と死ぬわけにはいかぬな」
忠三郎は心配する助太郎に笑顔を向ける。疲労が顔に滲み出てて、助太郎の心配を軽くなだめようとしているのか、それとも自分を納得させようとしているのか、見分けがつかない微妙な笑いだった。
「上様のお命を狙ったものは?」
「すでに捕らえておりまする」
ふと不安になった。詮議を受ければ、狙撃に使った火縄銃の出どころを明かしてしまうのではないか。
忠三郎がそんな不安を抱えていることを察したらしい。助太郎が安心させるように、大丈夫だと言う。
「何も案ずることはありませぬ。曲者はもの申すことのできぬ身体となりました。あとは全て殿にお任せあれ」
もの申すことのできぬ身体とは。助太郎の言う意味がわからない。
「痛っ」
手を動かすと、右の拳にズキッと痛みが走った。見ると皮が剥け、赤く腫れている。
「これは一体…」
いつ怪我をしたのか覚えていない。はて、と首を傾げると、助太郎が気づき、
「忠三様が床を殴ったとか。覚えてはおられぬので?」
「わしが?そのようなことをしたと?」
そんな無法なことはしたこともない。
「義兄上と義太夫は?」
「殿はいずこかへ参られ、義太夫殿はすぐそばの部屋で三九郎様と…」
「三九郎?」
一益が甲賀を飛び出したのちに甲賀で生まれ、そのまま甲賀で育ったという滝川三九郎。
甲賀五十三家の一つ、杉谷家の世話になっていたことから、杉谷家へ恩を返すため、六角親子に手を貸していたのだと、助太郎はそう説明した。
「たしか忠三様の二つ年下かと」
「おぉ、然様か。では話が合うかもしれぬな」
にわかに興味が湧いてきた。挨拶でもしようかと思い、立ち上がって静かに襖を開けると
「滝川の者どもに関わっていると、気分が悪うなるわ」
三九郎らしき人物が、いきなりそう言った。忠三郎は訳が分からず、二人の顔を見る。三九郎らしき若者は怒っているらしく、義太夫は気まずそうな顔をしている。
(仲が悪いのであろうか…)
一益が義太夫に任せて席を立ったことを鑑みても、扱いに困っていることは伝わってきた。
「では、わしの元へ参れ」
忠三郎が笑みをたたえてそういうと、三九郎が顔をあげる。
(どこかで見たような…)
どこだっただろうか。思いだせない。
「わしは蒲生忠三郎じゃ。三九郎、甲賀に戻る気がないのであれば、我が城へ参れ」
忠三郎は屈託ない笑顔で三九郎に話しかけた。
「鶴…。目が覚めたか。大事ないか」
普段は飄々としている義太夫も、一応、心配してくれていたようだ。忠三郎は笑って頷き、
「異存はなかろう、三九郎。日野の水はうまいぞ。わしは滝川左近の義弟ゆえ、いうなればおぬしの叔父。助太郎もおるし、義兄上にはわしから話しておく」
三九郎は当惑した顔をしており、義太夫は何か言いたげにしている。
(なにやら急に腹が減ってきた)
少し眠って吐き気が収まったせいか、夕餉を食べそびれたことを思い出した。
そういえば、義太夫は大抵、何かしら食べるものを持ち歩いている。
「空腹じゃ。義太夫、何かないか?」
聞いてみると、義太夫が苦笑して懐から干餅を取り出した。
一益は三九郎を残して先に伊勢へ戻って行った。義太夫は、三九郎を城まで送り届けると言い、忠三郎とともに中野城へと向かう。
「上様のお命を狙った不届者は如何した?」
ずっと気がかりだった。助太郎の話は的を得ぬ話ばかりで、何が起きているのか分からなかった。
「そう案ずるな」
義太夫は軽く流そうとした。普段の饒舌ぶりとは打って変わって、随分と言葉数が少ない。助太郎といい、義太夫といい、不審な態度だ。
「城に行ったら、酒でも馳走になろうかのう」
そしらぬ顔で言うが、明らかに話を逸らそうとしている。
(何かを隠しておる)
言いたくなさそうにされると、ますます気になる。
「義太夫、胡麻化すな。その者の口から万が一にもお爺様の名がでるようなことがあれば…」
「それはない」
義太夫はきっぱりと否定する。何をもってそう言い切るのか。助太郎は、もの言えぬ身体になったと、そう言っていたが何のことやら、さっぱりわからなかった。
「もの言えぬ身体とは?」
「おぉ?助太郎がそう言うたか」
「何を隠しておる。わしとおぬしの仲ではないか。有体に申せ」
義太夫はうーんと唸り、口を開くことを躊躇うかのように悩んでいる。この件に関しては、口を閉ざすようにと命じられているようだ。
「これはわしから聞いたと言わんでほしいのじゃが…」
「他言無用とする。…で?」
義太夫はなおも、躊躇うように口をもごもごと動かしたあと、思い切ったように、
「上様を狙うた刺客は三九郎様じゃ」
と驚くべきことを告げた。
「な、なに、それはまことのことか」
それが本当であれば大変なことだ。三九郎はもちろん、一益の立場まで危ういものになる。
「そのことを知っている者は?」
「秘密を知る者は我等だけ。杉谷衆は一人を残して、皆、始末した。その一人は物言えぬようにしたうえで簀巻きにして、江北・堀川の阿弥陀寺に放り投げてきた。奉行に知らせを送ったゆえ、直に処刑されるであろう」
「物言えぬようにしたとは?」
忠三郎が執拗に問うと、義太夫が頭を掻く。明らかに何かを秘めている。その視線には、言葉にできない重みが漂い、口を開くことを恐れているかのように、微妙に歪んだ笑みを浮かべていた。
「そこまで聞かんでくれ。これ以外、方法がなかった」
ここまで聞いても義太夫が口を割らないのは余程のことだ。まさかとは思ったが、おおよその想像がついた。
(素知らぬ顔をして、恐ろしい奴)
昔、聞いた話を思い出す。素破とは、命を捨て、名を惜しむ誇り高き武士とは大きく異なると、誰かがそう言っていた。人を騙し、博打を好み、盗みを生業とし、闇から闇へ人を葬る忌まわしき不浄のものなのだと。
忠三郎が黙っていると、何を考えているのか薄々察したのか、義太夫は急に割れるような声で笑いだした。
「驚いたか。おぬしら武士が我らを穢れたものと言うて見下し、毛嫌いするのも無理からぬこと。かようなことは朝飯前。応仁の乱このかた、素破は武士から金を貰い、汚れ仕事を請け負って生きてきたのじゃ」
自嘲するように薄く微笑みを浮かべる。その笑みの裏には、己を嘲る苦さが滲んでおり、自らを軽蔑するかのような言葉の裏にある悲しみを覆い隠している。
「義太夫…。そのようなことを…」
「我らは恥を厭わず、死を避け、生を忍ぶ」
「生を忍ぶ?」
「然様。百戦百勝、一忍に及ばず。いかなる誹りを受けようと、生き恥を晒してでも生きる。それが素破じゃ」
義太夫の乾いた笑い声を聞いていると、何故か胸が締め付けられてくる。この笑いは何だろう。一益が自分を守るために、杉谷衆に罪を擦り付けたと、そう言いたいのだろうか。
「それは違う」
忠三郎がはっきりとそういうと、義太夫は驚いて忠三郎を見る。
「如何した急に」
「わしと三九郎を守るためであろう?義太夫、わしをそのようなことも分からぬほどの童と侮るな。義兄上は全て任せろと、そう言うたときから…」
あらゆる恥も誹りも身に負う覚悟で、忠三郎に対し、すべてを任せろと、そう言ったのではないか。
「恥じ入ることなどあろうか。我らは同じ。人を斬ることを生業とする者。比叡山、百済寺、そして多くのものが住む都にまで火を放ち、女子供まで殺めてきた。その罪が緋のように赤いのは同じではないか。ましてわしを守ろうと粉骨砕身するおぬしらを見下すはずもない。むしろ恥じ入るべきは…」
自分自身だ。己の身一つ守れず、一益や義太夫にこんなことをさせてしまう無力な自分こそ、恥じ入るべきではないか。
「許せ、義太夫!」
忠三郎が感極まり、俄かに涙ぐんだので、義太夫は驚き、目を瞬かせる。
「い、如何した、唐突に。もしや、わしが隠し持っていた餅を盗み食いしたのか?」
どこまで本気で、どこからが戯言なのか、義太夫が懐を探り始めた。先ほどとは打って変わったその姿はなんとも滑稽で、急に可笑しさがこみあげてくる。
「また餅を懐に忍ばせておるのか。生を忍ぶのではのうて、餅を忍ばせるの誤りであろう」
忠三郎が笑いをこらえてそういうと、義太夫が懐の餅を取り出して、笑顔を見せる。
「わしの餅は無事じゃ」
「懐の餅を盗むほど、盗みに長けてはおらぬ」
だいたい素破が懐から餅を盗まれて気づかぬ筈がない。義太夫はどこへ行っても、何をしていても、食べ物のことばかり心配している。
(されど、元の義太夫に戻ってくれてよかった)
先ほどの義太夫は、普段のおどけた義太夫とはどこか異なっていた。笑い声の裏に潜んだ深い闇が、心の奥に秘めた悲しみが、忠三郎の胸に迫ってきた。
(義太夫、すまぬ…。わしは何故、こんなにも無力なのであろう)
人はいかなる努力をしても、誰かの犠牲の上にしか国を建てることはできないのだろうか。そうであれば、あとどれだけの人を犠牲にすれば、この天下に泰平が訪れると言うのだろう。
空が白々と明るくなり、綿向山の影が浮かび上がる。急に黙り込んだ忠三郎に、義太夫は笑って、
「腹減って物言うこともできぬのであろう?」
「然様なことは…」
おぬしとは違う、と否定しようとしたが、言われてみるととても空腹だ。結局、酒すら飲みそびれたまま朝を迎えてしまった。
「ほれ」
義太夫は手にした干餅を忠三郎の前に突き出す。
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