43 / 214
9.伊勢の残滓
9-2. 従兄弟の意地
しおりを挟む
天正二年七月。忠三郎は信長の命により、柴田勝家の軍勢とともに再び伊勢へと攻め入った。
かつてないほどの大掛かりな戦さだ。一益によって各処にはすでに諸将が本陣を置くために寺や家が抑えられており、長期戦に備えて荷駄衆が兵糧を運び込む。
大川の向こうに見えるのは難攻の地・長島。
(いよいよ長島に攻め入る)
小木江で信長の弟・織田彦七郎が討たれてから四年。度々長島願証寺に煮え湯を飲まされ、信長の憎悪の念は募る一方だった。
大湊衆を従えた一益は、九鬼嘉隆とともに志摩・伊勢・尾張の海賊衆を率いて大湊から大船団を率いてくる。そしてあの大きな阿武船に兵を乗せ、長島に上陸させる手筈になっている。
長島を前にして陣を張ると、従兄弟の関四郎が意気揚々と現れた。
「鶴。此度はなんとしても手柄を立て、日野に幽閉されている父上をお救いしたい。力を貸してくれ」
四郎の末の弟は柴田勝家の元に留められたままだ。今や関家の居城・亀山城は信長の三男・神戸三七のものとなり、このままでは鎌倉時代から続く名門・関家がなくなってしまうと焦りを募らせる。
「そう焦るな。今、焦っても上様の御心が変わるとは思えぬ」
常の笑顔でそう言って四郎を落ち着かせようとしたが、予想に反し、四郎は目をむいて怒った。
「所詮、上様に気に入られ、娘婿となった鶴には、わしの思いなど、分からぬか」
信長の怒りは神戸家の養子にした神戸三七をないがしろにしたとの理由による。一益にも勝家にも相談したが、勝家は渋い顔をして今日・明日に信長の怒りを解くことは難しいと言い、一益は少し辛抱して待てと言う。
忠三郎自身も、同じようには思っていたが、父を幽閉され、弟を人質に取られ、居城まで奪われた四郎には伝わらない。
「城も奪われ、家臣たちは行く宛もなく困り果て、百姓をして生計をたてている者もおる。それならばまだよい。離散したまま時がたち、他家に仕官されては、父上の幽閉が解けたとしても我が家はもはや成り立たぬ。早く上様のお怒りを解き、城と父上を返してもらわねば…」
四郎の焦りが伝わってきた。
(四郎は四郎で、関家を守ろうと必死なのか)
忠三郎は自分とそう年の変わらない従兄弟の気持ちを察して心を決めた。
「では、叔父上のため、関家再興のために、ここで大手柄を立てよう」
笑顔でそういうと、四郎は忠三郎の手を取り、
「まことか!鶴!忝い」
深々と頭を下げる。
「まずは我等で長島一番乗りを果たしては如何であろう。さすれば、そのまま一番槍を狙うこともできる」
味方は総勢十二万。その中で、あの大川の真中にある長島に、誰よりも先に上陸し、名乗りをあげれば敵味方にその名は知れ渡る。
「一番乗り?では船を用意せねば…」
「いや、馬を連れて行かねば砦に近づくことも容易ではない。船で行けば騎乗して渡ることはかなうまい。この辺りには松之木の渡りなる道があり、引き潮のときには陸路で長島に渡れると聞き及んだ。まずは物見を出して松之木の渡りを探し出し、掛かり太鼓の合図とともに松之木の渡りを使って長島へ行き、松之木砦を攻略しよう」
信長は尾張方面から南下してくる。そして一益は船に乗ってくる。いつもであれば、先陣を務めたいと言うと、決まって止めに入る信長や一益はいない。唯一いるのは柴田勝家だけであり、今回こそ、手柄を立てる絶好の機会ともいえた。
実直な勝家が相手であれば、熱心に訴えれば許してくれる。そう思い、勝家本陣まで出向いて先陣を願い出ると、当初、渋ってはいたが、何度も頼み込み、なんとか説き伏せ、ようやく許してもらうことができた。
「四郎!明日は必ず、我等で長島一番乗りを果たそうぞ!」
忠三郎がいつにも増して力を入れて言うと、四郎も頷き、
「必ず、必ず手柄を立てて、家を再興する」
思いつめたように忠三郎を見て、そう言った。
いよいよ明朝、攻めかかると決まり、関四郎とともに支度を整えていると、町野左近が滝川助太郎を伴って現れる。
「若殿。滝川家より使者が参り、一揆勢に根来・雑賀の者たちが加わっているゆえ、軽挙妄動は控えるようにとのことでござりますが…」
忠三郎の顔色を伺いながらそう告げる。一益は何かを察したように釘をさしてきた。今回、先陣を仰せつかったと言っても嬉しそうではなかった町野左近は、一益からの忠告を聞いてますます不安になったらしい。
忠三郎はそんな町野左近を見て微笑を浮かべる。
「爺、敵を恐れていては手柄など立てることはできぬ。此度、新しく我が家に召し抱えた家臣たちをこの場へ集めよ」
「ハハッ」
何がはじまるのかと町野左近は首を傾げながら、声をかけて歩き、六角家の旧臣を含め、新しく家臣の列に加わった武将たちが集めた。
忠三郎はずらりと並んだ家臣たちの前に意気揚々と立ち、笑顔を見せる。
「皆、よう聞け。明朝、松之木の渡りを越え、長島へ入り、松之木砦へと向かう。我が家には銀の鯰尾の兜を被り、先陣を駆ける武者がおる。皆もその者に後れを取らぬように励め」
家臣たちが誰のことかと互いに顔を見合わせる。忠三郎はそんな家臣たちを尻目に、満面笑顔で帷幕の中へ戻っていった。
翌朝、忠三郎は関四郎と二人で誰よりも先に馬に乗り、掛かり太鼓が鳴り響くのを待った。
まもなく鳴り物が鳴り響く。
「四郎、参ろうぞ!」
忠三郎はいち早く馬を走らせ、松之木の渡りを目指した。その頭にあるのは無論、鯰尾の兜。関四郎がなんとか遅れまいと後に従い、更にその後ろを家臣たちが追いかけてくるのが分かる。
松之木の渡りにさしかかったあたりで、早くも銃声が聞こえてきた。
(砦から撃っているのだろうか)
砦にはまだ少し距離がある。矢も弾も届かない筈だ。忠三郎はわき目も降らず、長島目指して突き進み、ついに長島の地に足を踏み入れた。
「蒲生忠三郎、長島一番乗り!」
声高らかにそう叫ぶと、松之木砦目指して突き進んだ。近づいてみると、思ったよりもしっかりとした砦が組まれており、土塁の上には土壁まで見える。
「鶴!」
ようやく追いついた四郎が大声で呼ぶと、土壁の向こうに隠れ潜んでいた鉄砲隊がこちらに向かって一斉射撃を浴びせた。
目の前の木の枝に弾がかすめる。
(これは思うていたよりも狙いが確かじゃ)
さして警戒もしなかった戦闘慣れしていない一揆勢の鉄砲隊が、狙い定めて撃ってくるとは考えもしなかった。
「四郎、足軽共がくるのを待って、攻めかかろう」
このまま砦に向かっても狙い撃ちされてしまう。砦から少し離れて兵が追い付いてくるのを待つことにした。
(根来・雑賀の者たちが加わっていると、そう言っていた)
根来・雑賀衆とは、前回の長島攻めの退却時に後ろから襲ってきた一群のことだろう。忠三郎は話に聞くだけで、実際に目で見たことがない。
(もしや、銃の扱いに慣れたものがいると、義兄上はそう言っていたのか)
これは思ったよりも手ごわいかもしれない。
では、あの砦をどうやって落とすかと考えていると、家臣たちが集まってきて、足軽がそれに続いてきた。その後ろには、先陣を申し出たとはいえ、まさか忠三郎が一人で飛び出していくとは思いもよらなかった柴田勝家が大慌てで兵を率いてくるのが見える。
「鶴。このままここに留まっていては手柄を横取りされてしまう。急ぎ、砦へ向かわねば」
功を焦る四郎が馬首を返そうとする。
「待て、四郎。迂闊に近づくのは危ない。まずは兵を纏めて…」
と忠三郎が言い終わるのを待たずに、四郎が砦目指して馬を走らせていってしまう。
「四郎!」
関家の旧臣たちが慌てて後に従う。そこへ町野左近が現れ、
「若殿、お待ちくだされ。ここは我らが参りましょう」
忠三郎を押しとどめようとした。
「それには及ばぬ。あれなる林からであれば砦まで届く。木陰に弓隊を連れて行き、土壁に隠れる敵を狙って矢を放て」
忠三郎はそう言って四郎を追いかけた。
砦から放たれる弾丸が兜をかすめるのが分かる。
(かようなときは…)
まっすぐに走らず、ジグザグに馬を走らせて被弾を避ける。
銃を構えて狙い定め、実際に撃つまでは間があり、間合いを取ることで、敵が引き金を引く前から前提上の射線を避けることができる。この練習は義太夫の水鉄砲で何度もやらされた。
その時は実戦で役に立つとは思っていなかったが。
(思うたよりも、役立ってくれるではないか)
兵を引き連れ、砦へと近づくと、町野左近率いる弓兵が土壁の向こう側めがけて矢を放つのが見えた。
「よし、今じゃ!者ども、土塁を乗り越えよ!」
鬨の声が響き渡り、足軽が土塁に殺到すると、敵兵が門を目指して逃げるのが見えた。忠三郎も土塁を乗り越え、逃げ遅れた敵兵をなぎ倒す。
「忠三郎殿!ここは我らに任せてお引きくだされ」
勝家の軍勢が追い付いてきたようだ。振り返ると、さらにその後ろには佐久間信盛の軍勢も見える。
「されど、四郎が…」
鉄砲隊を突き崩すことに気を取られ、四郎を見失っている。
「若殿、我らが向かいまする」
町野左近が槍を携え、兵を率いて城門へと向かおうとするが、すでに万を超える兵が雪崩のように小さな砦に押し寄せ、城門付近は味方の兵で溢れている。
「四郎を探さねば…」
忠三郎は味方を押しのけながら城門へと向かった。
重傷を負った関四郎が陣営に運ばれてきたのは、松ノ木砦が落ちた後だった。四郎は兜首ふたつを取って、従者に持たせていた。
戸板に寝かされた四郎は、苦しそうにうめきながらも
「鶴…この首を上様に…」
信長に見せれば関家再興が叶うかもしれない。そう思って一縷の望みをかけ、敵中深くまで攻め入ったのだろう。
「確かに、受け取った。これより上様本陣へ向かい、おぬしの手柄を伝えてくる。それゆえ、気をしっかり持て」
家臣たちは懸命に手当しているが、複数個所に被弾していて、出血が止まらない。最初の突撃で、四郎だけではなく、何人もの家臣が怪我をし、少なからず命を落としたものいた。
いずれも皆、鉄砲傷によるもので、よくよく見ると銃弾が兜や鎧を貫通していた。
(ここまで狙い撃ちされていたとは)
何故、忠三郎だけ被弾しなかったのだろうか。鎧を脱ぎ、あちこち観察してみると、弾傷はあるが、貫通はしていない。
(もしや…)
思い当ることがあった。
岐阜の最終評定のあとのことだ。
『銃により、これまでの戦さのやり方は通用しなくなった。これは攻めるだけではなく、守りにおいても同様である』
一益はそう言った。
『守り、とは?土塁に鉄砲隊を配備させるということで?』
言わんとしていることがよくわからず、忠三郎がなんとなく思い描くことを口にすると、
『無論、それもあるが、それだけでは足りぬ。まずは城を守るには土塁だけでは足りぬ。堅固な石垣を四方に巡らせること。そして、甲冑』
『甲冑?』
銃と弓矢の違いは、その貫通力にある。これまでの当世具足は弓矢や槍での戦いを想定したもの。しかしそれでは銃弾を防ぐことができない、と一益は言った。
『では、如何様にすればよろしいので?』
忠三郎の問いに対し、一益は
『日野の鉄砲鍛冶に命じて、いくつか用意させておる。そのうちの一つを届けるようにと命じておいた。直に日野の城に届くであろう』
何が届くのかと思っていると、届けられたのは銃弾をも通さぬという鎧、そして忠三郎を現す象徴ともいえる銀の鯰尾の兜も鉄製のものが用意された。
『ポルトガル商人から手に入れた鎧を、さらに滝川様から改良するようにと申し付けられ、あつらえたもので。人呼んで、南蛮具足、南蛮兜』
鉄砲鍛冶はそう言った。
(南蛮具足?)
南蛮の鉄板のような鎧に、さらに腰から太ももまでを覆う草褶を取り付けた鎧だった。試しに着用してみると、鉄でできているだけあって相当に重く、馬に乗るのも家臣の手を借りなければならなかった。
(これで銃弾が防げるのか)
であれば、いざ攻めかかるときには便利かもしれない。そう考え、南蛮具足を身に着けても動けるようにと、何度も着ては馬を走らせたり、家臣と相撲をとったりして少しずつ慣れていった。
(当世具足では銃弾から身を守ることができなかったのか)
城から狙いの確かな弾が撃たれていることは気づいていた。それなのに何故、皆が被弾し、倒れていることに気づけなかったのか。
(あのときは…見えなかった)
激しい銃声を耳にしてから、筒の中を覗き込むようにまっすぐ前しか見えなくなり、目指す城門が実際よりも近くに感じられた。あれは一体なんだろうか。
考えても分からなかったが、四郎の手柄を広く、織田家の諸将に伝えなければならない。
忠三郎は四郎とともにいた従者を連れて寄親である柴田勝家の本陣へ行った。
勝家に事と次第を話すと、
「此度は蒲生勢の突撃により難なく砦を落とすことができた。上様にお伝えすれば、あるいは関殿の幽閉も解け、亀山城を返していただくことができるやもしれぬ。さ、早う上様本陣へ向かいなされ」
背中を押され、忠三郎は意気揚々と船に乗り、大川を越えて信長本陣へ向かった。
しかし予想に反して信長の反応は冷ややかなものだった。
「葉武者の如き振る舞いじゃ」
不機嫌そうにただ一言、そう言って忠三郎を下がらせた。
長島一番乗りを果たし、数多の犠牲を払って立てた手柄は見向きもされず、関家再興を願い出る隙もなかった。
(四郎に何と言えば…)
とぼとぼと自陣に戻ると、関家の旧臣たちが一人、二人、肩を落として荷物を纏めている姿が目に入る。
「みな、如何した?四郎の容態は?」
声をかけても反応がない。聞こえていないかのように陣営を後にする者、涙する者がいて、もしやと思い、町野左近を呼んだ。
少し待っていると、町野左近が暗い顔をして現れた。
「爺。四郎は?」
「それが…」
思った以上に深手を負っていた四郎は、忠三郎が勝家の本陣に向かったころにはすでに息絶えていた。
「殿が日野に幽閉されている関殿に知らせを送り、四郎様の亡骸は荼毘に付して日野に持ち帰ることとなりました」
「四郎が死んだ…」
関家再興を願い、命を賭して戦い続けたにもかかわらず、その功名は認められることなく、関四郎は戦場に散り、静かに命を終えた。
(これでは四郎は無意味なことをして、無駄死にしただけ)
戦いは始まったばかり。落とした砦は無数にある砦の一つにしかすぎない。この戦さが終われば、四郎の働きも忘れられていく。四郎の心に燃えた覚悟と忠義は、風に舞う落ち葉のように消え去り、誰にも知られることはない。
名を残すこともなく、ただ冷たい土に還る四郎の姿は、無常な運命に翻弄された一人の武士の儚さを物語っている。四郎が抱いた夢も、まるで霧のように消え失せ、四郎の犠牲はただ静かに、歴史の片隅に埋もれていく。
残酷で無残な結末に、忠三郎は一人、床几に座ったまま動けなくなった。落とした砦の周辺から悲鳴や怒声が聞こえてくる。砦周辺の村落への執拗な乱捕りが行われているようだ。幾度も繰り返されてきた光景で、もう慣れてしまった。この分では明日の明朝、明るくなって戦闘が再開されるまで、乱捕りが続くだろう。
かつてないほどの大掛かりな戦さだ。一益によって各処にはすでに諸将が本陣を置くために寺や家が抑えられており、長期戦に備えて荷駄衆が兵糧を運び込む。
大川の向こうに見えるのは難攻の地・長島。
(いよいよ長島に攻め入る)
小木江で信長の弟・織田彦七郎が討たれてから四年。度々長島願証寺に煮え湯を飲まされ、信長の憎悪の念は募る一方だった。
大湊衆を従えた一益は、九鬼嘉隆とともに志摩・伊勢・尾張の海賊衆を率いて大湊から大船団を率いてくる。そしてあの大きな阿武船に兵を乗せ、長島に上陸させる手筈になっている。
長島を前にして陣を張ると、従兄弟の関四郎が意気揚々と現れた。
「鶴。此度はなんとしても手柄を立て、日野に幽閉されている父上をお救いしたい。力を貸してくれ」
四郎の末の弟は柴田勝家の元に留められたままだ。今や関家の居城・亀山城は信長の三男・神戸三七のものとなり、このままでは鎌倉時代から続く名門・関家がなくなってしまうと焦りを募らせる。
「そう焦るな。今、焦っても上様の御心が変わるとは思えぬ」
常の笑顔でそう言って四郎を落ち着かせようとしたが、予想に反し、四郎は目をむいて怒った。
「所詮、上様に気に入られ、娘婿となった鶴には、わしの思いなど、分からぬか」
信長の怒りは神戸家の養子にした神戸三七をないがしろにしたとの理由による。一益にも勝家にも相談したが、勝家は渋い顔をして今日・明日に信長の怒りを解くことは難しいと言い、一益は少し辛抱して待てと言う。
忠三郎自身も、同じようには思っていたが、父を幽閉され、弟を人質に取られ、居城まで奪われた四郎には伝わらない。
「城も奪われ、家臣たちは行く宛もなく困り果て、百姓をして生計をたてている者もおる。それならばまだよい。離散したまま時がたち、他家に仕官されては、父上の幽閉が解けたとしても我が家はもはや成り立たぬ。早く上様のお怒りを解き、城と父上を返してもらわねば…」
四郎の焦りが伝わってきた。
(四郎は四郎で、関家を守ろうと必死なのか)
忠三郎は自分とそう年の変わらない従兄弟の気持ちを察して心を決めた。
「では、叔父上のため、関家再興のために、ここで大手柄を立てよう」
笑顔でそういうと、四郎は忠三郎の手を取り、
「まことか!鶴!忝い」
深々と頭を下げる。
「まずは我等で長島一番乗りを果たしては如何であろう。さすれば、そのまま一番槍を狙うこともできる」
味方は総勢十二万。その中で、あの大川の真中にある長島に、誰よりも先に上陸し、名乗りをあげれば敵味方にその名は知れ渡る。
「一番乗り?では船を用意せねば…」
「いや、馬を連れて行かねば砦に近づくことも容易ではない。船で行けば騎乗して渡ることはかなうまい。この辺りには松之木の渡りなる道があり、引き潮のときには陸路で長島に渡れると聞き及んだ。まずは物見を出して松之木の渡りを探し出し、掛かり太鼓の合図とともに松之木の渡りを使って長島へ行き、松之木砦を攻略しよう」
信長は尾張方面から南下してくる。そして一益は船に乗ってくる。いつもであれば、先陣を務めたいと言うと、決まって止めに入る信長や一益はいない。唯一いるのは柴田勝家だけであり、今回こそ、手柄を立てる絶好の機会ともいえた。
実直な勝家が相手であれば、熱心に訴えれば許してくれる。そう思い、勝家本陣まで出向いて先陣を願い出ると、当初、渋ってはいたが、何度も頼み込み、なんとか説き伏せ、ようやく許してもらうことができた。
「四郎!明日は必ず、我等で長島一番乗りを果たそうぞ!」
忠三郎がいつにも増して力を入れて言うと、四郎も頷き、
「必ず、必ず手柄を立てて、家を再興する」
思いつめたように忠三郎を見て、そう言った。
いよいよ明朝、攻めかかると決まり、関四郎とともに支度を整えていると、町野左近が滝川助太郎を伴って現れる。
「若殿。滝川家より使者が参り、一揆勢に根来・雑賀の者たちが加わっているゆえ、軽挙妄動は控えるようにとのことでござりますが…」
忠三郎の顔色を伺いながらそう告げる。一益は何かを察したように釘をさしてきた。今回、先陣を仰せつかったと言っても嬉しそうではなかった町野左近は、一益からの忠告を聞いてますます不安になったらしい。
忠三郎はそんな町野左近を見て微笑を浮かべる。
「爺、敵を恐れていては手柄など立てることはできぬ。此度、新しく我が家に召し抱えた家臣たちをこの場へ集めよ」
「ハハッ」
何がはじまるのかと町野左近は首を傾げながら、声をかけて歩き、六角家の旧臣を含め、新しく家臣の列に加わった武将たちが集めた。
忠三郎はずらりと並んだ家臣たちの前に意気揚々と立ち、笑顔を見せる。
「皆、よう聞け。明朝、松之木の渡りを越え、長島へ入り、松之木砦へと向かう。我が家には銀の鯰尾の兜を被り、先陣を駆ける武者がおる。皆もその者に後れを取らぬように励め」
家臣たちが誰のことかと互いに顔を見合わせる。忠三郎はそんな家臣たちを尻目に、満面笑顔で帷幕の中へ戻っていった。
翌朝、忠三郎は関四郎と二人で誰よりも先に馬に乗り、掛かり太鼓が鳴り響くのを待った。
まもなく鳴り物が鳴り響く。
「四郎、参ろうぞ!」
忠三郎はいち早く馬を走らせ、松之木の渡りを目指した。その頭にあるのは無論、鯰尾の兜。関四郎がなんとか遅れまいと後に従い、更にその後ろを家臣たちが追いかけてくるのが分かる。
松之木の渡りにさしかかったあたりで、早くも銃声が聞こえてきた。
(砦から撃っているのだろうか)
砦にはまだ少し距離がある。矢も弾も届かない筈だ。忠三郎はわき目も降らず、長島目指して突き進み、ついに長島の地に足を踏み入れた。
「蒲生忠三郎、長島一番乗り!」
声高らかにそう叫ぶと、松之木砦目指して突き進んだ。近づいてみると、思ったよりもしっかりとした砦が組まれており、土塁の上には土壁まで見える。
「鶴!」
ようやく追いついた四郎が大声で呼ぶと、土壁の向こうに隠れ潜んでいた鉄砲隊がこちらに向かって一斉射撃を浴びせた。
目の前の木の枝に弾がかすめる。
(これは思うていたよりも狙いが確かじゃ)
さして警戒もしなかった戦闘慣れしていない一揆勢の鉄砲隊が、狙い定めて撃ってくるとは考えもしなかった。
「四郎、足軽共がくるのを待って、攻めかかろう」
このまま砦に向かっても狙い撃ちされてしまう。砦から少し離れて兵が追い付いてくるのを待つことにした。
(根来・雑賀の者たちが加わっていると、そう言っていた)
根来・雑賀衆とは、前回の長島攻めの退却時に後ろから襲ってきた一群のことだろう。忠三郎は話に聞くだけで、実際に目で見たことがない。
(もしや、銃の扱いに慣れたものがいると、義兄上はそう言っていたのか)
これは思ったよりも手ごわいかもしれない。
では、あの砦をどうやって落とすかと考えていると、家臣たちが集まってきて、足軽がそれに続いてきた。その後ろには、先陣を申し出たとはいえ、まさか忠三郎が一人で飛び出していくとは思いもよらなかった柴田勝家が大慌てで兵を率いてくるのが見える。
「鶴。このままここに留まっていては手柄を横取りされてしまう。急ぎ、砦へ向かわねば」
功を焦る四郎が馬首を返そうとする。
「待て、四郎。迂闊に近づくのは危ない。まずは兵を纏めて…」
と忠三郎が言い終わるのを待たずに、四郎が砦目指して馬を走らせていってしまう。
「四郎!」
関家の旧臣たちが慌てて後に従う。そこへ町野左近が現れ、
「若殿、お待ちくだされ。ここは我らが参りましょう」
忠三郎を押しとどめようとした。
「それには及ばぬ。あれなる林からであれば砦まで届く。木陰に弓隊を連れて行き、土壁に隠れる敵を狙って矢を放て」
忠三郎はそう言って四郎を追いかけた。
砦から放たれる弾丸が兜をかすめるのが分かる。
(かようなときは…)
まっすぐに走らず、ジグザグに馬を走らせて被弾を避ける。
銃を構えて狙い定め、実際に撃つまでは間があり、間合いを取ることで、敵が引き金を引く前から前提上の射線を避けることができる。この練習は義太夫の水鉄砲で何度もやらされた。
その時は実戦で役に立つとは思っていなかったが。
(思うたよりも、役立ってくれるではないか)
兵を引き連れ、砦へと近づくと、町野左近率いる弓兵が土壁の向こう側めがけて矢を放つのが見えた。
「よし、今じゃ!者ども、土塁を乗り越えよ!」
鬨の声が響き渡り、足軽が土塁に殺到すると、敵兵が門を目指して逃げるのが見えた。忠三郎も土塁を乗り越え、逃げ遅れた敵兵をなぎ倒す。
「忠三郎殿!ここは我らに任せてお引きくだされ」
勝家の軍勢が追い付いてきたようだ。振り返ると、さらにその後ろには佐久間信盛の軍勢も見える。
「されど、四郎が…」
鉄砲隊を突き崩すことに気を取られ、四郎を見失っている。
「若殿、我らが向かいまする」
町野左近が槍を携え、兵を率いて城門へと向かおうとするが、すでに万を超える兵が雪崩のように小さな砦に押し寄せ、城門付近は味方の兵で溢れている。
「四郎を探さねば…」
忠三郎は味方を押しのけながら城門へと向かった。
重傷を負った関四郎が陣営に運ばれてきたのは、松ノ木砦が落ちた後だった。四郎は兜首ふたつを取って、従者に持たせていた。
戸板に寝かされた四郎は、苦しそうにうめきながらも
「鶴…この首を上様に…」
信長に見せれば関家再興が叶うかもしれない。そう思って一縷の望みをかけ、敵中深くまで攻め入ったのだろう。
「確かに、受け取った。これより上様本陣へ向かい、おぬしの手柄を伝えてくる。それゆえ、気をしっかり持て」
家臣たちは懸命に手当しているが、複数個所に被弾していて、出血が止まらない。最初の突撃で、四郎だけではなく、何人もの家臣が怪我をし、少なからず命を落としたものいた。
いずれも皆、鉄砲傷によるもので、よくよく見ると銃弾が兜や鎧を貫通していた。
(ここまで狙い撃ちされていたとは)
何故、忠三郎だけ被弾しなかったのだろうか。鎧を脱ぎ、あちこち観察してみると、弾傷はあるが、貫通はしていない。
(もしや…)
思い当ることがあった。
岐阜の最終評定のあとのことだ。
『銃により、これまでの戦さのやり方は通用しなくなった。これは攻めるだけではなく、守りにおいても同様である』
一益はそう言った。
『守り、とは?土塁に鉄砲隊を配備させるということで?』
言わんとしていることがよくわからず、忠三郎がなんとなく思い描くことを口にすると、
『無論、それもあるが、それだけでは足りぬ。まずは城を守るには土塁だけでは足りぬ。堅固な石垣を四方に巡らせること。そして、甲冑』
『甲冑?』
銃と弓矢の違いは、その貫通力にある。これまでの当世具足は弓矢や槍での戦いを想定したもの。しかしそれでは銃弾を防ぐことができない、と一益は言った。
『では、如何様にすればよろしいので?』
忠三郎の問いに対し、一益は
『日野の鉄砲鍛冶に命じて、いくつか用意させておる。そのうちの一つを届けるようにと命じておいた。直に日野の城に届くであろう』
何が届くのかと思っていると、届けられたのは銃弾をも通さぬという鎧、そして忠三郎を現す象徴ともいえる銀の鯰尾の兜も鉄製のものが用意された。
『ポルトガル商人から手に入れた鎧を、さらに滝川様から改良するようにと申し付けられ、あつらえたもので。人呼んで、南蛮具足、南蛮兜』
鉄砲鍛冶はそう言った。
(南蛮具足?)
南蛮の鉄板のような鎧に、さらに腰から太ももまでを覆う草褶を取り付けた鎧だった。試しに着用してみると、鉄でできているだけあって相当に重く、馬に乗るのも家臣の手を借りなければならなかった。
(これで銃弾が防げるのか)
であれば、いざ攻めかかるときには便利かもしれない。そう考え、南蛮具足を身に着けても動けるようにと、何度も着ては馬を走らせたり、家臣と相撲をとったりして少しずつ慣れていった。
(当世具足では銃弾から身を守ることができなかったのか)
城から狙いの確かな弾が撃たれていることは気づいていた。それなのに何故、皆が被弾し、倒れていることに気づけなかったのか。
(あのときは…見えなかった)
激しい銃声を耳にしてから、筒の中を覗き込むようにまっすぐ前しか見えなくなり、目指す城門が実際よりも近くに感じられた。あれは一体なんだろうか。
考えても分からなかったが、四郎の手柄を広く、織田家の諸将に伝えなければならない。
忠三郎は四郎とともにいた従者を連れて寄親である柴田勝家の本陣へ行った。
勝家に事と次第を話すと、
「此度は蒲生勢の突撃により難なく砦を落とすことができた。上様にお伝えすれば、あるいは関殿の幽閉も解け、亀山城を返していただくことができるやもしれぬ。さ、早う上様本陣へ向かいなされ」
背中を押され、忠三郎は意気揚々と船に乗り、大川を越えて信長本陣へ向かった。
しかし予想に反して信長の反応は冷ややかなものだった。
「葉武者の如き振る舞いじゃ」
不機嫌そうにただ一言、そう言って忠三郎を下がらせた。
長島一番乗りを果たし、数多の犠牲を払って立てた手柄は見向きもされず、関家再興を願い出る隙もなかった。
(四郎に何と言えば…)
とぼとぼと自陣に戻ると、関家の旧臣たちが一人、二人、肩を落として荷物を纏めている姿が目に入る。
「みな、如何した?四郎の容態は?」
声をかけても反応がない。聞こえていないかのように陣営を後にする者、涙する者がいて、もしやと思い、町野左近を呼んだ。
少し待っていると、町野左近が暗い顔をして現れた。
「爺。四郎は?」
「それが…」
思った以上に深手を負っていた四郎は、忠三郎が勝家の本陣に向かったころにはすでに息絶えていた。
「殿が日野に幽閉されている関殿に知らせを送り、四郎様の亡骸は荼毘に付して日野に持ち帰ることとなりました」
「四郎が死んだ…」
関家再興を願い、命を賭して戦い続けたにもかかわらず、その功名は認められることなく、関四郎は戦場に散り、静かに命を終えた。
(これでは四郎は無意味なことをして、無駄死にしただけ)
戦いは始まったばかり。落とした砦は無数にある砦の一つにしかすぎない。この戦さが終われば、四郎の働きも忘れられていく。四郎の心に燃えた覚悟と忠義は、風に舞う落ち葉のように消え去り、誰にも知られることはない。
名を残すこともなく、ただ冷たい土に還る四郎の姿は、無常な運命に翻弄された一人の武士の儚さを物語っている。四郎が抱いた夢も、まるで霧のように消え失せ、四郎の犠牲はただ静かに、歴史の片隅に埋もれていく。
残酷で無残な結末に、忠三郎は一人、床几に座ったまま動けなくなった。落とした砦の周辺から悲鳴や怒声が聞こえてくる。砦周辺の村落への執拗な乱捕りが行われているようだ。幾度も繰り返されてきた光景で、もう慣れてしまった。この分では明日の明朝、明るくなって戦闘が再開されるまで、乱捕りが続くだろう。
0
あなたにおすすめの小説
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる